バレンタインデー

 2月14日、キリスト教の聖人セント・バレンタインの祝日である。西暦二七〇年、ヴァレンティヌス(バレンタインは英語読み)はローマの司教だったが、キリスト教に対してあまり寛容ではなかった皇帝クラウディウス2世によって逮捕投獄され、撲殺されてしまった。その殉教したのがこの日とされている。

 この当時、ローマ帝国内ではキリスト教は非合法とされていた。日本と同じように八百万の神々を祀っていたローマでは、一神教のキリスト教信者はローマの神々や皇帝を敬わず、人々を惑わせる不逞の輩とみなされていたのである。それにもかかわらず帝国内には信者が増加し続けたため、歴代皇帝はしばしば禁教令を出した。西暦250年には皇帝デキウスがローマ帝国全土に「国民はローマの神々の祭壇に犠牲を捧げて祈り、その証明書を受けること」という勅令を発した。これは江戸時代に徳川幕府が行った踏み絵と同じようなもので、敬虔なキリスト教信者には到底やれることではなく、次々に逮捕され死罪になった。

 デキウス帝は翌年、黒海沿岸でゴート族との戦争で戦死したため、この禁教令はうやむやになったが、その2年後にライン地方の司令官だったヴァレリアヌスが皇帝になると再び過酷な迫害が行われるようになった。ローマのキリスト教信者は、地下の墓地が神聖視されて踏み込まれないところから、このカタコンベに籠り、文字通りの地下活動を行ったりしていた。このように、ある皇帝の下では厳しい禁教令と迫害、次の皇帝の下では黙認状態というようなことが繰り返されたあげく、ようやく西暦313年になってコンスタンティヌス1世がキリスト教禁教令を廃止し教会を法的人格あるものとして認める「ミラノ勅令」を出すに及んで公認された。聖バレンタインは、キリスト教にとって激動の時代の犠牲者の一人だったのである。

 撲殺されるに及んでも愛を説いて止まなかったということから、その殉教日があまねく愛情を分かち合う日とされるようになったようだが、それがずっとずっと後にアメリカに伝わると、夫婦や恋人同士で恋文や贈り物を交換する日になった。さらにそれが第二次大戦後、占領下の日本に伝えられるや、「女性が男性に愛を打ち明けても良い日」とされ、女から男へ贈り物をする習慣が生まれた。この日アメリカではハート型のチョコレートを贈り合うのがよく見られたことから、1950年代末に日本の倒産しかけたチョコレート会社が「バレンタインデーにはチョコを贈りましょう」とやったところ大当たり、今では「義理チョコ」という言葉まで定着するほどになった。

 「バレンタインデー」の一語だけで八音も占めてしまって、句にしにくいせいか、「愛の日」という言い換え季語もある。しかし、愛の日というのは何とも取ってつけたような、歯が浮くような響きで、俳句的感覚とはとても相容れないように思う。それならばいっその事、「チョコ贈る」を季語にした方が良いのではなかろうか。キリスト教的風土とはほとんど無縁の日本で、ましてやヴァレンティヌスの何者たるかを全然知らない人たちが、チョコをやったり取ったりして、感激したり、にやにやしたり、とまどったりする日である。なかなか面白いし、微笑ましさもある。「愛の日」などと言うよりはずっといい。さらに言えば、チョコレートが一年中でこれほど脚光を浴びる時はないのだから、「チョコレート」を春の季語に加えてもいいように思う。昔の俳人が春を感じる菓子として「鴬餅」「草餅」「桜餅」などを季語に立てたように、現代の俳人が洋風菓子の中から春を感じるものを季語として選ぶとすれば、チョコは有力候補であろう。

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  バレンタインデー片減り靴を磨きあぐ   横山左和子
  バレンタインデーか中年は傷だらけ   稲垣きくの
  愛の日やコクトーの詩とチョコレート   富崎梨郷
  老教師菓子受くバレンタインデー   村尾香苗
  薔薇抱いてバレンタインといふ日かな   友田美代
  妻さへも義理めくバレンタインデー   細谷定行
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