3月から4月にかけて、野原や土手、田んぼの畦道など日当たりの良いところに盛んに生える。何もない地面に、いきなり筆のようなものがにょきにょき生えて来る様子がユーモラスだ。いかにも春の喜びを伝えるように見え、江戸時代から俳句に詠まれてきた。
街の中を小川が流れていたり、町はずれに行けば野原や畑があった昔、子供たちは土筆取りに興じ、「ツクシ誰の子スギナの子 お前誰の子コジキの子ォー」などと仲間同士じゃれ合っていた。その通り、土筆は杉菜の子である。
スギナはトクサ科トクサ属に分類されるシダ植物で、なんと3億年以上も前から生き残っている生きた化石でもある。栄養茎のスギナは地下茎をぐんぐん伸ばして勢力圏を広げる一方、胞子茎と呼ばれるツクシを生やし、胞子を飛ばして子孫を処々方々にばらまく。だから今日でも都会の真ん中の地上げでビルが壊された空き地にも、いつの間にかスギナが生えて来る。畦道や小川がコンクリで塗り固められたって、スギナはしたたかだから、休耕田が生まれたりすればその翌年にはもう生えて来る。しかし、土筆は適当な栄養分がないと生えないらしく、赤土がむき出しになった地上げ跡などではスギナばかりということが多い。
スギナは冬になると緑の葉がすっかり枯れてしまい姿を消す。しかし地下茎はちゃんと生きており、春になったら早速芽生えるように地中でツクシを育んでいる。その頃のツクシは、茎を輪状に取り巻く袴と呼ばれる茶色の葉で覆われている。春になって地上に芽生えると、ツクシは先端の筆の穂先のような胞子嚢を突き出し、袴と袴の間の節を伸ばして背伸びする。暖かい日には1日で2、3センチも伸び、あっと言う間に10センチほどに育ち、緑色の胞子を飛ばし、やがて穂先も軸もひからびたようになってしまう。
生え出して間もなくの土筆は食べて乙なものである。筆の穂先のような頭が締まっている、つまりまだ胞子を飛ばしていない若い土筆を摘んで、袴をむしり取る。このハカマ取りが大変面倒で、しかも土筆は茹でるとぺしゃっとなって分量か減るから、かなりたくさん摘んでおかないとおかずにならず、従ってハカマ取りが一仕事になる。
とにかく袴をとって水洗いし、ザルにあげて水切りした土筆4、5本に溶いた小麦粉の衣をつけて油で揚げる。香り良く歯切れも良い「土筆の天ぷら」。これぞ自然の恵みという感じがする。
きれいにした土筆を熱湯で4、5分茹で上げたものを材料に、玉子とじにしてもいいし、茶碗蒸しや吸い物の実にしてもいい。三杯酢で酢の物にすると土筆の味わいが一番はっきり感じられるが、酢味噌和(すみそあえ)も旨い。ちょっぴりほろ苦く、野趣豊かな味わいがある。苦味が苦手なら、茹で上げた土筆を1、2時間冷水に浸しておくとかなり薄れるが、食べてみてなんとなく物足りない感じにもなる。
バケツに一杯もの土筆が取れたら(今時はもうそんなに沢山取れそうもないが)、茹で上げたものを出汁と醤油、砂糖少々、みりんで煮詰める。煮る時に細切りの油揚げを入れると旨味が増す。とても美味しい土筆の佃煮が出来る。電気釜がチンと鳴って蒸らしに入る時、この土筆佃煮を入れて蒸らすと土筆飯の出来上がり。茶碗によそった上に彩りで刻み三つ葉や芹をぱらりと振れば、どんな料亭にも負けない春の御膳。
土筆の親のスギナには昔から薬効があると言われ、スギナを乾燥したものは「問荊(もんけい)」と名付けられた生薬である。これを煎じて利尿、膀胱炎、肋膜、肺結核の薬とした。当然、子供である土筆にもそれなりの薬効がありそうだ。最近、土筆が花粉症に効くという話を耳にした。
取っても取っても生えて来るスギナはお百姓から忌み嫌われていた厄介者だが、もしかしたらそのうちにスギナ栽培が始まるかも知れない。
土筆は江戸時代には「つくづくし」と呼ばれていたらしい。古句にはつくづくしと詠んだものが多い。「つくしんぼ」「筆の花」とも詠まれ、「土筆野」「土筆摘む」「土筆和(つくしあえ)」という季語もある。
見送りの先に立ちけりつくづくし 内藤丈草
つくづくしここらに寺の跡もあり 加賀千代所
ほうけたる土筆陽炎になりもせん 正岡子規
妹よ来よここの土筆は摘まで置く 高浜虚子
まま事の飯もおさいも土筆かな 星野立子
土筆摘む野は照りながら山の雨 嶋田青峰
土筆土割り小学生の浄き脚 大野林火
病子規の摘みたかりけむ土筆摘む 相生垣瓜人
土筆の袴取りつつ話すほどのこと 大橋敦子
年よりの食の細さよ土筆和 草間時彦