若鮎(わかあゆ)

 鮎という魚はまれには二年生きるものもあるが、大概は一年で一生を終えるはかない命の生き物である。秋に川底で孵化した稚魚は流れに乗って海に出て、沿岸部の比較的水温の高い岩礁地帯で微細な動物プランクトンを食べながら越冬、春になると体長五センチばかりになって、川を遡って来る。

 二月から四月にかけて川を盛んに遡って来るのが「若鮎」で、春の季語になっている。川中の段差を飛び越えようと若鮎が群れをなして集る。これをすくい取るのが「鮎汲み」、こうした小さな鮎は「小鮎」「上り鮎」とも言われ、やはり春の季語である。高級天ぷら店が春の演し物の一つにしたり、上等な佃煮である若鮎飴煮になったりする。

 若鮎はせっせと藻を食べて大きくなりながら上流に遡上り、藻がびっしり生えた石がごろごろしているような場所を住み処にする。一メートル四方ほどの縄張りを設けて伴侶を見つけ、産卵、秋になると身体に斑紋を浮かべた「錆鮎」となり、「下り鮎」「落ち鮎」となる。若鮎が春、鮎が夏、落ち鮎、錆鮎は秋の季語である。

若鮎はその名の通り、若さに満ちあふれた元気な魚である。かなりの急流も遡る。鯉の滝登りという言葉があるが、若鮎もひけを取らない。川底に段差ができて、小さな滝のような流れになっている所にさしかかると、一旦そこで小休止するかのように群れを作ってたゆたう。やがてぴょんぴょんと跳びはねて段差を越え、うまく飛び越えたものはさらに上流へと遡って行く。この瀬に突っかかって来る若鮎に網を差し伸べて掬い取るのが古来行われた「鮎汲み」だが、人間というものもずいぶん阿漕なことをする動物である。瀬を越えられない小鮎は付近にとどまり餌をあさって体力をつける。そこに釣り糸を差し伸べて釣るのが「若鮎釣り」である。

しかし今では日本全国、おおむね鮎釣りの解禁日は六月一日ということになっているから、若鮎釣りも鮎汲みもほとんど見られなくなり、季語としての「若鮎」はほとんど想像上のものとなってしまっている。ただ、春先に日本各地の沿岸部や琵琶湖周辺などで養殖用の稚魚を捕獲することは行われており、それらに昔のよすがを窺うことは出来るかも知れない。こうして捕った若鮎を二ヶ月ばかり養魚場で太らせ、河川に放流し解禁日の釣り人を待つ仕組みである。

鮎は一年魚であることから「年魚」と書かれ、いい香りがすることから「香魚」とも書かれる。大昔から日本人がこよなく愛した魚で、日本中至るところの河川にいたから、馴染も深かった。万葉歌人の大伴旅人が大宰帥として福岡に赴き、肥前唐津の松浦川に遊んだ時に詠んだ鮎の歌が万葉集巻の五に載っている。「遠つ人松浦の河に若年魚釣る妹がたもとを吾こそまかめ」「春されば我家の里の河門には年魚児さばしる君待ちかてに」といった歌だが、ぴちぴちとした若年魚(わかあゆ)の姿とともに、それを釣っている漁師の娘達の健康美に魅せられている旅人の心情も生き生きと伝わって来る。

若鮎という季語は、ぴちぴちした元気溌剌な感じとともに、清流の魚らしい清冽さを合わせ持っている。


 若鮎やうつつ心に石の肌       稲津 祇空
 若鮎や谷の小笹も一葉行く      与謝 蕪村
 若鮎の二手になりて上りけり     正岡 子規
 若鮎や道は高きに峡の川       松根東洋城
 のぼり鮎すぎてまた来る蕗の雨    加藤 楸邨
 若鮎の飴煮つめゐる小暗きに     加藤 耕子
 若鮎のおどろき割れし群二つ     細見しゅこう
 若鮎を焼いて八方不義理かな     笠川 弘子
 若鮎の無数のひかり放流す      和田 祥子
 次々と水に刺さりて上り鮎      小島  健

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