季語としては「黄沙」よりは「つちふる」の方が伝統的である。「つちふる」を漢字で書けば「霾」。この字は音読すれば「ばい」であり、古代中国の詩歌集『詩経』には「終風且霾」(終りの風に且たつちふる)という句がある。春三月から五月にかけて、中国北西部やモンゴルでは土埃が大風に吹き上げられて空一面がもうもうとして、黄色い土が地上に降り積もる。こういう奇っ怪な現象を起こすものは妖怪に違いないというわけで、古代中国人は雨冠にタヌキのような字を組合せて命名した。
要するに強風によって高く舞い上がった黄砂が空を覆い、黄塵万丈の状況を作り出す光景を言うのだが、中国奥地で発生したものが偏西風に乗って日本にも飛来し、似たような景色になることがある。近ごろは地球の沙漠化が進行し、中国西域地方やモンゴルあたりでは沙漠が徐々に拡大し、黄砂現象は年々激しさを増しているようである。当然、我が国に飛来する黄砂量も増えており、話題にされることが多くなった。最近の研究では中国の黄砂ばかりでなく、イラクあたりのものまで飛んで来るという。
とにかく春に特有の現象で、昔の日本人も中国大陸から吹く風に乗って来る土埃であることは認識していたようで、「霾」という難しい漢字に「つちふる」という読みを宛てたほか、「胡沙」とか蒙古風、つちかぜ、などと呼んだ。また「よなぼこり」と言う呼び方もある。「よな」とは火山灰を指す古い日本語である。火山国日本ではしょっちゅう噴火があり、火山灰の降ることはしばしばあったから、中国から飛んで来る黄砂も火山灰の一種と見なして「よな」と言ったようである。黄砂が日光をさえぎり、どんよりと曇ってしまうのを「霾天(ばいてん)」とか「よなぐもり」とも言う。その色を強調して黄塵と詠むこともある。
黄砂は中国本土でこそ猛威を振い、それこそ眼も開けていられないほどになることもあるようだが、さすがに日本海を越えて日本にやって来る頃には大分薄まり、日本海側の地方で時に草木の葉にうっすらと土ぼこりが付着する程度で済んでいる。そのせいか日本人は黄砂に対してそれなりの鬱陶しさは感じるものの、「ああ嫌だ」というのではなく、今年も春になったなあという告知現象としてとらえる趣きが強いようである。
真円き夕日霾なかに落つ 中村汀女
黄塵に染む太陽も球根も 百合山羽公
二荒山墨絵ぼかしに霾れり 松崎鉄之介
つちふるも武蔵野ぶりの空の色 清崎敏郎
つちふるや大和の寺の太柱 大峯あきら
霾ぐもり大鉄橋は中空に 山崎星童
黄砂降り籠にけばだつ白兎 横山房子
霾天や沙漠が抱く月の湖 山田涼子
騎馬族の裔とし眺むつちぐもり 竹中弘明
黄砂ふる朝より二杯目のコーヒー 足柄史