蒲公英(たんぽぽ)

 蒲公英と書いてたんぽぽと読ませるが、今ではこれを読める人が少なくなったせいだろうか、それとも、何でこれがたんぽぽと読めるのだと疑問をぶつける人が多くなったせいか、近年はほとんど平仮名書きである。俳句でも「たんぽぽ」と書くことが圧倒的である。

 曲亭馬琴の「俳諧歳時記栞草」春の部には、蒲公英ではなく「蒲英公」として「たんぽぽ、つづみぐさ」のルビが振ってあり、その解説には『[本朝食鑑]俗に藤菜と称し、或いは鼓草と称す。倶に名義未詳。[雑談抄]タンポポの名、鼓草といへる名よりでたる歟』とある。

 おそらくタンポポは日本に大昔からあって、「たんぽぽ」とか「ふじな」「たな(田菜)」と呼ばれていたのだが、後に中国から入って来た漢字の蒲公英を宛て、読み方は最も一般的な「たんぽぽ」としたのであろう。それではこの植物をなぜ「たんぽぽ」という奇妙な響きの言葉で呼ぶようになったのか。馬琴も首をひねったが突き止められず、「未だ詳らかならず」とあきらめている。

 その後も、いろいろな人がたんぽぽの語源探索を行っているが、子供たちの遊びが元になったのではないかという説が有力である。たんぽぽは子供たちが駈け回る野原や土手や田んぼのあぜ道など、どこにでも生えて、春になると花を咲かせる。咲いた後には白い綿毛がびっしりと冠状に出て、それに息を吹きかけると一斉に大空に飛んで行く。大昔から子供たちの大好きな草であったに違いない。たんぽぽはまだ寒いうちに芽生え、地面にノコギリのようなぎざぎざの葉を放射状に広げる。やがて三月、ロゼット状に散開した葉の中心からするすると茎が立ち、その先端に鼓の形をした蕾をつけ、黄色の花が開く。子供たちは鼓の形から音を連想して「チチポポ、テテポポ」とか「タンポポ」と呼び習わしたという。民族学者柳田国男の説である。

 田んぼのあぜ道などによく生え、昔はその若葉を摘んで食用にしたので「田菜(たな)」の方が呼び名としては古いようである。その「たな」が「たん」に変化し、綿毛がほほけるという特徴を語尾につけて「たなほほ」と言ったのが、やがて「タンポポ」に変わって固定したというのは『大言海』などの解釈である。

 たんぽぽの花茎は中が空洞になっていて、簡単に手折れる。花が咲いた時や綿毛をつけた時、子供たちはこれを折り取っては遊び道具にした。茎を短く折って両端を裂き、水にちょっと浸けると、反り返って車輪のような、鼓のような形になる。ここから鼓草という名前が出たという説もある。いずれにせよ、たんぽぽは昔から人の暮らしに溶け込んでいた野草である。

 たんぽぽは北半球の温帯から寒帯にかけてざっと二千種類もあるという。日本にはエゾタンポポ、カントウタンポポから四国、九州あたりに多いシロバナタンポポなど在来種が十種類ほどある。

 ところが明治時代になって札幌農学校の米人教師ブルックスがセイヨウタンポポの種子を持ち込んだのをはじめ、フランスからも野菜の種子として輸入された。これがどんどん増えて野生化し、今日では全国至る所にはびこって、日本古来のカントウタンポポなどをすっかり駆逐してしまった。セイヨウタンポポの方がやや大型で、花を包むこけら状の総包片の一番下のところが反り返っているので簡単に識別できる。いま東京近辺の空地や野原で見られるたんぽぽは十中八九、外総包片が反り返ったセイヨウタンポポである。

 今日ではたんぽぽを摘んで晩のおかずにする家など滅多に無いだろうが、明治初期までは盛んに食べていた。若葉を湯がいてお浸しにしたり、汁の実や胡麻和えなどにすると、やや苦くてごわごわした舌触りだが、香りが良くて美味しい。また、タンポポにはゴボウのような根があり、これを掘り取って千切りにし炒め煮にすると野趣豊かなキンピラができる。葉と一緒に掻き揚げにすると、苦味も気にならず実に旨い。根を刻んで乾燥して煎れば、素晴らしいコーヒーができる。

 元来、「蒲公英(ほこうえい)」は漢方薬であり、感冒、気管支炎、乳腺炎、利尿、強肝、強壮に効ありとされている。ただし、たんぽぽの根は地中にかなり深く潜っており、手で引っ張っただけではとても抜けない。スコップで丁寧に掘り出さなければならないから、キンピラや掻き揚げの材料になるほど確保するには、かなりの時間と掌に豆を作る覚悟が必要である。

 フランスでは今日でも立派な野菜として改良品種が栽培されている。花や根はお呼びではなく、もっぱら葉を柔らかく大きくして、苦味を薄めた食用タンポポである。日本でも最近は栽培されるようになり、スーパー店頭などでも見かけるようになった。とにかくこれがフランス料理の付け合わせやサラダなどになって出て来ると、今どきの人たちは何かとてつもなく貴重な野菜のように思い込む。それでわざわざ輸入たんぽぽやフレーム栽培のものをデパートの地下などでバカにならない金を出して買う。春の野に出てたんぽぽの若葉を摘んで来た方が、ずっと美味しいサラダになるし、気分も爽快になるはずなのだが、そんなことには全く気がつかない。もっとも近ごろの都市近郊では道路は舗装され、畑には除草剤が撒かれ、たんぽぽの生育もままならなくなっている。

 昔はたんぽぽは家の周りや道端にも生えていて、めずらしいものでも何でもなかった。せいぜい子供の遊び道具や青菜の代用品にしかなれなかった。そのせいであろうか、たんぽぽは万葉集、古今集はもとより和歌の世界で取り上げられることがほとんどなかった。それが江戸時代になって、俳諧でようやく詠まれるようになった。こんなところにも卑俗な題材をも積極的に取り上げる俳人たちの面目躍如たるものが感じられる。


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  たんぽぽや折々さます蝶の夢       加賀千代女
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  蒲公英や鮫あげられて横たはる      水原秋櫻子
  たんぽぽや長江濁るとこしなへ      山口 青邨
  行けどたんぽぽ行けどたんぽぽ蝦夷広し  菖蒲 あや
  たんぽぽを折ればうつろのひびきかな   久保より江
  たんぽぽのほとりから砂無限かな     加藤 楸邨
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  たんぽぽが咲いて竪穴住居跡       梅本しげ子

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