花疲れ(はなづかれ)

 「花に疲れる」という、俳句独特の言葉である。芭蕉が『櫻がりきどくや日々に五里六里』と詠んでいるように、花見は知らず知らず歩き過ぎてしまうし、しょっちゅう上を見上げるせいであろうか、とても疲れる。もちろん花見酒のやり過ぎで疲れてしまうこともあろう。また、花の頃は風が強く、埃も立つ。天候不順の季節であり、雨もよく降る。それで心がかき乱され、くたびれてしまうこともある。

 それやこれやで花見帰りはぐったりして、倦怠感をおぼえる。はなやいだ気分の後にやって来る物憂さである。俳人の高木晴子は「(花疲れは)春愁にもつながる」と言っている。桜の花は咲き初めの頃や散り際はもちろん、満開の時ですら、華やかな中にある種の寂しさが感じられる。やはり芭蕉の句に『さまざまの事おもひ出す櫻かな』というのがあり、一茶には『世の中は地獄の上の花見哉』という句がある。桜はいろいろ物を思わせる花であり、心を疲れさせる花のようである。

 俳句で花と言えば桜を指すように、日本人ほど桜が好きな人種もめずらしい。朝日に輝く桜に始って、日中の陽光を受けて白く光ったり、陰になったところの花びらが薄墨を掃いたようになったり、太陽が沈みかけた頃の夕桜、そして灯に浮き上がる夜桜と、いずれも美しい。たとえ雨が降っても、またそれなりの風情がある。さらに、南北に長い日本列島を九州から北海道まで、開花時期が徐々に北上して来るのも面白い。この桜前線を追いかけて花見旅をする数寄者もいる。

 上野公園や千鳥ケ淵など、今日、私たちが見る桜はほとんどがソメイヨシノで、幕末に東京・染井で作り出された園芸品種である。葉が出るより先に花が咲き、それも樹木全体を覆うように豪華な咲き方をするところが好まれ、明治以降、たちまち全国に行き渡り桜樹の代表になってしまった。

 これに対して、今でも地方に行くとよく見られるヤマザクラは葉が出てから花が咲く。その楚々とした咲きようが好ましい。昔の和歌や俳句に詠まれた桜は大方がこれである。その他、オオシマザクラ、カスミザクラ、エドヒガンなど、古来から日本に自生する野生種は九種類あるという。

 江戸時代の享保年間(1700年代前半)、八代将軍吉宗が隅田川べりや王子の飛鳥山に桜をたくさん植えさせて庶民の行楽地にした。それまでは江戸っ子の花見と言えば、上野山内か品川御殿山、あるいは一泊で小金井へ出かけていた。中でも上野の山が最も大勢の花見客を集めていたが、ここは将軍の菩提寺である東叡山寛永寺と東照宮の地内だから、花見は昼間だけ、それも歌舞音曲ご法度で酒を飲んで大声を上げたりしてはいけないというのだから窮屈だった。ところが隅田川畔や王子は飲食も歌舞音曲も自由とあって人々がわっと押し寄せ、たちまち江戸の代表的な桜名所になり、お花見が大衆娯楽の王者になった。

 それと共に、桜の品種改良も盛んになり、華やかな、珍しい花を咲かせる新品種が次々に生み出されるようになった。幕末頃には百種類以上の桜が出来ていたという。中には「鬱金(うこん)」と名付けられた緑色の桜や「御衣黄(ぎょいこう)」という黄色の花を咲かせるものまで生まれた。

 JR中央線・京王線高尾駅近くに「多摩森林科学園」という農林水産省の外郭団体が管理運営する大規模な植物園がある。そこには全国から集められた桜が200種類以上も植えられた「桜保存林」があり、2月に開花する寒桜に始って5月上旬のミヤマザクラに至るまで、延々3ヶ月もお花見ができる。もちろん黄色や緑色の桜も見られるし、直径6センチという大輪の桜も咲く。隠れた桜名所ではあるが、管理者が吉宗将軍ほどさばけていないせいか、園内は飲酒歌舞音曲ご法度で、純粋に「花に酔う」だけである。

  宴未だはじまらずして花疲れ   高浜虚子
  マハ椅子に凭るがごとくに花疲れ   阿波野青畝
  土手につく花見づかれの片手かな   久保より江
  花疲れ人に合せて笑顔して   清水美登
  花疲れ帯ながながとときしまま   足立文女
  吊革の一つに二人花疲   東原公子

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