和布(若布)

 褐藻類コンブ目チガイソ科の海藻で日本列島と朝鮮半島の沿岸部の岩上に繁茂する。万葉集にも「稚海藻(わかめ)」が出て来るように、大昔から日本人の食用に供されていた。鳴門若布が有名だが、三陸の若布が肉質厚く味も良い。天然若布の方が断然おいしいが年間生産量が1万トンせいぜいで、とても需要をまかないきれず、近年は養殖若布が年間10万トン以上生産されている。

 世界各地にワカメの親類の海藻はたくさんあり、たとえばアラスカ沿岸の子持昆布などもそうだが、これなどはニシンの子がついているからこそ珍重されるのであって、海藻の方は旨くも何ともない。オーストラリアに住んでいた頃、シドニーの海岸にもワカメがあると言われ調べたところ、確かに似たような海藻があって、雲丹がたくさん取りついていたが、どうもごわごわしていて食べる気がしなかった。やはりワカメは日本特産である。

 若布はもちろんだが、昆布、海苔、青海苔(アオサ)、鹿尾菜(ヒジキ)、刺身のつまのオゴノリ、寒天の材料のテングサなど、日本人ほど海藻を好んで食べる民族は他に見当たらない。西洋人はほとんど海藻を食べない。そのせいであろうか、英語には日本語のワカメ、ヒジキと言うような海藻を種類別に指す言葉が無い。強いて言えば、コンブのことを「シータングル」と称することがあるが、タングルというのは「もつれたもの」という意味であり、床掃除のモップがぐじゃぐじゃにもつれたのをこう言ったりする。要するにコンブもワカメも、海中でゆらゆらもつれている代物と言うに過ぎない。とどのつまり、西洋人は海藻を十把一絡げにしてシーウイード(海の雑草)などと言って、莫迦にしてきた。

 ところが近年、欧米人も食品としての海藻の素晴らしさに目覚めて、サラダなどとして盛んに食べるようになった。特に、アメリカとフランスではノンカロリーでミネラル含有量豊富な栄養食品として人気上昇中である。フランスの海には若布が生えていないので、日本から種苗を輸入して養殖しているほどである。しかし、「海の雑草」ではあまりにも味気ない。しようがないから店頭では WAKAME、KONBU などと書いている。

 採り立ての若布はなるほど褐藻類と言うだけあって、黒褐色でとても旨そうには見えない。ところがそれを浜辺にしつらえた大釜のぐらぐら沸いた湯にぶち込むと一瞬にして鮮やかな緑色になる。これを冷水にとって、酢醤油に浸してすすると実に旨い。

 三浦半島の葉山に時々出かけるのだが、二月半ばの若布解禁シーズンに行くと浜辺は大にぎわいである。この辺の漁師は、もうとうの昔に専業漁師をやめてしまっているのが多く、当主はサラリーマンでジイチャン、バアチャンがほそぼそと続けている。ところが、若布解禁時には一家総出となる。サラリーマン父さんもこの日ばかりは漁師に戻り、年期の入ったジイチャンと一緒に舟をあやつり、鎌の付いた竹ざをを海中に突っ込んでは若布を刈取る。浜辺に戻ると、バアチャン、カアチャンが待ちかまえていて、採って来た若布を手際よく大釜に入れて湯がく。娘達が張り巡らした綱に真っ青な若布を掛けて干す。

 このような風景もいつまで見られるのだろうか。厳しい寒さの中での若布採りは、防寒コートにくるまって俳句の材料でも見つからないかとやって来た閑人には風情の感じられるものだが、作業に精出している方にしてみればなかなか辛そうである。妙齢の娘が頬や手を真っ赤にしてまで若布干しをするなんてばかばかしいと、止めてしまわないだろうか。

 顔なじみになった中老の漁師に、お節介ながら危惧の念をつぶやいたところが、とんでもないことであった。天然若布は貴重品で、一流料亭など特定顧客がついており、採れただけ確実に売れるのだという。「とれたての生若布はよう、スーパーのビニール袋一杯くらいで3000円にはなる。こうやって浜で干したやつだったら、そうだなあこの綱一本分で1万円くらいにはなるだろな」と長さ二間ほどの干し綱にぶら下がった新若布を指して言うのであった。そして件の娘さんの家は地魚ブームにも乗ってジイチャンの稼ぎが大変なものになり、トウチャンもサラリーマンを止めて家業に精出す事になったのだという。天然若布が終わると養殖若布がほとんど年間を通して採れる。「あの家の車はベンツでよう。あの娘の彼氏もビーだかべーだか言うドイツの車で迎えに来るんだ」。ワカメさまさまなのである。

 若布は海藻の中でも古代から人々に好まれたものの代表で、「め」と言えば若布を指すと共に、食用になる海藻全般を指す言葉ともなった。「めかり」という季語もある。言うまでもなく若布刈りである。「若布干す」というのもある。春先に採って浜で干した若布が都に運ばれた。平安京には海藻、特に若布を売る市が立ったという。昔の人は、現今の我々よりずっとずっと敏感に、潮の香りのする新若布に春のにおいを感じ取ったのであろう。

  草の戸や二見の若布貰ひけり   与謝蕪村
  西の旅朝な朝なの新若布   阿波野青畝
  入水せし御髪に似たり須磨和布   阿波野青畝
  みちのくの淋代の浜若布寄す   山口青邨
  蛸提げて襤褸の如く若布負ひ   福田蓼汀
  築地沿ひに行きて消えたり若布売り   波多野爽波
  若布売雲美しき坂急ぐ   加藤夕雨
  若布負ひ歩く青空幾尋ぞ   友岡子郷

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