春泥(しゅんでい)

 日が上ると霜柱が崩れ、道はたちまちぐちゃぐちゃになる。裏町の路地などは、霜柱は立たないまでも凍てた路面が溶けてぬかるむ。登校の幼い子供たちが下駄の歯をぬかるみに取られてべそをかく。雪でも降ればその翌日は惨憺たるありさまで、家々の羽目板は走り過ぎる車のはね上げる泥がこびりつき泥壁のようになってしまう。春雨があれば通行人は傘を横向けにして車をやり過ごさねばならなかった。

 そのようなわけだから下町の細い未舗装道路に向かい合った家々は、誰が命令するというのではなく、それぞれかまどの灰や石炭、コークスの燃え殻、練炭の灰などを撒いたり、時には炭俵などを敷いて、ぬかるみを固めるのが日課になっていた。昭和も三十年代初め頃までは、東京でも極めてありふれた風景であった。

 東京オリンピックが開かれることになって、都内の主要道路は拡幅され、本格的なコンクリート舗装になり、裏通りも主な道はアスファルトで覆われた。さらにそれから二十数年、バブル期に至って、毛細管のような枝道、昔で言えば長屋の路地までが舗装された。かくて「春泥」は私たちの頭の中にだけ存在する景色になった。どこの家にもかならずあった足駄というものも不要になった。今では「つまかわ」という単語を知らない人の方が多いのではないか。

 このように春泥はとても厄介なものではあったが、一方、いよいよ春なのだなあという気分を実感させるものでもあった。ぬかるみに射す日の光は強さを増し、あたりも明るさを取り戻して来る。鼻の先や耳たぶが凍るような寒さはもうおしまい。南向きの土手には早くもうっすらと緑の芽が顔をのぞかせている。少しばかり浮き浮きとした気分もして来るようである。

 このように厄介極まりない春先のぬかるみ現象を、「春泥」というきれいな言葉に包み込んで詩にしてしまうところが、俳人の心意気というものなのであろう。

 ただ、「春泥」という言葉が季語になったのは明治になってからのようである。山本健吉によると、蕪村の弟子の黒柳召波は号を春泥舎と言い、この言葉が江戸時代にもあったことが明らかだが、この場合は今日使われているような「春の泥」ではなく、「春になじむ」という意味なのだと言う。そう言えば、「泥む」と書いて「なづむ」と読み、「暮れなづむ」(暮れそうでなかなか暮れない=ゆっくりと暮れて行く)という言い方がある。泥が水に溶けてどろどろになり、ねばつくところから出た言葉なのであろうか、「広辞苑」を引くと、「はかばかしく進まない」「離れずにからみつく」「こだわる」「かかずらわって、その事に苦心する」「執着する」「惚れ込む」などとしてある。現代では「泥む」は「馴染む」と混同されて、「馴れ親しむ」意味になってしまい、山本健吉ですら春泥は「春になじむ」ことだと言っている。

 「春泥」は「春に惚れ込む」意味から、「春のぬかるみ」に変って、近代俳句の季語としてもてはやされるようになった。「シュンデイ」という響きも新鮮で、春の訪れを感じさせるのであろうか。「春の泥」という使い方もあるが、こちらはややのんびりと、やさしい春の感じをうたうのに適しているようである。

  春泥や船と地継ぐ板一枚   室積徂春
  ゆるゆると児の手を引いて春の泥   杉田久女
  春泥にうすき月さしゐたりけり   久保田万太郎
  春泥に傾く芝居幟かな   富安風生
  曽根崎の昼闌けにけり春の泥   日野草城
  春泥や石と思ひし雀とび   佐野良太
  春泥の庭に忘れし花鋏   清水凡亭
  春泥を来てこの安く豊かなめし   平畑静塔
  春泥の道を悪夢のつづきかと   上田五千石
  春泥や馬頭観音つんのめり   山田みづえ

閉じる