鰯の比較的小さなものに塩をして、5、6尾、目玉に藁か竹串を刺して連ねたものを目刺と言う。江戸時代から庶民のおかずとして調法がられ、これを焼く煙が冬から春にかけての下町の景物となってきた。鰯は秋になると沿岸近くに大挙して押し寄せるようになるため秋の季語になっているが、冬から春いっぱい盛んに獲れる。特に冬や春先、気温が低く乾燥する時期は干物作りに絶好の季節であり、漁場の房総半島などで盛んに作られた目刺しが江戸に運ばれた。そんなことから「目刺」は春の季語ということになったようである。
藁しべを鰯の鰓から口に通して何匹か連ねるやり方もあり、これは頬刺と呼ばれる。ただこの方法だと鰯が斜め縦型にぶら下がるようになり、運搬のために箱詰めしたりする際に納まりがよくないせいか、近ごろは都会の魚屋やスーパーで売られるのはほとんど目刺ばかりである。
目刺は、青黒い背中で白銀の腹部に七つほどの星が見える15センチほどのマイワシのとれたてを、さっと干したものが一番旨いようだ。火にあぶると、はらわたのところからじゅくじゅくと脂が染み出して来て、やがてぼっと炎が上がる。熱々のところを頬張ると、旨味が口いっぱいに広がり、海の香りが鼻に抜けるような感じである。はらわたのちょっと苦いのも特徴である。
芥川龍之介の句に「木枯しや目刺にのこる海の色」というのがある。目刺の肌の色は艶やかに光り、泳ぎ回っていた海原の色を思わせるが、今ではいかにも哀れな姿になり、外は木枯し吹いてうら寂しいといった句意であろう。これは「木枯」で冬の句だが、目刺の持つ気分を遺憾なく伝え、趣の深い句である。
ただ、目刺にはどうもうらぶれた感じがつきまとう。目刺を焼いて、朝の残りの味噌汁などをすすりながら飯を掻き込んでいる様子は、何とも貧乏ったらしい。真黒焦げにしないように注意しながら焼けば丸ごと食べられて、香ばしく、実に美味しくて栄養も万点の食品なのだが、この何となく冴えない感じが馬鹿にされて、もう一つ人気が無い。
白子干しのシラスはカタクチイワシの稚魚だが、これが10センチ足らずに育ち煮干しの親玉くらいになったものを、十分に干した目刺は非常に旨い。これはご飯のおかずと言うよりも酒の肴として絶好である。さらに上等なのは、ウルメイワシの堅干しである。うるめは関西地方以西に多く獲れる鰯で、成魚はマイワシより大きく体長30センチにもなるが、これの稚魚、体長10センチ内外のものを、目刺ではなく一尾ずつ丁寧に天日で堅く干し上げる。それを焦がさないように炙ったものは、酒肴としては最上の部類であろう。昔から土佐のうるめ干しが絶品とされているが、今ではその上物は一尾が200円くらいもする。この「うるめ」は目刺と違って冬の季語になっている。
鰯が秋の季語で、うるめが冬、目刺が春とややこしい。鰯は日本近海でほぼ1年中獲れるものなのだが、このように鮮魚と干物で三つの季節に分けられたのは、やはりそれぞれ最も真価を発揮する時期が考えられたためであろう。
雪となりて火のうるはしさ目刺焼く 渡辺水巴
独り焼く目刺や切にうち返し 篠原温亭
ぢか火とて紺青焦げし目刺かな 吉岡禅寺洞
殺生の目刺の藁を抜きにけり 川端茅舎
温泉の町に銀座もありて目刺売る 中村吉右衛門
目刺みなつらぬかれたるかなしき眼 細谷源二
山越えし藁まだ青き新目刺 福田甲子雄
池袋二丁目常の目刺出て 岡本眸
目刺買ふ漢の素顔見られゐて 小川玉泉
頬刺しの千連乾く風岬 小池夏子