年行く(年行)、行く年、年送る、年逝く

年行く(年行)、行く年(行年)、年送る、年逝く、年送る、年果つる、年歩む、年流る、年尽きる、年迫る

 「年行く」「年送る」などには、この一年を送ってきた、この年が去って行く、という感慨を込められている。年末のもう一つの季語群「年の暮」「歳末」などにも、多少ニュアンスは違うもののこの時期への思い入れが当然あり、両グループの違いは微妙である。歳時記によっては、「年の暮」の中に「年歩む」「年行く」を入れるなど、年末の語の分類は一定ではない。

 「行年」「年行」は「ゆくとし」「としゆく」と読むが、現代の俳句では「行く年」「年行く」とする表記が普通である。

行く年のながれ矢おはぬ人もなし   安原貞室
七十の暮行(く)としぞつれなさよ   杉山杉風
行く年や石噛みあてて歯にこたへ   小西来山
行く年や親に白髪を隠しけり   越智越人
行く年や壁に恥ぢたる覚書(おぼえがき)   宝井其角
行く年も戸板めでたし餅の跡   宝井其角
行としはさびしき物としる身哉   横井也有
行としやもどかしきもの水斗(ばかり)   加賀千代女
馬で行く年見送らん日本橋   溝口素丸
ゆく年の瀬田を廻るや金飛脚   与謝蕪村
(訳)押し詰まって、どの店も金勘定が大仕事。お金を運ぶ飛脚が瀬田を廻っている。
行く年の女歌舞伎や夜の梅   与謝蕪村
ゆくとしや六波羅禿(かぶろ)おぼつかな   黒柳召波
(注)六波羅は京都・六波羅密寺周辺の地名。禿は上級遊女に使われていた見習い少女。
行年や手は懐に投(げ)頭巾   吉川五明
(注)投頭巾は、布の四角い袋を被り、余りを後ろに折る頭巾。
年迫つて風大虚(おおぞら)を鳴らすかな   加藤暁台
行く年やひとり噛みしる海苔の味   加舎白雄
行としや古傾城のはしり書   高井几董
年ひとつ老ゆく宵の化粧かな   高井几董
ゆくとしのこそりともせぬ山家哉   井上士朗
行年や職人町の夜の音   岩波午心
ものいはぬ人のうへにも年ぞ行(く)   岩間乙二
行としや千代の鵆(ちどり)の須磨の浦   建部巣兆
絵襖(ふすま)の人にもとしのくれゆくか   夏目成美
年はかく氷をはしる入日かな   夏目成美
藪先や暮行く年の烏瓜   小林一茶
行としもそしらぬ富士のけぶり哉   小林一茶
ゆく年の母すこやかに我病めり   正岡子規
行年や何に驚く人の顔   尾崎紅葉
行く年や風風を追ふ町のさま   武田鶯塘
行年や夕日の中の神田川   増田龍雨
年を以(も)て巨人としたり歩み去る   高浜虚子
(訳)行く年を巨人とみなすことにしよう。彼はいま、歩み去ろうとしているのだ。
年は唯(ただ)黙々として行くのみぞ   高浜虚子
行年の松杉高し相国寺   高浜虚子
潮騒の寝をなさしめず年徂(ゆ)く夜   臼田亜浪
行年や隣うらやむ人の声   永井荷風
陋巷(ろうこう)や雪ちらちらと年歩む   清原枴童
行年の山へ道あり枯茨   渡辺水巴
行く年や木もなき庭にひとの窓   前田普羅
年行くや耳掻光る硯(すずり)箱   前田普羅
年行くや綿虫に心あたたまる   大谷碧雲居

閉じる