春の宵(はるのよい)

 「春の宵」あるいは「宵の春」が俳句に盛んに詠まれ出したのは江戸後期の天明以降のようである。この頃は度重なる飢饉などで地方はかなり疲弊し、幕府財政も逼迫の兆しを見せていたものの、まだまだ徳川政権の権威は衰えず表面的には平穏無事であった。特に江戸、大阪、京都をはじめ全国の城下町には町民文化が花と開き、太平を謳歌していた。旗本、御家人はもとより大名に仕える陪臣などの武士階級や上層町人の間では、和歌俳諧狂歌漢詩の類が流行し、芝居見物や物見遊山や園芸など趣味も多様化していた。

 この頃に活躍した与謝蕪村(1716─1738)には「公達に狐化けたり宵の春」という王朝文化にあこがれる美しい句があり、友人の炭太祇には「漏る雨を人と語るや春の宵」といういかにも都の片隅で春の夜をのんびり過ごす気分の句がある。

 このように「春の宵」が句材として取り上げられるようになった背景には、当時の漢詩趣味によって広まった宋時代の詩人蘇軾(蘇東坡、1036─1101)の「春夜」という詩が決定的な役割を果している。

春夜   蘇軾
  春宵一刻値千金  一刻千金春の宵
  花有清香月有陰  花の香りにおぼろ月
  歌管楼台声細細  かそけき歌声笛の音
  鞦韆院落夜沈沈  庭にぶらんこぶうらぶら

 清少納言は「春は曙」と言い、山際が少し明るくなり、紫がかった雲がたなびいているような明け方こそ一番だと言っている。これが古来日本人の心にある春の印象風景のようで、和歌ではもっぱら春は曙が幅を利かしており、春の宵は取り立ててうたわれなかった。しかし、蘇軾のこの詩が江戸の文人の間にはやり出すにつれて、俳諧の題材として脚光を浴びるようになった。

 蕪村より30年ばかり若い四方赤良(太田南畝・蜀山人、1749─1823)は、春夜詩と清少納言の枕草子を踏まえて「一刻を千金づゝにつもりなば六万両の春のあけぼの」という狂歌を詠んだ。この場合の「一刻」は昔の時計の一刻ではなくて、一日を百等分した時刻の一単位で、春の夕方から宵を経て曙に至るまでが六十刻ということになる。「清少納言さんは春は曙とおっしゃってますが、春は宵こそ一番という蘇東坡さんの一刻値千金の計算方法でゆくと〆て六万両というわけですなあ」と洒落のめしている。

 とにかくこうして「春の宵」は俳句の句材として定着した。ついでに言えば「ぶらんこ(鞦韆、ふらここ)」が春の季語となったのも、蘇軾のこの詩が基になっている。

 春の宵はぼうと霞んでなまめかしく、趣が深い。なんとはなしに遣る瀬無い、時にはメランコリックな気分に陥る。春色、春心、春情、春愁といった言葉もあるように、いかにも艶めかしい。そうした気分が最も昂揚する時が、春の夕方から夜に至るまでの「宵」である。

 宵は夕と夜との間、日が暮れて夜に入って間も無くの頃を言う。「わが背子が来べき宵なり」と万葉歌人に歌われたように、いにしえの妻問い婚時代には恋しい男が通って来る頃合いであった。春ならば夕方6時過ぎから8時か9時頃くらいであろうか、仕事から開放されて、さあ繰り出そうかという頃合いである。

 江戸時代までは一日の時間の区切りは日の出日の入りを基準にしていたから、昼と夜の時間区分は一定していなかった。夜明を「明け六つ」と言い、日暮れを「暮れ六つ」として昼夜を分かち、それぞれを6等分して1日を十二刻としていた。だから一刻は現在の2時間というわけではなく、夏場の昼間の一刻は2時間半近くになり、夜間の一刻は1時間半くらい。冬場になればその逆に夜の一刻は昼間の一刻より長いということになった。ということで、夕も宵も四季それぞれで正確に何時から何時までと言えないのだが、とにかく「宵」は日が暮れて本格的な夜になるまでの時間帯ということである。

 日の入り、月の出、日の出ということに関係なく、時計の針が進むにつれて暗かろうが明るかろうが朝は朝、夜は夜と決められている現代と異なり、自然の運行に従って生活していた昔は、昼と夜というおおまかな分け方だけではなく、1日を細かに区切っては名前をつけていた。夕方から明け方までをとれば、夕、宵、夜、夜更、暁、曙、朝といった具合である。現代人には宵も夜も、暁も曙もほとんど区別する感覚はなくなっているが、昔の日本人はこれらを明確に意識していた。

 「春の宵」には駘蕩たる、艶な気分がある一方で、いささかの愁いも含まれている。ましてや糸のような雨でもしとしとと降っていればなおさらである。「宵の春」「春宵」とも詠まれ、蘇東坡に敬意を表して「千金の夜」というのも傍題季語になっている。

  筋かひにふとん敷きたり宵の春   与謝蕪村
  目つむれば若き我あり春の宵   高浜虚子
  町なかの藪に風あり春の宵   内田百間
  無為といふこと千金や春の宵   富安風生
  春宵や駅の時計の五分経ち   中村汀女
  春の宵妻のゆあみの音きこゆ   日野草城
  児の笑顔寝顔にかはり宵の春   福田蓼汀
  春宵やセロリを削る細身の刃   石田波郷
  泣いて済むことはめでたし春の宵   池上浩山人
  春の宵身より紅紐乱れ落つ   三好潤子

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