朧(おぼろ)

 春の夜はあらゆるものが朦朧とかすんで見える。ついこの間まで夜はずいぶん冷え込んでいたものだが、もうコートをぬいでもいいようだ。そろそろ夜桜見物の誘いもかかりそうだ。そんな春の夜の情感をたたえた季語が「朧」である。朧という文字まで、いかにも春の夜の駘蕩たる気分を伝えてくれる。

 春の日中は「霞」、それが夜になると「朧」になる。おぼろ現象の代表はやはり春の月であり、これは「朧月」あるいは「月朧」として昔から和歌、俳諧の重要な素材とされ、独立の季語に立てられている。

 三月ともなれば日本付近の上空は冬型の気圧配置がゆるみ、四月にかけて移動性高気圧や低気圧が頻繁に入れ替わる。低気圧に向かって南風が吹き込めばなま暖かく、桜の開花を促し、菜種梅雨とも言われる降り続く春の雨をもたらす。大陸からの高気圧が強ければ寒さが戻って、黄砂を降らせる強風が吹いたり、時ならぬ春の大雪に見舞われたりもする。

 つまり仲春から晩春にかけてのこの時期は天気が不安定になり、晴れ曇りも、寒さも温みも日替わりのようになる。ただ空気中の湿度は冬に比べて高くなるから、日中は霞み、夜は万物がもやがかって見えるようになる。それがまた一入なまめいた雰囲気を醸し出し、日本人はこれを秋の霧とは異なるものとして「おぼろ」という言葉を生み出した。

 水蒸気の微細な粒がかたまって地上近くに漂い、それが光を遮ったり乱反射して、月の回りに暈を作り、同時に万物をぼーっとかすんだ状態に見せる現象。これが朧の正体だが、そんな説明を聞いたからといって俳句ができるわけではない。やはり「おぼろ」という言葉の響きとともに春の夜の情趣を感じ、目と耳と鼻と、場合によっては口までも動員してのんびりとした春の情景を捉え、それを詠う、ということになろうか。

 朧はそれ一語でも句に詠むが、いろいろな物や現象につけて詠むことも多い。たとえば谷がかすんで見える光景なら「谷朧」だし、草原なら「草朧」、庭なら「庭朧」、街灯がぼんやりついていれば「灯朧(燈朧)」。目だけでなく、耳の場合もある。鐘の音が朧夜を通して聞こえて来れば「鐘朧」である。『鵜の岩をとりまく波のおぼろかな 加藤三七子』は「岩朧」「波朧」を詠んだものだし、『寝仕度の鏡のうちの夜のおぼろ 井沢正江』は「鏡朧」という季語である。香りにも朧は付くし、旬の味を味わう時にも朧なる情趣が感じられることもあろう。


  辛崎の松は花より朧にて       松尾 芭蕉
  うすぎぬに君が朧や峨眉の月     与謝 蕪村
  門口のいぢくれ松もおぼろかな    小林 一茶
  朧夜や女盗まんはかりごと      正岡 子規
  泣いて行くウエルテルに逢ふ朧哉   尾崎 紅葉
  別れんとかんばせよする朧かな    飯田 蛇笏
  さる方にさる人すめるおぼろかな   久保田万太郎
  貝こきと噛めば朧の安房の国     飯田 龍太
  おぼろより仏のりだす山の寺     桂  信子
  木屋町や裏川朧あふれけり      石原 清野

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