春風(はるかぜ)

 春吹く風にはいろいろあるが、季語としての「春風」はやわらかく、暖かく、のどかな風である。  二月四日頃が立春で、その頃はまだまだ寒気が厳しいが、日脚もだいぶ伸びて、日によってはうらうらと太陽が照り思いの外暖かくなったりする。日本列島を支配していた西高東低の冬型気圧配置もようやく弱まり、北風がおさまり、代わって太平洋から東風が吹く。これが春を告げる「東風(こち)」である。それほど暖かい風とは言えないが、寒気をゆるませ、梅を咲かせるというので喜ばれ、王朝時代から数々の和歌に詠まれた。もう少したつと、今度は東シナ海や台湾近海に低気圧が出現して太平洋上や日本海側を北上するようになり、それに向かって南風が吹き込む。これは本格的な春風である。

 しかし、東風といい、春風といっても、時には台風なみに吹き荒れることがある。特に海上では漁船を転覆させたりすることがある。漁民は「強東風」「東風時化(こちしけ)」などと言って恐れる。南からの強風の場合は本州の太平洋岸から日本海側に猛烈な勢いで吹き抜け、砂塵を巻き上げ、日本海沿岸地方にはフェーン現象を起し災害をもたらす。いわゆる「春一番」である。春一番も含めて二月中旬から三月始めの強風を「春疾風(はるはやて)」と言い、この季語もよく詠まれている。

 この他にも春の風はさまざまある。彼岸の頃に吹くやわらかな西風は「彼岸西風(ひがんにし)」あるいは「涅槃西風(ねはんにし)」、低気圧が北海道洋上に抜けると一時的に西高東低の気圧配置に戻り北ないし北西から冷たい風が吹き込んで来るが、これを「春北風(はるきた)」と呼ぶ。さらに、昔大阪・住之江の浜に貝を盛んに吹き寄せた西風を「貝寄風(かいよせ)」、近江の比良山地から琵琶湖へ向かって吹き下ろす西からの強風「比良八荒(ひらはっこう)」など、地域限定の面白い季語がたくさんある。

 このように春の風と言っても千差万別なのだが、俳句での「春風」はあくまでも心のほぐれるような風である。実際、古今詠まれている春風の佳句には駘蕩たる気分が横溢している。ただし、そうした考えにがんじがらめになってしまうと、季語の持つ意味に捕らわれたいわゆる「季題趣味」に陥り、「それは類句がある」と言われてしまう陳腐な句を作りがちである。

 高浜虚子の「春風や闘志いだきて丘に立つ」という句は、それまでの春風の句とは全く違った雰囲気の句である。これは明治の末頃、小説に打ち込んで俳句から遠ざかっていた虚子が、河東碧梧桐の新傾向俳句一派が「定型破壊・季題無用論」を打ち出し、一時は「ほととぎす」を凌ぐ勢いを見せ始めた時に詠んだ、「伝統擁護・俳句復帰宣言」の記念碑的俳句とされている。大概の歳時記に載っているいわゆる「名句」だが、私はこの句はちっとも良くないと思う。とにかく三十代で血気盛んな虚子の意気込みは伝わって来る。しかし伝統擁護を唱えながら、むしろこの句は新傾向俳句の雰囲気をまとっている。もしかしたら、「新傾向なんて言っているが、オレに詠ませたら、もっと素晴らしい新傾向が詠めるんだ」と吼えたのかも知れない。そんな衒気すらうかがえる。季題趣味から抜け出し、新風を盛り込もうという意気込みは称賛に値するが、「春風」という季語に全く合っていない。

 こうした新しい趣を詠もうとするのなら「春の風」とした方がいいように思う。と言うのは、「春風」にはこれまで述べて来たように、駘蕩たる気分がしっかりとまとわりついているので、それを壊そうとしてもなかなかうまく行かないからである。ただ「春の風」には強弱いろいろあるとは言っても、読者の頭に真っ先に浮かぶのは「そよそよと吹くやわらかな風」であり、「闘志抱きて立つ」とはそぐわない。ここはやはり「春疾風」や「春大風」「強東風や」などという、別の季語を用いた方が良かったのではないか。

 「はるかぜ」は「しゅんぷう」と音読させる詠み方もあるが、両方とも四音なので、漢字では読んだ時に判断がつきにくい。しかし「しゅんぷう」と平仮名で書くわけにはゆかず、句全体から受ける感じで、訓読か音読か読者の判断に待つより仕方がない。虚子の句などは明らかに「しゅんぷう」であろう。


  春風や堤ごしなる牛の声       小西 来山
  春風や堤長うして家遠し       与謝 蕪村
  春風や女も越る箱根山        小林 一茶
  春風や鼠のなめる隅田川       小林 一茶
  春風に尾をひろげたる孔雀かな    正岡 子規
  春風や旅としもなく京に来て     原  石鼎
  古稀といふ春風にをる齢かな     富安 風生
  泣いてゆく向うに母や春の風     中村 汀女
  木と人と親しくありて春の風     田中 裕明
  何見ても親し春風吹くときは     藤崎 久を
  春風やリュック一つでフランスへ   岡田 京花

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