恋猫、うかれ猫、戯れ猫、春の猫、猫の妻、孕み猫など、すべて春先の猫を言う俳句の言葉である。春先の猫の狂おしい有様は江戸の昔から俳句の格好の素材になって来た。
普段はおとなしく、つんと澄ましてよそよそしい猫が、春先になると前後の見境もつかない狂態を演じる。人間も時にはそうなることもあるし、いっそそうなってみたいと思うこともある。しかしそこまでは踏み切れない。「猫の恋」という季語には、そんな人間の取り繕った様を戯画化した面があるように感じられもし、また、自由奔放な恋に身をやつす姿にうらやましさを感じる人間の滑稽さも込められている。和歌にはこんな品の無い季題は無く、動物の恋と言えばもっぱら「鹿の恋」を優雅に歌うばかりだが、そこは俳諧、俗な猫の方を取った。
世の中には猫好きと犬好きがいて、お互いに相手の愛玩対象の悪口を言いつのって果てしが無い。犬にせよ猫にせよ、良い点、悪い点があるのだが、あえて一点だけ上げるとすれば、猫ほど自分勝手な家畜も珍しい。古代エジプト王朝ではもう家畜化されていたと言うのに、これほど人間に従わない愛玩動物は珍しい。人に飼われて4000年近くたつのに、何事にも自分の意志を通そうとし、我が儘勝手が直らないのである。「お出で」と言ったって、その気がなければ寄っても来ない。これが犬なら、面倒臭そうな顔はしても、お愛想にぱたぱたと尻尾の2、3回も振って近づく素振りくらいはする。そういう点を捉えて、犬好きは猫を恩知らずと謗り、猫好きは猫の独立自尊の態度がたまらない魅力だと言う。
しかし、こういう性格分類も人間の側から見た勝手な判断で、犬や猫にしてみれば「余計なお節介」とうことになろう。動物学者の書いたものなどを読むと、犬と猫は同じ家畜でも習性が全く異なる動物なのだという。犬はもともと集団生活に馴れた動物であり、人に飼われると自らをその家族の一員と思い込み、家族のリーダー、第2位の人、第3位とメンバーの順位付けを行い、自分が何位に位置するのかを判断して、そこに納まって生活していく。ところが猫は元来が単独生活者で、繁殖期と子育て期以外は集団行動を取る習性が無い。家庭に飼われて人間と一緒に過ごしてはいても、それは単に同じ縄張りに住むことを容認し合った仲間に過ぎないのである。一番強そうなリーダーに一目置くことはあっても、その号令で一同力を合わせて獲物を狩り、餌の配分に預かるという、犬が持っているような習性が無いから、家族間の順位付けもへったくれも無い。
犬は絶えず群れの中のコミュニケーションを密にして集団の和を図ろうとするから、「お出で」と言われれば寄って来たりもするのだが、猫はそんなことに少しも重要性を認めない。おししい餌をくれたり、背中が痒くなった時に掻いてくれそうな相手だと判断すれば、すっ飛んで来るだけのことである。
猫が家畜になったのは犬よりはだいぶ新しい。犬は石器時代の人類に飼われているが、猫は古代エジプトの紀元前2000年頃、リビアネコという野生猫が人に飼われ始め、徐々に「イエネコ」というものに固定化していったと言われている。それが西暦700年頃になってヨーロッパにもたらされ、アジア各地にも広まったという。
日本に来たのは奈良時代である。中国から仏教の教典を運ぶ船に積んで来られたらしい。もちろん、貴重な教典をネズミに噛られないようにするために積み込まれたのである。その後、平安時代には貴族の愛玩用に盛んに飼われるようになり、元慶8年(884年)に中国から光孝天皇に献上されたという記録が残っている。もっとも日本には大昔から猫はおり、縄文時代の地層からも猫の骨が出ている。しかしこれはイリオモテヤマネコなどに似た野生猫で、飼われていたわけではなく、むしろ食われていたようである。
犬は狩猟の助けや番犬として役立つから人間が早くから積極的に家畜化した。猫の方は、飼ってやっても本人には飼われている意識が無く、自由気侭に外出するから留守番にもならない。ネズミを取ると言っても、別に人間に命令されて取るわけではない。そういう点では、飼い主の方から見れば恩知らずも甚だしく、十二支からもはずされてしまった。
こうして、猫は人の言うことをさっぱり聞かず、犬ほど役には立たないという認識が行き渡った。しかし何となく面白い動物だということで、まず愛玩用に飼われ、後になってネズミ取りの特技が認められ船に乗せられたり、蔵のネズミを取るということで商家で重用されるようになったりした。このように家畜化されるきっかけからして違うから、猫が今もって勝手気侭なのも無理からぬところがある。
ところで「猫の恋」。猫の発情期は1月から3月が多く、次いで5、6月となっている。この時期になると雌はなんとなく落着かなくなり、下顎を柱などにこすりつけて歩く。その匂いを嗅ぎつけた雄が方々から慕い寄って来る。雄は傍目にも興奮の極に達し、日ごろの縄張りを越えて遠くまで遠征して行く。夜になると赤ん坊が泣いているような声を出して雌の気を引き、だんだんそれが大きくなって、最後には怪獣がうめくような声になる。本来の縄張りの主である雄をはじめ何匹もの雄が寄って、一匹の雌を取り合うから、しまいには組んずほぐれつの闘争になる。
我家の狭い庭はどういうわけか近所の猫の見合いの場所になっているようで、この時期になると近隣の飼い猫、野良猫が参集して深夜から明け方まで騒々しい。家の回りを縦横無尽に駈け回り、物置のトタン板にぶつかってけたたましい音をたてたり、ぎゃあぎゃあ鳴き喚くから、起されてしまう。表の小屋にはシェパードと柴犬の雑種である玄太という犬がいる。体重20キロの中型犬で、太い豚骨を無造作に噛み砕く力がある。もう12歳という老境にさしかかり、人語もかなり理解できる。「猫を追っ払えよ」と言うのだが、恋に狂った猫ほど怖いものはないとばかり、小屋に引きこもって聞こえない振りをしている。
麦めしにやつるる恋か猫の妻 松尾芭蕉
羨まし思ひ切るとき猫の恋 越智越人
巡礼の宿とる軒や猫の恋 与謝蕪村
おそろしや石垣崩す猫の恋 正岡子規
恋猫の皿舐めてすぐ鳴きにゆく 加藤楸邨
眠り薬利く夜利かぬ夜猫の恋 松本たかし
猫の恋猫の口真似したりけり 久保田万太郎
恋猫の恋する猫で押し通す 永田耕衣
眼中に人間なくて恋の猫 加藤瑠璃子
をんなわれを風呂に沈めて恋の猫 加藤直子