公魚(わかさぎ)

 鮎や鮭と同じように、川や湖で生れ、海に出て大きくなり、1年後にまた川に戻って来る。しかし環境に順応する能力が高く、海に出なくとも成育するので、各地の湖沼に放たれたものが陸封魚として世代交代し、あたかもそこに天然自然にわいたものであるかのように思われている。元来は霞ヶ浦や八郎潟、宍道湖など海水が多少混じる水域を好む魚なのだが、今では山中湖、諏訪湖、榛名湖をはじめ全国各地の、海につながっていない湖沼にもワカサギがいる。それらは江戸時代から昭和にかけて、人工的に稚魚が放流されたものが基になっている。

 分類学上ではサケ目キュウリウオ科に属す。成魚の体長は10センチ程度。背中は黄色みがかった青灰色で腹部は銀色、薄墨色の縦縞がかすかに走る、可憐な小魚である。鮎とも遠い親戚だから背鰭と尾鰭の中間に脂鰭があり、鮎に似た姿をしているが、体形はよりスリムでスマートである。そのせいか食べた感じは鮎よりさらに淡泊で、脂っ気が全くと言ってよいほど無い。

 とれたてのワカサギは水分をよくぬぐい取り、軽く塩を振って焼いたものが、非常に美味しいが、魚としては何とも頼りない味わいである。そこで、もっぱら、天麩羅にしたり、飴煮にしたりする。正月のお節料理に、鮒の雀焼きなどと並んで、ワカサギを串刺しにして砂糖と醤油で濃厚に煮固めたものが登場したりもする。空揚げにしたものを南蛮漬けにしても、鯵とはまた違った風味があって中々良い。

 とにかく淡泊で上品な味が好まれたのか、江戸時代に霞ヶ浦東岸の麻生藩新庄氏という一万石の小名が、とれ立てのワカサギを将軍に献上したところ、大いに喜ばれ、それ以来「公魚」という名前を許されるようになったのだという。新庄氏と言えば、先祖が11世紀半ばの前九年合戦で源頼義の郎党として大功をたてたという由緒ある家系だが、何代目かが豊臣秀吉の下で摂津高槻城主だっため、関ヶ原合戦で西軍に組みした。敗戦で取り潰しになるところを、由緒ある家系が幸いして、家康、秀忠に許され、霞ヶ浦と北浦に挟まれた麻生の地に三万石を与えられた。しかし、その後何度か取り潰しの危機に遭い、それをかい潜って、一万石に減らされはしたがどうにか生き残った。お家存続のために神経を使ったのであろう、隅田川佃島の白魚が将軍への献上品としてもてはやされているのを見て、地元のワカサギ献上を思いついたようである。

 その淡泊なところを生かして、獲ったばかりのワカサギを指でさばいて、そのまま酢醤油や酢味噌をつけて食べるのが最も美味しいとも言われている。しかし、今日の霞ヶ浦や諏訪湖は日本でも最も汚染度のひどい湖である。夏場などは悪臭の漂うことすらある。残念ながら、ワカサギの刺身などはとても食べる気にはなれない。それにしても、そういう悪条件下でも生き延びるのだから、ワカサギという魚はあんな繊細優美な姿をしていながら、なかなかタフである。

 ワカサギ漁では霞ヶ浦の「うたせ舟」が有名だった。帆曳舟とも言い、横に大きく広がった真っ白な帆をふくらませて、湖上をゆっくりと進み、ワカサギやシラウオを引き網で獲る。しかし近年は水質汚染で魚群がまとまらなくなったのか、このような悠長な漁法ではらちが明かず、全く姿を消してしまった。と思ったら、何と夏場だけまた現れるようになった。漁が目的ではなく、夏休みの観光客用のアトラクションなのだという。

 北海道で獲れるシシャモや、東北、北海道沿岸にいるチカという魚が、ワカサギとごく近い親戚である。それらをひっくるめたキュウリウオ科の、キュウリウオはやはり北海道で獲れるが、これは食べると胡瓜のような匂いがするところから名付けられた。そう言えば、ワカサギにもシシャモにも独特の匂いがある。

 ワカサギは真冬の湖上に厚く張った氷に穴を開け、鉤にサシをつけた糸を垂らすと面白いように釣れる。釣られた公魚は氷の上でぴんぴん跳ね回っているが、たちまち凍死してしまう。鯉や鮒はこの時期、水底にじっとしているのに、どうしてワカサギはこんなに釣れるのか。それは、早春と同時に産卵するため、厳冬期から懸命に栄養補給する必要に迫られ、水面近くで動物性プランクトンをあさる習性があるからなのだという。

 この穴釣りが真冬の風物詩として、新聞やテレビなどで報じられるものだから、ワカサギは冬の季語だと思っている人が多いが、実は春の季語である。二月頃、産卵のためにたくさん遡上して漁期となるところから、春のものと定まったようである。この点、白魚と同様である。しかし、白魚が春を告げる魚として、「あけぼのやしら魚白きこと一寸 芭蕉」をはじめ、江戸時代から盛んに俳句に詠まれてきたのに比べ、ワカサギが季語になり、詠まれるようになったのは明治も末になってからのことである。江戸前とそうでないものとの差が、魚の世界にもあるようである。

  公魚のよるさざなみか降る雪に   渡辺水巴
  わかさぎにほのめく梅の匂かな   久保田万太郎
  雷魚殖ゆ公魚などは悲しからん   高野素十
  年々に公魚汲みて舟古りし   橋本鶏二
  公魚をさみしき顔となりて喰ふ   草間時彦
  わかさぎは生死どちらも胴を曲げ   宇多喜代子
  きりもなく釣れて公魚あはれなり   根岸善雄
  公魚は針はづされてすぐ凍てぬ   江中真弓

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