麗か(うららか)

 春の気持良さをうたう際に用いられる代表的な季語として、「暖か」「麗か」「のどか(長閑)」の三つがある。

 「暖か」は「温し(ぬくし)」とも言い換えられるが、暑くもなく寒くもなく、気持の良い温度の春の好日を喜ぶ言葉である。「長閑」はそういう気持の良い日に巡り合って、心がのびやかに、くつろぐ気分を言う。それに対して、「麗か」は主として視覚を通した春の心地よさである。

 長く厳しい冬が去って、やわらかな陽の光が射してきた。草木が芽吹き、花咲き始め、あたり一面あらゆるものが陽光を浴びて照り輝き、人々の顔つきもなごんできたようだという情景を「麗かな日」とか「春うらら」と形容する。寒さに縮こまっていた人や動物がのびのびと振舞い、草木が萌え出す春の日の美しさにこころが和む風情である。

 漢和辞典によると、漢字の「麗」という字は鹿の角がきれいに二本並んだ姿を表わしたもので、元来は「連なる」とか「並ぶ」ということを意味する文字だったという。しかし、左右対称にすっきりと並んだ形はまさに美しいから、「すっきりと美しい様」を表現する文字としても使われるようになった。「綺麗」「美麗」「艶麗」「壮麗」あるいは「麗筆」「麗人」といった使われ方である。

 これに対して、日本語の「うららか」は古代からあった「うらうら」と同系統の言葉で、万葉集巻十九の最後にある大伴家持の「うらうらに照れる春日に雲雀あがりこころ悲しも独りしおもへば」という歌からも解るように、ぽかぽかした春の陽射しを形容する擬態語から出て来たようである。そういう、「うらうら」とした陽光に照り輝く自然や人間は自ずから美しく見えるから、春の日を言祝ぐ気持もこめて「うららか」という言い方が定着したのではあるまいか。そして、中国から漢字が伝わって来た時、万物が生成し美しい景色を取り戻す春の日の気分を表す文字として、同じような意味の「麗」を見つけ出し、「麗か」という用法が定まった。

 「俳諧歳時記栞草」は「遅日江山麗」という春の山川の美しさをうたう杜甫の詩を引いて、「春色の百花咲き乱れ、鳥獣山川までもいろめきて春をかざる意也」と述べている。やはり人の目を喜ばす春景色をいう言葉として「麗らか」を捉えている。

 「うらら」「うららけし」「うらうら」「日うらら」「麗日」などとも用いられる。もちろん句作の上では「長閑」「暖か」とも重複した気分がある。

  麗かや松を離るゝ鳶の笛   川端茅舎
  うららかや猫にものいふ妻のこゑ   日野草城
  うららかにきのふはとほきむかしかな   久保田万太郎
  吊革にぶらさがりてもうららかや  山口青邨
  石三つ寄せてうららや野の竃   福永耕二
  うらゝかに何不安なき日の如し   石塚友二
  うらゝかやけふのひと日は家に居む   及川貞
  うららかや長居の客のごとく生き   能村登四郎
  病む人へ麗日待ちて文を書く   古賀まり子
  木曽うらゝ宿の並びの櫛問屋   森田峠

閉じる