竹の秋(たけのあき)

 草木が萌え立ち、若葉の繁り始める四月頃、竹は葉を黄ばませる。里山を眺めていると、コナラ、クヌギなどいわゆる雑木の黄緑色の新芽が緑に変わるのと対照的に、竹の下葉は黄色から白っぽくなって、やがて散り始める。そして普通の草木が黄や紅に変わる頃、竹は春に生えた筍が立派な若竹に生長して盛んに青さを際立たせる。まるで反対なので「竹の秋」という春(晩春)の季語と、「竹の春」という秋の季語が生まれた。

 古くは陰暦三月の別称として「竹秋(ちくしゅう)」があり、これも口調の関係で「竹の秋」と同様に用いられる。「竹の秋」「竹秋」とも古今の作例を見ると、寂しさを感じさせるようなものはほとんど無い。ただ、一般的に晩春の季語が多かれ少なかれ駘蕩たる感じや物憂さを帯びているのに対して、「竹の秋」は静けさを感じさせるようである。ふわふわ浮き立つような気分の春の、ふとした静寂である。

 それにしても竹というのは不思議な植物である。木だか草だかはっきりしない。すくっと立ち上がって枝葉を茂らせ、堅い幹を持つところなどは立派な木である。しかし木というものは年輪を重ねて年々幹を太らせて行くのだが、竹は筍が伸びて木のようになると幹の太さはそのままで一生変わらない。こんなところは草と同じである。

 竹は地下茎を四方八方に延ばして広がって行く。地下茎の節ごとに根が生え、筍を生じて新しい地上茎(新しい竹)を伸ばす。こうして竹林(竹藪)が出来上がる。つまり大きな竹林は全ての竹が繋がった一本の木なのである。普通の草や木は大概は毎年時期が来れば花を咲かせ、実を付け、それが熟して落ちたり鳥に食われたりして新しい場所に子孫を増やすのだが、竹は花も咲かなければ実も成らない。絶対に成らないというわけではなく、種類によって異なるが六十年から百二十年たつと花が咲き、実を付ける。そして長い一生を終えて枯れる。元々一本の木だから、花咲き実ると竹藪全体が枯れてしまう。

 竹は北米とヨーロッパ以外の地球上の熱帯、温帯、寒帯にかけてざっと六百種類くらいが自生している。大きく分けて、高くすくっと伸びるタケと、背の低いササ、熱帯地方に多い株立ちになるバンブーの三種類がある。日本にはもともと自生していたササと、多くは中国からもたらされたタケが合わせて百二十種類ある。

 タケとササの違いも厳密にははっきりしない。一般的には筍が生長して一本立ちになる時に皮がはがれ落ちてしまうのを竹と言い、成長してからもかなり長期間皮が幹を包んでいるのを笹と言うようだが、これも便宜的な分け方なのだという。せいぜい人の膝の高さくらいにしかならないオカメザサは実はタケで、高さ六、七メートルにもなるメダケ(女竹)はササの特徴をより濃く備えている。

 日本の代表的な竹である孟宗竹は江戸時代初期に中国江南地方から琉球を経て鹿児島に伝わった新顔である。最も美味な筍を生やし、材がいろいろ利用出来ることから瞬く間に全国に広がった。その他、マダケ、ハチク、クロチク、ホウライチク、ナリヒラダケ、シホウチク、ヤダケなどがよく知られる種類。ササは日本固有植物だけに種類が多いが、東北、北海道に多い旨い筍が出来るチシマザサ(ネマガリタケ)、葉で鮓や餅を包むチマキザサ、広葉に白い縁取りのあるクマザサなどが親しまれている。

 竹は中国からの帰化植物とされているが、孟宗竹を除けば、大昔に渡来したものである。奈良平安の昔から人々に親しまれ、生活のあらゆる場面に竹が顔をのぞかせている。伐採して十分乾燥させると強度を増し、弾力性があるところからいろいろなものに加工され、利用された。建築用としては柱や床材になり、壁土を塗り込める骨組みの木舞(こまい)になる。外壁や垣根になり、縦半分に割って樋や筧(かけい)になった。武具としては竹刀、弓、竹槍になる。生活用具としては、ざる、籠、つづら、行李、提灯、行灯、傘の骨、箒、熊手、駕籠、釣竿、魚籠、樽のタガ、団扇、扇子、物差し、箸、串、楊枝、耳かき、孫の手、柄杓、米筒、火吹き竹、物干し竿。子供の玩具としては水鉄砲、紙鉄砲、竹馬、竹とんぼ、運動会のくす玉、楽器には尺八、能管、笙、ひちりき、茶道華道では茶筅、茶杓、花生け、花籠等々、あらゆる面で竹は日本人の生活に無くてはならない材であった。

 竹、笹には薬効成分があり、マダケの葉を煎じた生薬「竹葉(ちくよう)」は解熱、利尿に、マダケやハチクの茎の内側の白い部分を削り取って干した「竹茹(ちくじょ)」は解熱、吐き気止めの薬である。またチマキザサ、クマザサの葉は殺菌作用があり、食品の包装材として古くから利用され、今日では薬効目的よりは美的効果から料理屋で刺身や鮨の枕に使われている。

 青々と真っ直ぐに伸びる竹は清涼感があり、古来清浄のシンボルと目されたのであろうか、神が降臨する依代(よりしろ)とされた。今日でも地鎮祭で四方に竹を立て、注連縄を張って神主が祝詞をあげる。正月には竹を松と束ねて門松を飾る。竹に松と梅を合わせた目出度い「松竹梅」、梅、蘭、菊と竹を合わせ高貴な植物を称える「四君子」という言葉もある。

 とにかくこの不思議な竹という植物。万物こぞって成長を寿ぐ春に黄ばんで行くという有様に、昔の歌人、俳人は興味を抱いたのだろう。「春とはいえど浮かれ騒ぐばかりが能ではない」と、一風変わった季語「竹の秋」を詠み継いできた。


  いざ竹の秋風聞かむ相国寺     大伴大江丸
  空深く蝕ばむ日かな竹の秋     飯田 蛇笏
  夕方や吹くともなしに竹の秋    永井 荷風
  竹の秋菜園繁りそめにけり     石田 波郷
  竹の秋ひとすぢの日の地にさしぬ  大野 林火
  竹の秋しづかなものに余呉の湖   細見 綾子
  祇王寺は訪はで暮れけり竹の秋   鈴木真砂女
  身のうちを水行くごとし竹の秋   井上三千女
  顔老いし鞍馬の鳶や竹の秋     大峯あきら
  気管支を痛める恋や竹の秋     寺井 谷子

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