桜の咲く頃、急に寒い日が戻って来ることがある。関東も関西も3月下旬から4月初めは天候が不安定で、どんよりと曇って冷え込んだりする。それを「花冷」と美しく言ったもので、「花の冷え」と詠む場合もある。
山本健吉は「全国的に見られるが、ことに、京都の花冷えは有名である。花冷えという言葉自身、京都で言い出したのではないかと思う」(講談社「日本大歳時記」)と書いている。確かに盆地の京都では桜の咲く頃に、朝晩冷え込むことがままある。歌語や俳諧の季の詞はもともと京都を中心に作られたものであるから、これもそうなのかも知れない。
桜はまさに春を代表する花であり、これがパッと咲けばあたりは華やぎ、人々は活気づく。「それにしてもどうしたことだろう、この寒さは」、というちょっとした驚きである。しかし、花冷えの冷えは真冬のように下腹が痛くなるようなひどいもではない。冷えるとは言いながら、それはもう冬の寒さではなく、温もりと背中合わせになった気分のものである。
花冷に欅はけぶる月夜かな 渡辺水巴
花冷や剥落しるき襖の絵 水原秋櫻子
用心の雨傘花冷つづくなり 及川貞
行人のうしろうしろと花の冷え 笠松久子
花冷の明治の校舎屋根に石 木村蕪城
花冷や夜はことさらに花しろく 後藤夜半
生誕も死も花冷えの寝間ひとつ 福田甲子雄
湖ありて若狭の国のさくら冷え 遠藤若狭男
診疲れに加ふ花冷きのふけふ 新明紫明
甘言に乗りたる化粧花の冷え 藤野艶子