北ヨーロッパ原産のスミレ科スミレ属の植物で、イギリスで園芸品種として栽培改良された。花弁が紫、黄、白の三色になるので三色菫という和名がつけられた。学名もヴィオラ・トリカラーと言う。また花弁が蝶の羽根のように見えるところから胡蝶花、遊蝶花とも呼ばれる。英名のパンジーは花がチンパンジーの顔に似ているところから出たという珍説がある(雄山閣「新版俳句歳時記」)。確かにこの花をじっと見つめていると、猿が笑っているように見えないこともない。しかしpansy はpansee (思うの古語)から出たもので、この花を見ていると人を想うようになるから、という説(研究社「新英和大辞典」)の方が、この花にはふさわしいようである。
日本には江戸時代後半には既に持ち込まれていたと言われるが、どういうわけかあまり流行らなかった。明治、大正から昭和の初め頃まで、都会のハイカラな家庭の花壇の彩りや鉢植えとして段々と普及していったが、爆発的に広がったのは第二次大戦後、それも近年になって、一代雑種の華やかな大型の花弁のパンジーが現れるようになってからのことである。
普及度から言えば、パンジーは洋風の花の中で群を抜いているのだが、未だにこれを独立の季語として立てずに、「菫」の傍題として掲げる歳時記が多い。クロッカスやヒヤシンスが堂々と季語として一本立ちしているのと比べると、ちょっと不公平な感じもする。やはり日本人には万葉の時代から菫と言えば、野生の小さくて可憐な濃紫の菫こそスミレなのだろうか。『山路来てなにやらゆかしすみれ草 芭蕉』であり、『菫程な小さき人に生まれたし 漱石』の気分である。これに対して、「わたしキレイでしょ」と言わんばかりのパンジーを敬遠する気風があったのかも知れない。確かにこの花はどっしりとした落ち着いた建築物にはあまりそぐわず、どちらかと言えば今風の建売住宅によく似合う。と言っても、これはパンジーに対する悪口というわけではなく、まだ寒さの残る街角の公園や家々の窓辺などを彩っているのを見つけると、よくもまあ咲いていることよと、その健気さに打たれるのである。
「パンジー」あるいは「三色菫」が俳句に盛んに詠まれるようになったのは比較的最近のことである。そして、かなり過酷な条件の下でも次から次に花を咲かせるパンジーという花の持つ性格を映してか、小市民的幸せを詠うものが多いようである。
三色菫買はしめおのれやさしむも 森澄雄
パンジーをつまむやひと目避けながら 加藤楸邨
パンジーは考へる花稿起こす 下村ひろし
三色菫勤勉をただ誇とし 藤田湘子
パンジーの仔熊の顔に似たりけり 森田峠
遊蝶花風たつときの思ひかな 森本芳枝
パンジーがこちら向くから涙拭く 近藤三知子
パンジーの黒き瞳にある嘘すこし 田川信子