歳末を表す季語は数多いが、一般的な用語として用いられているのは「年の暮」、「年末」、「歳末」、「年の瀬」くらいのもの。しかし「年の坂」「年の湊」などは味のある言葉である。単に「暮れ」だけでも歳末を表すが、俳句では用いないのが普通。「歳暮」も年の暮れのことだが、年末の贈り物の意味になって久しい。
としくれて人ものくれぬこよひ(今宵)かな 山崎宗鑑
(注)「暮れて」と「くれぬ」の対。この句を詠んだら贈り物がどっと来たという。
一年のとしてかくしてくれにけり 山崎宗鑑
すさまじや女の眼鏡としのくれ 伊藤信徳
(注)この場合の「すさまじい」は、「よそよそしい」の意味か。
墨絵して心床しや年のくれ 天野桃隣
餅の後更に花なしとしの暮 岡西惟中
へそになりてくれ行(く)年の緒はりかな 岡西惟中
(注)へその緒と年の「お(緒)わり」をかけている。
年くれぬ笠きて草鞋(わらじ)はきながら 松尾芭蕉
故郷や臍(ほぞ)の緒に泣く年の暮 松尾芭蕉
(訳)年の暮、故郷に帰った芭蕉。自分の臍の緒を見て、父母を思い出し泣いた。
盗人(ぬすびと)に逢うた夜もあり年の暮 松尾芭蕉
古法眼(こほうげん)出どころあはれ年の暮 松尾芭蕉
(注)古法眼は画家の狩野元信の(の絵)こと。名画を年の暮れに売るとは、の意味。
分別(ふんべつ)の底たたきけり年の暮 松尾芭蕉
めでたき人の数にも入らん老の暮 松尾芭蕉
わすれ草菜飯に摘(ま)ん年の暮 松尾芭蕉
(注)わすれ草はヤブカンゾウ(藪萱草)。芽は食用になる。
川の音藪の起(き)ふし年暮(れ)ぬ 杉山杉風
墨絵書く心床しや年の暮 杉山杉風
年のくれ杼(とち)の実一つころころと 山本荷兮
いねいねと人に言われつ年の暮 斎部路通
(注)作者は「乞食路通」と呼ばれた。「去ね、去ね」と言われながら、年は暮れる。
白昼に雉子拾ひけりとしの暮 池西言水
我書いて読めぬものあり年の暮 江左尚白
年浪のくぐりて行(く)や足の下 向井去来
うす壁の一重は何かとしの暮 向井去来
銭ほしとよむ人ゆかし年の暮 服部嵐雪
蕎麦うちて鬢髭白し年の暮 服部嵐雪
お奉行の名さへ覚えず歳暮れぬ 小西来山
(注)この一年、奉行の名も知らずに、という感慨。現代人も大臣の名を知らない。
としの瀬や漕がず棹(さお)せず行くほどに 小西来山
出女も出がはり顔や年の暮 森川許六
(注)この場合の出女は、旅宿にいた売春婦。出替わりは奉公人が新しく替わること。
日の本の人の多さよ年の暮 椎本才麿
勝手より子の這うて出る年のくれ 椎本才麿
筆の毛をそろへたつるや年の暮 椎本才麿
小傾城行きてなぶらん年の暮 宝井其角
(訳)年の暮にすることもない。遊郭へ行って若い遊女でもからかってみようか。
鳩部屋の夕日しづけし年の暮 宝井其角
子をもたば幾つなるべき年の暮 宝井其角
置捨に笈の小文(おいのこぶみ)や年の暮 宝井其角
(訳)師・芭蕉の紀行文「笈の小文」も置き放ししにしている年の暮だ。
流るる年の哀れ世に白髪さえ物憂 宝井其角
月花も見かへすや年の峠より 上島鬼貫
年の淀春さへひとよ伏見まで 上島鬼貫
追ふ鳥も山に帰るか年の暮 内藤丈草
ぬり物にほこりもすごき年の暮 志太野坡
下積の蜜柑ちひさし年の暮 浪化
