この字に「たがへし」とルビを振っている歳時記もある。もともと日本では「耕」は「田返し」であり、田を鋤き返して田植えの用意を調えておく意味だった。それが「たがやし」と変化して、いつのまにか田圃だけでなく畑の土返しにも言われるようになった。
もっとも耕と言う字の成り立ちを考えると、耒(らい=鋤の意味)と井(せい=井田=畑の意味)が組み合わさってできた字である。黄河文明発祥の中国の中原一帯には田圃が無かったから、耕という字は中国ではもっぱら麦畑を耕す意味で使われて来た。ところがこの字を輸入した当時の日本では稲が最も大切な作物であり、鋤などを用いて土を深く掘り返す作業はもっぱら田圃で行われていたから、これに「たがへし」という大和言葉の読み(訓)を付けた。
雪や霜で固くなっていた田畑は、春になると一斉に掘り返され、土を細かくし、十分に空気を吸わせる。こうして、田ならば稲、畑ならいろいろな野菜を蒔きつける準備をする。春の農村ではどこでも見られる光景である。
耕すことは時に応じて年中行われており、特に秋の収穫が終った後と、厳寒期に土を氷雪にさらして病害虫を殺すために行われる「天地返し」と言われる深耕作業が重要だが、その総仕上げとも言うべき春の耕しが最も大切で、村中総出という感じのものなので、「耕」は春の季語になった。秋の収穫後の耕しは「秋耕」、冬のは「冬耕」と頭に季節を付けることになっている。
昔は牛に鋤を引かせて耕す風景がよく見られたが、今では耕耘機が取って代った。一方、畑では蔬菜類の品種改良が進み、ビニールハウスの普及などもあって、一年中何かが作られている状況になった。重労働の「たがやし」は機械がやってくれるから、年中耕すことも可能である。そんなことから「耕」の季節感も少々薄らいでは来たが、やはり自然の循環力というものは偉大で、春の耕しは相変わらず意味を失わず、依然として行われている。機械音を上げながらの威勢の良い、新しい時代の「耕」風景である。
「耕」と並んで、「春耕」「田打ち」「畑打ち」「耕人」「耕牛」「馬耕」などの季語もある。「耕」だけで春の季語であり、わざわざ春の字をつける必要はないのに「春耕」と言うのは「春の桜」「秋の月」と言うようなものだが、これは「しゅんこう」という音感を尊んでのものであろう。「馬耕」はもっぱら北海道の春の景色であったが、これも今では大型耕耘機になって姿を消している。
耕すや細き流れをよすがなる 与謝蕪村
耕すやむかし右京の土の艶 炭太祇
地のかぎり耕人耕馬放たれし 相馬遷子
耕せばうごき憩へばしづかな土 中村草田男
飯時の田に太陽と耕耘機 榎本冬一郎
気の遠くなるまで生きて耕して 永田耕一郎
春耕や土の匂ひを切り返し 松田信子
耕しの帰りもまたぐ七尾線 木村三男
天耕の峰に達して峠を越す 山口誓子
傍らに須恵器の破片耕せり 西野敦子