春になると枯れ色の中から草の芽が生えそめ、やがて双葉から本葉が生えて来る。その頃の薄緑の草を若草と言う。若々しく、しかし手荒に扱えばすぐに萎えてしまいそうな繊細な草である。そんなところから万葉集から古今集の時代には、「若草」は新婚初夜の枕である新手枕(にひたまくら)や「妻」の枕詞とされた。若草の初々しさが当時の人々には極めて印象的に受け止められていたのであろう。
このように「若草」は古代から人々に喜ばれ詩歌に詠まれ、それが俳諧にも受け継がれて芭蕉をはじめ古句にも沢山の作例がある。さらに、明治になって西洋の詩に触発されて生まれた新体詩で「若草」という詩語には新たなニュアンスが付け加えられ、それが近現代俳句に影響を及ぼすようになった。特に島崎藤村が明治34年(1901年)に発表した「落梅集」の中の「千曲川旅情の詩」などは人口に膾炙し、俳句にも大きな影響を与えた。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草も藉く(しく)によしなし しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る」 ここでうたわれた若草はそれまでの俳諧に登場する若草とはまたちょっと違った、青春のロマンや憂愁を帯びている。「若草」という伝統的な季語は、こうして新しい雰囲気をまとい現代俳句へとつながっているようである。
若草と同じような趣の季語に「春の草」「下萌」がある。「下萌」は若草になる少し前、茶色の地面から黄緑の萌芽を出し始めた様子であり、春の兆しをいちはやく捉えたものである。一方、「春の草」はもう少し広く、春になって萌え出したところからかなり育った頃までの若草全般を指し、春を謳歌する趣がある。
「若草」と「春の草」は時期的にも重なる部分が多く、ほとんど同じような意味合いの季語として用いられてはいるが、若草の方がそのみずみずしさ、柔らかさなど、生え初めた草そのものが持っている性質をより強く前面に押し出した言葉であると言えよう。これがもう少したって、緑を増して来ると「草若葉」という季語になる。
またこれに関連して「雀隠れ(すずめがくれ)」という面白い季語もある。これは若草が萌え出してほんの少し丈が高くなり、ちょうど雀が隠れるほどになったところを言う。
このように若草という季語は、春になって万物生動する喜び、萌え出づる生き生きとした様子を示すキーワードである。その瑞々しさ、新鮮さを喜ぶ句が多い。
前髪もまだ若草の匂ひかな 松尾芭蕉
若草に口ばしぬぐふ烏かな 野沢凡兆
わか草に背中をこする野馬かな 小林一茶
若草や水の滴る蜆籠 夏目漱石
若草や蹄のあとの水たまり 会津八一
若草の土手や家鴨を追ひ下す 中山踏青
若草や人よりも先き歩く癖 高木晴子
若草に拡げし伊勢の案内図 伊藤式郎
若草に養蜂箱をどかと置く 酒井土子
若草をむしり用事を伸ばしをり 須川洋子