おたまじゃくし

 その形から蛙の子を「お玉杓子」と名付けたのだろうが、実にうまいものである。子供が言い出したもののような気がする。

 春になって水がぬるんで来ると、池や小川には透きとおった太いうどんのような紐がとぐろを巻いている。これがヒキガエル(ガマガエル)の卵で、やがてその中から真っ黒なオタマジャクシがうじゃうじゃ生まれて来る。日本の田舎でよく見られるアカガエルやトノサマガエルは田圃や溝のなかなどにひっそりと卵を産みつけるので、一般には卵の段階ではあまり目立たない。モリアオガエルは池の回りの木の枝に泡状の塊を作り、その中に卵を産み、孵ったオタマジャクシがぽとぽとと水中に落ちていく。

 第二次大戦後も昭和40年代までは首都圏の住宅地の周辺にも池や小川が残っており、おたまじゃくしはごく普通に見られた。しかし開発が進むにつれ、池は埋立てられ、小川は暗渠になってしまった。かろうじて残された川も下水が流れ込み、とても蛙の住める環境ではなくなり、お玉もすっかり消えてしまった。

 昔の子供たちは春になっておたまじゃくしが現れ始めると、「オータマジャクシハカエルノコ、ナマズノマゴデハナイワイナ、ソーレガナニヨリショーコニハ、ヤーガテテガデルアシガデル」と皆で唄い囃したものであった。しかし今ではおたまじゃくしもナマズも本物を知っている都会っ子は数少ない。黒い楕円の玉の後ろについた尻尾を懸命に振って泳ぐ虫とも魚ともつかない生きものに、やがて手足が生え、尻尾が消えると可愛い小さな蛙になる。その変化を見つめる子供たちは知らず知らずに自然の驚異というものを感得していった。ゲーム機の液晶画面の上で得体の知れないものが変身するのを眺めているのと比べれば、こちらは実体のある変身であり、真の感動を与えるものである。住みやすい環境を作るという名のもとに、おたまじゃくしの住める場所を無くしてしまった大人の責任は大きい。

 おたまじゃくしのことを中国語で「蝌蚪」と言い、昔の俳人はこの字を「かへるご」(蛙の子)という古い和名で読んで用いていた。明治以降これを「かと」と音読みして使うことが多くなった。今日でもおたまじゃくしの句は「蝌蚪」を使用する例が圧倒的に多い。山本健吉は「俳人は『かと』とも音読して用いている。あまり好ましいこととは思えないが、虚子が用い、俳人たちは滔々としてこれに従い、大勢如何とも抗しがたい」と「日本大歳時記」の解説で嘆いている。確かに今どき「蝌蚪」などと言っても世間には通用しない。なるべくなら誰にでも分かる言葉を用いる方がいい。しかし、作句上「おたまじゃくし」と六音も占めては無理が生じることもあろうし、「おたまじゃくし」という響きが少々子供っぽい感じになり、心境を吐露するのにそぐわないということもあろう。そこで「蝌蚪」の乱用になるのだろう。

  天日のうつりて暗し蝌蚪の水   高浜虚子
  降りそそぐ雨にかぐろし蝌蚪の陣   高橋淡路女
  川底に蝌蚪の大国ありにけり   村上鬼城
  友を食むおたまじゃくしの鰓かな   島村元
  蝌蚪うごめくピカソの訃報伝へ来て   山口青邨
  病みて長き指をぬらせり蝌蚪の水   石田波郷
  飛び散って蝌蚪の墨痕淋漓たり   野見山朱鳥
  おたまじゃくし父を捜せり母捜せり   加藤かけい
  あるときはおたまじゃくしが雲の中   飯田龍太
  おたまじゃくしむかしむかしの陽をつれて   櫻井博

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