桜の花が散り始め散り終わる四月中旬から、木々の芽が盛んに吹き出す下旬に至る頃合である。日によってはうっすら汗をかくほど暖かい。町中の公園には色とりどりの花が咲き乱れる。
のんびりとした気分になると同時に、気だるい感じもして、何とはなしに物思いにふけったりする。学生は新学期が始まって一段落、会社員は人事異動による職場移動などのひと騒ぎが落着いてほっとしたところであろうか。そんなことも物思いを誘発するきっかけになる。
そうしたことのなかった大昔も、晩春のこの時期は人をして物思いに耽らせる季節だったようで、「春深し」という季語には「春惜しむ」「行く春」「春尽く」「春愁」などという類縁の季語が無数に生れた。
実際ついこの間お正月を祝い、寒い時期をくぐり抜けてようやく春になったと思ったら、もう桜が散って、そろそろ夏が近づいている。時のたつのは早いものだなあ、という感じを抱くのもこの時季である。
「春深し」には、桜花爛漫の春の絶頂期が過ぎて、いよいよ今年の春も終わりに近づいたという惜春の情がまずある。その点では「行く春」や「春惜しむ」とほとんど同じ意味合いの季語と言える。しかし、「行ってしまう」とか「惜しむ」といった情感を直接言わずに、ただ「深し」と述べているところに注意すべきであろう。つまり、「行く春」「春惜しむ」よりは一般的、客観的に、晩春の景色から情感に至るまでの全てを現わしている季語であり、ふところ深く、この時季の森羅万象、人の心の動きなどあらゆるものに付けることができそうである。
また時間的な尺度から言っても「春深し」は「行く春」などと比べてかなり長い。「行く春」「暮の春」「春惜しむ」などは四月末から五月初めの立夏直前までの十日間ばかりのことだが、「春深し」は桜が散り出してから立夏前まで、歳時記で「晩春」とされる時季全体を通して用いられる。
「春深し」の言い換え季語としては「春闌(はるたけなわ)」「春闌く(はるたく)」「春更く(はるふく)」「春深む」などがある。古今の例句を見ると、行く春を惜しむ心を述べた春深しの句も見られるものの、そうした直接的な抒情は「行く春 「春惜しむ」という大きな季語に譲り、晩春の叙景を前面に押し出してその中に思いを潜ませるといった作り方が多いようである。
春更けて諸鳥啼くや雲の上 前田普羅
春ふかし雀がくれを沓にふみ 富安風生
板橋や春もふけゆく水あかり 芝不器男
美しき人は化粧はず春深し 星野立子
春深し妻と愁ひを異にして 安住敦
まぶた重き仏を見たり深き春 細見綾子
春深き月光触るる椅子にあり 中島斌雄
幕ひきの立ゐねむりや春深し 中村辰之丞
春深し杉菜のはては水の中 永井東門居
春深し知らぬ人らと舟に乗る 金子比呂志