現代の歳時記は蜻蛉と赤蜻蛉は別の季語に分類しているが、江戸時代はさほどはっきりと区別されていなかったようだ。「赤蜻蛉」と詠んだ実作例は非常に少なく、これまでに見つけた句は蕪村、白雄、一茶のくらいのもの。本句集では、蜻蛉の項目に赤蜻蛉も加えた。
蜻蛉(とんぼう)の来て哀れなり釣灯(つりともし) 天野桃隣
蜻蛉や取付きかねし草の上 松尾芭蕉
(訳)蜻蛉が草の葉先に止まろうとする。しかし風が吹くので、うまく止まれない。
蜻蛉や日は入りながら鳰(にお)の海 広瀬惟然
(注)鳰の海は琵琶湖のこと。
蜻蛉の藻に日を暮らす流れかな 野沢凡兆
蜻蛉や狂ひしづまる三日の月 宝井其角
山の端をやんまかへすや破れ笠 宝井其角
蜻蛉の来ては蝿とる笠の中 内藤丈草
蜻蛉のあたまにとまる日向かな 各務支考
蜻蛉と我と遊びて薄着かな 各務支考
蜻蛉の芒に下(が)る夕日かな 小杉一笑
蜻蛉の顔は大かた眼玉かな 下里知足
蜻蛉のつつとぬけたる廊下かな 高岡斜嶺
蜻蛉や何の味ある竿の先 藤堂探丸
蜻蛉の壁を抱ふる西日かな 沾荷
釣下手の竿に来て寝る蜻蛉哉 横井也有
行く水におのが影追ふ蜻蛉かな 加賀千代女
蜻蛉釣り今日はどこまで行ったやら 伝・千代女
(注)亡き子を想っての句、として有名だが、千代女句集には見られないという。
静かなる水や蜻蛉の尾に打つも 炭太祇
蜘蛛の囲に棒しばりなる蜻蛉哉 炭太祇
垣竹の中で長いに蜻蛉かな 河合移竹
蜻蛉や村なつかしき壁の色 与謝蕪村
染めあへぬ尾のゆかしさよ赤蜻蛉 与謝蕪村
(注)まだ尾の赤色に染めきらない赤蜻蛉は、何となく心ひかれる。
日は斜(め)関屋の槍に蜻蛉かな 与謝蕪村
白壁に蜻蛉過(よぎ)る日影かな 黒柳召波
蜻蛉や岩切通す水の上 大伴大江丸
はだか子の蜻蛉つりけり昼の辻 高桑闌更
とんぼうや飯の先までひたと来る 黒柳召波
蜻蛉や施餓鬼の飯の箸の先 吉分大魯
蜻蛉や声なきものの騒がしく 吉分大魯
ゆふ風や流れにひたす蜻蛉の尾 蝶夢
蜻蛉に波の蔓草乱るかな 加舎白雄
秋の季の赤蜻蛉に定(ま)りぬ 加舎白雄
亡き人のしるしの竹に蜻蛉哉 髙井几董
とんぼうや白雲の飛ぶ空までも 高井几董
蜻蛉や片足上げし鷺の上 岩間乙二
蜻蛉の十ばかりつく枯枝かな 井上士朗
蜻蛉や銭百付けし杖の先 建部巣兆
蜻蛉やかく生れ得て風の前 巒寥松
蜻蛉や二尺飛んでは又二尺 小林一茶
蜻蛉の尻でなぶるや角田川(すみだがわ) 小林一茶
馬の耳ちよこちよこなぶる蜻蛉哉 小林一茶
遠山が目玉にうつるとんぼかな 小林一茶
うろたへな寒くなる迚(とて)赤蜻蛉 小林一茶
夕日影町一ぱいのとんぼかな 小林一茶
蜻蛉や帆柱あてに遠く行く 桜井梅室
蜻蛉のおさへつけたり鮨の圧(おし) 桜井梅室
蜻蛉の羽にも透くなり三上山 桜井梅室
蜻蛉や遠くも去らずもとの竿 松本花朝女
流れゆくものにも止る蜻蛉かな 蟻道
動かずに早瀬の上の蜻蛉かな 正岡子規
蜻蛉の御寺見おろす日和哉 正岡子規
蜻蛉や何を忘れてもとの杭 正岡子規
いつ見ても蜻蛉は一つ竹の先 正岡子規
赤蜻蛉地蔵の顔の夕日哉 正岡子規
赤蜻蛉飛ぶや平家のちりぢりに 正岡子規
蜻蛉の夢や幾度(たび)杭の先 夏目漱石
肩に来て人懐かしや赤蜻蛉 夏目漱石
生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉 夏目漱石
今生(あ)れしやうにむるる(群るる)や赤蜻蛉 塚本虚明
水引いて日当る石に蜻蛉かな 安藤豫面坊
とんぼうの暮れて近づく我が上に 松瀬青々
いざ別るるとき蜻蛉のおびただし 野田別天楼
蜻蛉の見る見るふえて入り日かな 篠原温亭
釣竿の長き短かき飛ぶ蜻蛉 石井露月
から松は淋しき木なり赤蜻蛉 河東碧梧桐
挙げる杖の先ついと来る赤蜻蛉 高浜虚子
捨て苗の束に生まれし蜻蛉かな 小沢碧童
蜻蛉の舞ひ澄む真向き横向きに 西山泊雲
夕凪の草に寝(いね)たる蜻蛉かな 寺田寅彦
鱸魚(すずき)買はん呉人の杖に蜻蛉かな 羅素山人
(注)呉人は、中国・呉の国(現在は江蘇省)の人。
西ゆ北へ雲の長さや夕蜻蛉 大須賀乙字
笠にとんぼとまらせて歩く 種田山頭火
すつぱだかにとんぼとまらうとするか 種田山頭火
畑に見る蜻蛉の中の我家かな 中塚一碧楼
こそばゆく蜻蛉に指を噛ませたり 高橋淡路女
屋根石に四山濃くすむ蜻蛉かな 杉田久女
蜻蛉に空のさざなみあるごとし 佐々木有風
蜻蛉やいま起る賎(しず)も夕日中 芝不器男
誰も来ぬ窓の蜻蛉やお朔日(ついたち) 富田木歩