年の波紙衣(かみこ)で渡る浅瀬あり 横井也有
朝起もひとりに年はくれにけり 加賀千代女
眼に残る親の若さよ年の暮 炭太祇
居(すえ)風呂の底ふみぬくや年の暮 炭太祇
(注)居風呂は桶の下に焚き口をつけてある風呂。
年の暮嵯峨の近道習ひけり 炭太祇
芭蕉去つてそののちいまだ年くれず 与謝蕪村
(注)芭蕉の「年くれぬ」を踏まえる。あの句のような侘しい年の暮はまだない、の意。
近江路や軒端によする年の波 与謝蕪村
鼓屋と浮世かたらむとしのくれ 大島蓼太
名も高き茶入も見えけり年の暮 黒柳召波
常よりも遊ぶ日多しとしの暮 黒柳召波
馬の背にまたるる銀やとしのくれ 黒柳召波
居眠れば誰やら起す年のくれ 三浦樗良
年波の淀とこそ見れしじみ汁 大島蓼太
鼓屋(つづみや)と浮世語らむとしのくれ 大島蓼太
としの暮さる御方に招かるる 高井几董
傾城の親にも逢ひぬ年の暮 吉川五明
としのくれ鏡のなかにすわりけり 加藤暁台
年の暮隠者かたぎの恥かしき 加藤暁台
としのくれ飛鳥井殿も餅の音 蝶夢
(注)飛鳥井家は和歌、蹴鞠、書道を伝える家柄。
米くるる友どち持ちて年の暮 蝶夢
(注)友どちは友達。
人も見ぬ暦や末の二三日 蝶夢
瓢箪で鯰おさへてとしくれぬ 井上士朗
(注)瓢箪で鯰押さえる(瓢箪鯰=ひょうたんなまず)は「とらえどころのない」もの。
背をほすも入日がちなりとしのくれ 夏目成美
としくれぬ食(い)もはたさぬ唐がらし 夏目成美
田鶴の音にとしどし暮れぬ和歌の浦 江森月居
手のひらをふせて休めて年の暮 田川鳳朗
駅見えてひと息つくや年のくれ 成田蒼虬
流れ木のあちこちとしてとし暮ぬ 小林一茶
餅の出る槌がほしさよ年の暮 小林一茶
杭の鷺汝がとしはどう暮る 小林一茶
ともかくもあなた任せの年の暮 小林一茶
うつくしや年暮れきりし夜の空 小林一茶
耕さぬ罪もいくばく年の暮 小林一茶
(訳)人々は畑でよく働いていた。何もしない私はいま、いくばくかの罪を感じている。
手枕や年が暮よとくれまいと 小林一茶
叱らるる人うらやましとしの暮 小林一茶
雪みぞれ降(る)にまぎれて年暮ぬ 夏目吟江
亀の尾の短く歳は暮にけり 桜井梅室
炬燵(こたつ)から松風きくや年の暮 簑里
往来(ゆきき)せで年くるる雪の山家哉 通助
葛飾や鶴の羽拾ふ年の暮 東為
歯朶刈の椿見付けし年の暮 双木
いささかの金欲しがりぬ年の暮 村上鬼城
たらちねのあればぞ悲し年の暮 正岡子規
貧楽や釣の書をみる年の暮 幸田露伴
妻にせし女世にあり年の暮 松瀬青々
年の暮人に生まれて悔多し 筏井竹の門
灰の如き記憶ただあり年暮るる 高浜虚子
年の尾や白朮火(おけらび)赤う見え初めぬ 大谷句仏
(注)京都八坂神社の年越し神事(白朮祭)の火を、参拝者は火縄に移して持ち帰る。
下駄買うて箪笥(たんす)の上や年の暮 永井荷風
年のくれ雪降りつつも雨垂れつ 小沢碧童
海の音籠る長髭年迫る 佐々木有風
忘れゐし袂(たもと)の銭や年の暮 吉田冬葉
読むものに八笑人(はっしょうじん)や年の暮 日野草城
(注)八笑人は江戸末期の滑稽本「花暦(はなごよみ)八笑人」。
身辺や年暮れんとす些事(さじ)大事 松本たかし
歳晩や大原へ帰る梯子売 松本たかし