去年今年、宵の年、旧年

去年今年(こぞことし)、去年(こぞ)、今年、宵の年、初昔、古年、旧年、旧臘

 去年今年という言葉は、虚子の一句「去年今年貫く棒の如きもの」によって一般に広まった。本来は、新年を迎えたことを言うが、虚子の句以来、去年から今年に移る中間、という解釈も行われるようになった。「去年」と「今年」は、それぞれ独立した季語でもある。「去年」は新年になって、先刻はもう去年になったのだ、という思い。「今年」は、もう新年なのだ、という感慨。去年と今年は表裏をなしている、と言えよう。

一夜明けてあやしやわかつ去年今年   里村昌叱
(注)昌叱(しょうしつ)は秀吉に仕えた連歌師。「あやし」は「不思議」。
雲横に去年の今年の花や空   上島鬼貫
高砂や去年を捨てつつ初むかし   水間沾徳
(注)初むかし(初昔)は元日から見た前年のこと。新年の季語。
去年やきのふつとめて休む車牛   水間沾徳
若水や流るるうちに去年今年   加賀千代女
此うへの夢は覚えず去年ことし   田川鳳朗
又ことし娑婆塞ぎぞよ草の家   小林一茶
雪ながら富士は今年の物らしき   井上井月
炉明りに封切る足袋も今年かな   穂積永機
しらしらと今年になりぬ雪の上   伊藤松宇
一樽の酔ひにも去年と今年かな   内藤鳴雪
旧年の鴨飛び去らず池の濠   安藤橡面坊
憂きことも去年になりゆく懐しや   庄司瓦全
去年今年貫く棒の如きもの   高浜虚子
旧年を坐りかへたる机かな   志田素琴
旧年の畑に忘れし手鍬かな   安井小洒
葉牡丹に少し残れり去年の雪   岡本松浜
暗礁に立つ白浪や去年今年   赤木格堂
木曽川や筏の上の去年今年   吉田冬葉
旧年の臼に残れる糠粃(こうひ)かな   岩谷山梔子
天地(あめつち)をいたはり見るや去年今年   原石鼎
籠編むや籠に去年の目今年の目   久米正雄
旧年の高根に見えて炭けぶり   吉田冬葉
炭竃(すみがま)に燃え続く火の去年今年   松本たかし
去年今年袂(たもと)にのこる紙の銭   石橋秀野

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