野分は野の草を吹き分けるほどの強い風で、9月、10月の強風を言う。かつては台風と一線を画し、雨を伴わないのが野分だとされてきた。ただ江戸時代にも「芭蕉野分して盥(たらい)に雨を聞く夜哉」(松尾芭蕉)のように暴風雨(台風)として詠んでいる例が少なくない。現在では「野分は主として台風をさす」(『日本大歳時記』講談社)という見方が一般的。野分が吹き過ぎた後は秋草が吹き倒れ、荒れた景色となる。
芭蕉野分して盥(たらい)に雨を聞く夜哉 松尾芭蕉
猪もともに吹かるる野分かな 松尾芭蕉
吹きとばす石は浅間の野分かな 松尾芭蕉
(注)野分が浅間山の石を吹き飛ばしている。それを逆に詠んでいる。
あれあれて末は海行(く)野分き哉 窪田猿雖
一番に案山子(かかし)をこかす野分かな 森川許六
辻君も帰る野分の旦(あした)かな 森川許六
(注)辻君は道の辻などに立っていた売春婦。「よたか」とも呼ばれた。
猪の吹かへさるる野分かな 水田正秀
被衣(かずき)拾ふ嵯峨に暴風(のわき)のゆふべかな 上島鬼貫
(注)被衣は昔の女性が顔を隠すために被った衣。それが飛ばされてきたのだ。
冷々と朝日嬉しき野分かな 各務支考
当もなき海へ吹出す野分哉 浪化
ふんばりて峠を越ゆる野分哉 浪化
小原女や野分に向かふかかへ帯 加賀千代女
(注)かかへ帯(抱え帯)は、江戸時代の女性が裾をはしょるために用いた細帯。
浅川の水も吹散る野分かな 炭太祇
渡守舟流したる野分哉 炭太祇
顔出せば闇の野分の木の葉かな 炭太祇
鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな 与謝蕪村
うつくしや野分のあとのとうがらし 与謝蕪村
底のない桶こけありく(歩く)野分かな 与謝蕪村
船頭の棹とられたる野分かな 与謝蕪村
岡の家の海より明けて野分哉 与謝蕪村
鴻の巣の網代(あじろ)にかかる野分かな 与謝蕪村
野分止んで鼠のわたる潦(にわたずみ) 与謝蕪村
野分止んで戸に灯のもるる村はづれ 与謝蕪村
市びとのよべ問いかはすのわきかな 与謝蕪村
妻も子も寺でもの喰ふ野分かな 与謝蕪村
岩端(いわはな)の鷲吹きはなつ野分かな 大島蓼太
金屏に雨吹入るる野分かな 大島蓼太
(注)金屏は、金屏風(びょうぶ)。
日のいろや野分しづまる朝ぼらけ 大伴大江丸
のわけして旭(あさひ)まん丸に出でにけり 大伴大江丸
声も立てず野分の朝の都鳥 高桑闌更
戸明れば月赤き夜の野分哉 高桑闌更
子狐を穴へ呼込む野分哉 黒柳召波
雪隠(せっちん)のかきがねはづす野分かな 黒柳召波
たふれ(倒れ)ける竹に日の照る野分かな 三浦樗良
小夜中や野分静まる夢心 加舎白雄
(注)小夜中(さよなか)は真夜中。
水寒し野分のあとの捨筏 加舎白雄
岩角をふみかく駒の野分かな 松岡青蘿
悲しさもやぶれかぶれの野分哉 高井几董
屑買ひの吹かれて徒歩(あり)く野分かな 酒井抱一
寝筵(むしろ)や野分に吹かす足の裏 小林一茶
山は虹いまだに湖水(うみ)は野分かな 小林一茶
ぽつぽつと馬の爪切る野分かな 小林一茶
我が声の吹き戻さるる野分かな 内藤鳴雪
山川の水裂けて飛ぶ野分かな 村上鬼城
心細く野分のつのる日暮かな 正岡子規
鶏頭の皆倒れたる野分かな 正岡子規
鶏頭ノマダイトケナキ野分カナ 正岡子規
野分して上野の鳶の庭に来る 正岡子規
野分して蟷螂(かまきり)を窓に吹き入るる 夏目漱石
鶏の吹き倒さるる野分かな 松瀬青々
風呂焚いて野分の心静まれり 篠原温亭
抱き起す萩と吹かるる野分かな 河東碧梧桐
大いなるものが過ぎ行く野分かな 高浜虚子
草の中に小家漂ふ野分かな 西山泊雲
藪耐へて家現はるる野分かな 西山泊雲
白壁に月さやかなる野分かな 岡本松浜
地虫鳴く外は野分の月夜かな 臼田亜浪
荷車の下に鶏鳴く野分かな 羅蘇山人
山川に高波も見し野分かな 原石鼎
筑紫野はあれちのぎくに野分かな 原石鼎
野分して芭蕉は窓を平手打つ 川端茅舎
野分していよいよ遠き入日かな 日野草城
野分してしずかにも熱いでにけり 芝不器男
豚小屋に潮のとびくる野分かな 篠原鳳作
薮の月一瞬ありし野分かな 松本たかし
大枝の伐(き)り落とされぬ野分中 松本たかし
百姓の妻を愛する野分かな 松本たかし