彼岸(ひがん)

 彼岸は春と秋の2回ある。春分と秋分を中日(ちゅうにち)として、前後3日間が彼岸である。ただし、俳句で「彼岸」と言えば、春の彼岸を指す。秋分の方は「秋彼岸」と言って区別している。

 仏教に波羅蜜という言葉がある。梵語のパーラミタを漢字に写したもので、生きるの死ぬのと煩悩に囚われる此岸(現実世界)から、理想の世界である涅槃(彼岸)に到達することを言う。古く中国ではインドから仏教思想を輸入したとき、波羅蜜を翻訳して「到彼岸」という文字を宛てた。

 この到彼岸の思想が、日本に伝わり、凡愚が迷いを覚まし、罪障消滅を願って寺参りして法会(彼岸会)に参加したり、墓参りしたりする仏教行事が盛んに行われるようになった。さらに、日本古来の農業にまつわる行事とも結びついて、農村では豊作を祈願したりする独特の風習が生れた。ちょうど彼岸の頃は、苗代に籾をおろす種蒔きの時期を間近に控えた、農家にとって重要な時期である。春の彼岸の第一日を彼岸太郎と言い、その日天気が良いとその年は豊作だという吉凶判断のよすがともされた。また、地方によっては、彼岸の最中に村の丘に藁や薪を集めて燃やす風習もあったが、これなども古来からの豊作祈願が仏教の彼岸行事と結びついたものであろう。

 しかし、そのような風習も今日では徐々に消えようとしている。彼岸の中日は春分の日で祭日であり、前後の土日と連休にでもなれば、ちょっとした旅行もできるとあって、最近では春の行楽のピークになっている。先祖の墓参りは都会地でも盛んだが、これも家族そろってのたまの外出という、半ばは行楽気分の行事になっている。

 「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、この頃から春も本番である。桜の開花が噂され、桃も咲き、菜の花も彩りを添える。しかし、時として彼岸前後に急に冷え込むことがある。この頃の天候はあまり安定していないせいであろう。彼岸の名句として大概の歳時記に載っている正岡子規の「毎年よ彼岸の入に寒いのは」という句も、この気分を詠んだものである。これには前書きが付いていて、「母の詞自ら句となりて」とある。子規が「お彼岸だというのに寒いな」とでも言ったのだろう。そうしたら母親が「毎年よ、彼岸の入りに寒いのは」と言った。それがそのまま句になったというのである。まさに俳句作りの要諦を語っているようで愉快である。

 彼岸の初日を入彼岸あるいは彼岸太郎、最後の日を彼岸ばらひと言う。彼岸会、彼岸参り、彼岸前、彼岸過、さらには彼岸団子など傍題も多い。

  虫どもの力付きたる彼岸かな   杉山杉風
  我村はぼたぼた雪のひがんかな   小林一茶
  毎年よ彼岸の入に寒いのは   正岡子規
  藁屋根の青空かぶる彼岸かな   久保田万太郎
  人界のともしび赤き彼岸かな   相馬遷子
  彼岸過ぐ枯葦がうすももいろに   松村蒼石
  お彼岸のきれいな顔の雀かな   勝又一透
  お彼岸の園に下ろさる車椅子   小林勲
  声高に灸のはなし入彼岸   土田桂子

閉じる