地表あるいは水面上の気温が場所によって、あるいは層をなして異なる時、空気の密度が違ってくるために光の屈折が変り、地上の物体が空中に浮かんで見えたり、地面に反射して見えたり、遠方の物体が近くに見えたりする現象。街並み、船などが見える。天気が良く、風のない日に現れる。昔の中国人は、この現象を海中に棲む大蛤(蜃)が吐き出す息で空中に楼台を現すと考えて、蜃気楼と名付けた。海の上に浮かぶ街ということから、「海市(かいし)」という別名もある。
日本では富山湾、オホーツク海沿岸地方で見られるのが有名だが、世界各地にあり、海上ばかりでなく沙漠にも現れる。富山湾の蜃気楼は春になり雪解け水が海面を覆い、その上に陸地から暖かい空気が流れ込んで気温の逆転層ができるために起る現象。春によく起る現象なので、春の季語になった。
蜃気楼ほど大規模ではないが、「逃げ水」というのも蜃気楼の一種である。草原や沙漠などで遠くに水面が広がっているように見え、近づくと消えてしまう幻の水。オーストラリアの内陸部では今でもしょっちゅう見られ、人里離れた所で自動車が故障し、喉の渇きに堪えかねたドライバーがふらふらと逃げ水を追いかけて、死んでしまう事故がしばしば起っている。
日本の場合は逃げ水を追いかけてもそれほど大事には至らず、『東路にありといふなる逃げ水の逃げ隠れても世を過ごすかな』(夫木和歌集)と、ロマンチックな歌題になるくらいである。「逃げ水」も春の季語。ちかごろでは舗装道路が陽射しに焼けて、前方に水溜まりがあるように見え、近づくとまた遠のいて見える情景で、若いひとたちにも理解されている。ゆらゆら立ち昇っているのは「陽炎(かげろう)」である。
季語になったのは割に新しいらしく、古句で蜃気楼を詠んだものは見当らない。現代句でも、不思議、幻想の光景と対した人間、その気分を詠んだものが多い。こういう珍しい句材の場合、珍しさに引きずられてしまって、句が作りにくくなることがありそうである。
どこまでが雲どこまでが蜃気楼 上野たかし
巨き船出でゆき蜃気楼となる 山口誓子
太刀魚をさげて見てゐる蜃気楼 新田了葉
海に入る道はなかりき蜃気楼 三橋敏雄
ものいはぬ女の佇てり蜃気楼 加藤三七子
海市見せむとかどはかされし子もありき 小林貴子
蜃気楼将棋倒しに消えにけり 三村純也
海市からとしか思へぬ郵便物 仲寒蝉