一般家庭の掃除はほこりや油、粗大ゴミなどの処理に変わっており、煤払は現代の生活感から遠くなった。本当の意味で煤払いと呼べるのは、寺院で行われる仏像などの清掃くらいのものだろう。とはいえ季語としての煤払は十分な魅力や利用価値を持っている。正月を迎えるための掃除は欠かせないし、「年末の大掃除」では季語として長すぎるからだ。「煤逃げ」は煤払の日に家から逃げること。現代のサラリーマンの行動に通じるものがあり、現代俳句の実作例はかなり多い。
民の家も又あらた也煤はらひ 西山宗因
ささ竹をふる宮人や煤払 西山宗因
旅寝して見しや浮き世の煤払ひ 松尾芭蕉
(訳)旅の宿で寝た。宿の人は夜も煤払をしている。これが世の中の煤払なのだなぁ。
煤掃(き)は杉の木の間の嵐哉 松尾芭蕉
(訳)杉林では木の間の嵐が落葉を掃き、煤払いの役目を果たしている。
すすはきや暮ゆく宿の高鼾 松尾芭蕉
煤掃は己が棚釣る大工かな 松尾芭蕉
これや世の煤にそまらぬ古合子(ふるごうし) 松尾芭蕉
(注)合子はふたつきの椀。放浪の俳人・路通の椀を「汚れのないもの」と詠んだ。
煤掃の日は牛放つ野づらかな 池西言水
畑中に芳野静(よしのしずか)やすす払 服部嵐雪
(注)芳野静は、ヒトリシズカ(一人静)の別称。
煤はきて心の煤はかへり見ず 越智越人
煤掃きてしばしなじまぬ住居(すまい)かな 森川許六
油火も年の名残や煤掃(はらい) 森川許六
(注)油火は灯油による灯。
煤掃や山風うけて吹通し 内藤丈草
煤掃いてねた夜は女房めずらしや 宝井其角
すすはらひ暫しと侘て世捨哉 宝井其角
煤掃や餅のついでに撫でて置く 野沢凡兆
(訳)煤掃をするほどの家ではないが、餅つきのついでに少し掃いておく。
すすはきや何を一つも捨てられず 各務支考
夫婦して外れぬ戸あり煤払 中川乙由
煤はきや青砥(あおと)がさがす縁の下 横井也有
(注)青砥は、川に落ちた銭を家来に探させた鎌倉時代の武士・青砥藤綱。
煤掃の日に髪ゆふて誹(そし)らるる 横井也有
すすはけば春待人に似たるかな 横井也有
けふばかり背高からばや煤払 加賀千代女
すす払の埃かづくや奈良の鹿 炭太祇
(注)かづくは、被(かず)く。被る。
声立てる池の家鴨やすす払 炭太祇
煤を掃く音せまり来ぬ市の中 炭太祇
わびしさや思ふたつ日を煤払 炭太祇
すす掃てそろりとひらく持仏堂 炭太祇
爰(ここ)もまた掃き出されけり煤とわれ 大島蓼太
門口に歩みの板や煤払 黒柳召波
煤払あやしの頭巾着たりけり 黒柳召波
煤掃やいつから見えぬ物のふた 黒柳召波
きぬぎぬの駕(かご)も過ぎけり煤払 黒柳召波
(注)きぬぎぬ(後朝)は、一夜を過ごした男女が翌朝に別れること。
一函(はこ)の皿あやまつやすす払ひ 黒柳召波
煤掃きや思ひがけなき朝月夜 吉分大魯
掃(く)からにおどろかれぬる庵の煤 加舎白雄
うそ寒う昼めし喰ひぬ煤はらひ 高井几董
煤はきや飴の鳥うる藪のかげ 井上士朗
まがはしや小家小家の煤はらひ 夏目成美
(注)まがはしい(まがわしい)は、まぎらわしい。
すす掃やはたして居らぬ池の鷺 成田蒼虬
煤はきや火のけも見えぬ見世女郎 小林一茶
庵のすすざつとはく真似したりけり 小林一茶
夕月や御煤(おすす)の過ぎし善光寺 小林一茶
我家は団扇(うちわ)で煤をはらひけり 小林一茶
我家や初氷さへ煤じみる 小林一茶
煤の手でうけとりにけり小重箱 小林一茶
庵の煤風が払つてくれにけり 小林一茶
長閑(のどか)さや煤はいた夜の小行灯 小林一茶
煤はいて棚つり直す小商人 村上鬼城
長持に鶏啼きぬ煤払 藤野古白
煤掃いて其夜の神の灯はすずし 高浜虚子
煤掃に用なき身なる外出かな 松本たかし