春雨(はるさめ)

 3月から4月にかけて、日本付近の上空には移動性高気圧と低気圧が交互に訪れ、天気が安定しなくなる。日本海側を低気圧が通り過ぎる時に東や南の方向から春の季節風が吹き込むが、それがおさまった時などに、局地的に生じる小低気圧に伴って降る雨が春雨なのだという。広範囲にわたる強い雨ではなく、狭い地域で細い絹糸のような雨がしとしとと降る。

 時には1日中あるいは3、4日も降り続くことがある。それはまるで梅雨みたいだから、特に「春霖」と言う。逆に短時間で降り止む「春時雨」という季語もある。時雨(冬の季語)と同じように、さあっと降って間もなく止むのだが、冬の時雨と違って春時雨は明るい感じがする。「春驟雨」は晩春に降るにわか雨で、かなり強い降りで時には雷を伴うことがある。このように春に降る雨には、その降り方によっていろいろな名前がついているが、気象学的に、そうした雨と春雨をどう区別するのかは定まっていないようである。やはりこういうものは、感じ方の問題なのであろう。

 春雨は仲春から晩春に降り、この雨を充分吸い込んだ草木が若芽を膨らませ、花を咲かせる。中でも桜がその代表である。そんなところから、春雨は万物を甦らせ、花を呼ぶ雨として親しまれ、古くから歌や俳諧にうたわれた。万葉集巻十七には、越の国に派遣されていた大伴池主が上司である越中守大伴家持とやりとりした長歌の中にこんなくだりがある。

 「をとめらが春菜摘ますと くれなゐの赤裳の裾の 春雨ににほひひづちて……」。遠く越の国にいて、遙か平城京に思いを馳せる。春雨けぶる中を、恋しい人が摘草に出ているさまを思い遣る歌である。「赤い裳裾が春雨に濡れて一層あでやかな色になっているではないか。ああもう、思い浮かべるだけで切なくなりますなあ」と、池主さんは完全にホームシックのようである。このように万葉の昔から現代に到るまで、春雨には独特の情趣があるとされてきた。

 現代俳句では「春雨」も「春の雨」もいっしょくたにされてしまうことが多いが、古くははっきり区別されていたようである。芭蕉の高弟で、故郷伊賀上野の蕉門のまとめ役だった蓑虫庵主、服部土芳は、俳論集「三冊子」の中で、「春雨は小止みなく、いつまでも降り続くやうにする、3月をいふ。2月末よりも用ふる也。正月、2月初めを春の雨と也」と述べている。つまり、「春雨」は現在の暦で言えば3月末から4月の雨で、2月から3月の雨は「春の雨」とすべきだと言うのである。もっとくだいて言えば、春雨は晩春に限り、花や木の芽をはぐくむようにしとしとと降る、独特の情趣を持つ雨であり、それ以外の春3カ月を通じて見られる雨は「春の雨」にした方が良いということである。

 しかし、昔と違って温暖化が急速に進み、2月でも旧暦3月、つまり今の4月の気温だから、春雨と春の雨が同じように扱われるようになってしまったのも、無理はないのかも知れない。今日出回っている多くの歳時記には「春雨」の項に「春の雨」が傍題として載っており、例句を見ても口調の関係で春雨としたり、春の雨と言い換えたりしているだけで、両者をはっきり区別している現代俳人は皆無と言ってよいほどである。

 春雨にはロマンチックな物思いに浸る静かな一面があり、その一方で、この雨が上れば花が咲き、勢いよく緑が萌え始める季節になるのだという期待感に胸膨らます一面もある。

  春雨や蓬をのばす草の道   松尾芭蕉
  はるさめやぬけ出たまゝの夜着の穴   内藤丈草
  春雨や小磯の小貝ぬるゝ程   与謝蕪村
  春雨や喰はれ残りの鴨が鳴く   小林一茶
  春雨やもの書かぬ身のあはれなる   正岡子規
  春雨や酒を断ちたるきのふけふ   内藤鳴雪
  春雨のかくまで暗くなるものか   高浜虚子
  春雨の中や雪おく甲斐の山   芥川龍之介
  貯炭場の細き真黒き春雨なり   西東三鬼
  はるさめかなみだかあてなにじみをり   瀬戸内寂聴

『春の雨」
  捨て鍬の次第に濡れて春の雨   山口 青邨
  大寺の屋根の起伏や春の雨   星野 立子
  春の雨街濡れSHELLと紅く濡れ   富安 風生
  職退いて朝寝の夫や春の雨   国武 和子
  万葉の恋の碑春の雨   吉田喜美子

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