夜寒(よさむ)、宵寒

 夜寒は晩秋に入って夜の寒さを体感すること。やや寒、うそ寒、そぞろ寒、肌寒、秋寒などとともに、俳句の世界独特の温度感覚を表す季語と言える。朝寒も秋の季語だが、夜寒に比べると作例がずっと少ない。昔の人々は秋の夜の寒さを厳しく感じていたのだろう。

病雁(びょうがん)の夜寒に落ちて旅寝哉   松尾芭蕉
(注)病雁は「やむかり」の読みもある。この句は雁(動物)の項にも載せている。
木曽殿と背中合せの寒さかな   島崎又玄
(注)義仲寺・無名庵に滞在中の芭蕉を又玄が訪ねた時の句。寺域に木曽義仲の墓がある。
夜寒さや垢すり落す夢心地   斎部路通
落雁の声のかさなる夜寒かな   森川許六
夜を寒み乾鮭(からざけ)つたふ鼠かな   川井乙州
(注)「夜を寒み」は夜寒とは別の季語とされる。「夜が寒いので」の意味。
夜寒さや舟の底する砂の音   立花北枝
病人と鉦木(しゅもく)に寝たる夜さむかな   内藤丈草
(注)鉦木は鉦をたたく棒。T字型になっている。
夕顔の汁は秋しる夜寒かな   各務支考
瀬の音の二三度かはる夜寒かな   浪化
荷をつけて馬の彳(たたず)む夜寒哉   土屋林紅
行灯の一つ増したる夜寒かな   横井也有
水瓶へ鼠の落ちし夜寒かな   炭太祇
舟曳きの舟へ来て言ふ夜寒かな   炭太祇
やや老(い)て初子育つる夜寒かな   炭太祇
月影や澄みて夜寒の膝頭   田河移竹
猿どのの夜寒訪(い)ゆく兎かな   与謝蕪村
盗人の屋根に消え行く夜寒かな   与謝蕪村
壁隣ものごとつかす夜さむ哉   与謝蕪村
欠け欠けて月もなくなる夜寒哉   与謝蕪村
巫女(かんなぎ)に狐恋する夜寒かな   与謝蕪村
貧僧の仏を刻む夜寒哉   与謝蕪村
起きて居てもう寝たといふ夜寒かな   与謝蕪村
書(ふみ)つづる師の鼻赤き夜寒かな   与謝蕪村
はなたれて独り碁をうつ夜寒かな   与謝蕪村
きりぎりす自在をのぼる夜寒哉   与謝蕪村
(注)自在はいろりの上に下がる自在鉤(じざいかぎ)。
盗人の母来て詫びる夜寒かな   大島蓼太
四十から酒のみ習ふ夜寒かな   大島蓼太
洗濯に糊のききたる夜寒かな   大島蓼太
鹿の音の嵯峨へ下りたる夜寒かな   大島蓼太
鳴かで蚊の行灯巡る夜寒かな   大伴大江丸
酒造る桶に音ある夜寒かな   大伴大江丸
怪談の後ろ更けゆく夜寒哉   黒柳召波
(注)怪談を聞いている自分の後ろの方。
月の洩る穴も夜寒の一つ哉   黒柳召波
椎の実の板屋を走る夜寒哉   加藤暁台
(注)板屋は板葺きの屋根。
しみじみと夜寒き蜘(くも)の歩み哉   加藤暁台
うぶ髪の故郷遠き夜寒かな   加舎白雄
嬉しさや夜寒の陳皮(ちんぴ)唐辛(子)   夏目成美
茶を飲めば眼鏡はづるる夜寒哉   夏目成美
あたらしい綿入れ着たる夜寒かな   江森月居
目覚めして旅僧座し居る夜寒かな   吉分大魯
家ぬしを大工の譏(そし)る夜寒かな   吉分大魯
牛に物言うて出て行く夜寒哉   成田蒼虬
芋茎さく音を夜寒のはじめ哉   成田蒼虬
人声の処のしれぬ夜寒かな   田川鳳朗
両国の両方ともに夜寒哉   小林 一茶
(注)両国は隅田川にかかる両国橋の両岸の地。武蔵、下総の国境でもあった。
次の間の灯で飯を喰ふ夜寒哉   小林一茶
やや寝よき夜となれば夜の寒さ哉   小林一茶
先住が愛でし榎も夜寒哉   小林一茶
門の木に梯子かかりて夜寒哉   小林一茶
さぼてんの鮫肌見れば夜寒哉   小林一茶
救世(ぐぜ)観音かかる夜寒を助(け)給へ   小林一茶
六十に二つ踏込む夜寒哉   小林一茶
店賃の二百を叱る夜寒哉   小林一茶
咄(はなし)する一方は寝て夜寒哉   小林一茶
一人(いちにん)と書留らるる夜寒かな   小林一茶
親といふ字を知(り)てから夜寒哉   小林一茶
(注)一茶に「親といふ字を知(り)てから秋の暮」もある。
たばこ盆足で尋ねる夜寒かな   小林一茶
大声に夜寒語るや垣越しに   小林一茶
のらくらが遊び加減の夜寒哉   小林一茶
窓際や虫も夜寒の小寄合   小林一茶
藪村に豆腐屋出来る夜寒哉   小林一茶
草の家は秋も昼寒夜寒哉   小林一茶
都には加茂川ありて夜寒かな   桜井梅室
寝るも惜しする事もなき夜寒かな   桜井梅室
つばくろの巣に鼠鳴く夜寒かな   桜井梅室
川止めの沙汰聞く宿の夜寒かな   清水一瓢
売れ残る遊女ひとりの夜寒かな   野間一雲
馬方の馬にものいふ夜寒かな   内藤鳴雪
夜を寒み俳書の山の中に坐す   正岡子規
酒少し徳利の底に夜寒かな   夏目漱石
宮様の森黒々と夜寒かな   松瀬青々
影法師一つになりし夜寒かな   佐々醒雪
又一つ寄席なくなりし夜寒かな   増田龍雨
夜を寒み人語聞えて森の寺   河東碧梧桐
家近く夜寒の橋を渡りけり   高浜虚子
夜をさむし顎を埋むるばかりなり   高浜虚子
糸車泣くよに廻る夜寒かな   岡本松浜
行灯を寄せて飼鳥あやす夜長かな   大須賀乙字
花更へて本読みかへて夜寒なる   前田普羅
掻きあはす夜寒の膝や机下   杉田久女
咳ひとつ赤子のしたる夜寒かな   芥川龍之介
竹林や夜寒のみちの右ひだり   芥川龍之介
こほろぎにしのびよらるる夜寒かな   吉田冬葉
夜寒さや吹けば居すくむ油虫   富田木歩
聴き澄ます夜寒の水のひびきかな   日野草城
夜を寒み髪のほつれの影となる   石橋秀野

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