春になってようやく力を増してきた日差しのことを「春の日」と言い、麗らかでのどかな日中のことも「春の日」と言う。つまり「春の日」という季語は日和にも使うし、春の太陽のうらうらとした陽射しを言うのにも用いる。
これについて季語研究の先達山本健吉は「SunもDayも日本語で同じ言葉で言っているのは、元来日は太陽を意味したのが、太陽が出てから没するまでを一日(ひとひ)と言うようになり、日の出ている明るい昼間をも日と呼ぶようになったからだ」と書いている。
俳句では「春日」と書いて「はるひ」「はるび」と読ませたり、「しゅんじつ」と音読みする場合もある。その他、「春の日」の傍題には「春陽」「春日影」「春日向」などがある。
春の太陽の柔らかな光と、春の一日と、二つの使われ方があるとは言うものの、やはり「春の日」と言えば、いつの間にか眠気を催してくるようなのんびりした気分の日中を思い浮かべるのが自然であろう。しかし、そういう気分を運んで来るのが、とりもなおさずうららかな春のお日さまなのだから、こういうことを目くじら立てて峻別する必要は無いようである。ただ作句の上ではどちらかに主眼を置くといったことは必要だろう。
「春の日」は俳諧の時代からよく詠まれているが、のんびりした日中をうたう句の方が多く、春の陽射しそのものを詠んだ句は少数派である。しかし、「春の日」の例句として大概の歳時記に出ている鈴木花蓑の『大いなる春日の翼垂れてあり』や沢木欣一の『春の日やみ仏の足一指反る』のように、陽射しを詠んだ名句もある。だがこれとて句全体としては、素晴らしい春の日の気分を謳歌していることは言うまでもない。
春の日や庭に雀の砂あびて 上嶋 鬼貫
鯛かふて海女と酒くむはる日かな 大伴大江丸
春の日を降りくらしたる都かな 小林 一茶
湯に入りて春の日余りありにけり 高浜 虚子
大いなる春日の翼垂れてあり 鈴木 花蓑
春の日やポストのペンキ地まで塗る 山口 誓子
病者の手窓より出でて春日受く 西東 三鬼
春の日やみ仏の足一指反る 沢木 欣一
赤犬を呼ぶ春日の第一声 細見 綾子
春日さすその水位にて金魚死せり 橋本美代子