虫、虫の声、虫の音、虫の秋

虫、虫の声、虫の音、虫の秋、残る虫、虫時雨

 俳句でいう「虫」は「鳴く虫」のこと。季語の「虫」は鳴く虫の総称で、コオロギ、鈴虫、松虫など個々の虫はそれぞれ別の季語になる。日本では古来、貴族の間で虫の声を競わせる「虫合(むしあわせ)」などの行事や遊びがあり、庶民の間でも籠に飼い、虫の音を楽しんでいた。このような風習は世界的に珍しく、ラフカディオ・ハーンは随筆に「日本では、いい声で鳴く虫の値段は同じ重さの金よりも高い」と驚きをこめて書いている。

 旧字の「蟲」と書く例は非常に多いが、この句集では「虫」に統一した。


野に嬉し虫待宵の小行燈(こあんどん)   松江重頼
(訳)野原で小行灯を見て嬉しくなった。虫の音を聞こうと風流人が用意したのだ。
宵過や虫売(り)通る町外れ   天野桃隣
盆過ぎて宵闇暗し虫の声   松尾芭蕉
菜畑や二葉の中に虫の声   江左尚白
虫ぞ鳴くあの咳(しわぶき)は又隣   小西来山
行水も日まぜになりぬ虫の声   小西来山
屋根裏に虫の音寒し辻行燈   小西来山
暮るる程芭蕉にひびく虫の声   森川許六
長き夜やいろいろに聞く虫の声   森川許六
屋根まくる野分の中や虫の声   河野李由
相撲場の後ろは寒し虫の声   河野李由
行水の捨所(すてどころ)なき虫の声   上島鬼貫
宵はいつも秋に勝つ気を虫の声   上島鬼貫
虫籠を買うて裾野に向かひけり   上島鬼貫
野離れや風に吹(き)くる虫の声   上島鬼貫
(注)野離れは人家を離れた野辺。
耳の底に一座敷あり虫の声   立花北枝
声立る中に一つの裸虫   石岡玄梅
(注)裸虫にはいくつかの意味があるが、この場合は「人間」だろう。
虫の音の中に咳出す寝覚哉   内藤丈草
虫の音や夜更けてしづむ石の中   斯波園女
虫共の啼てや我を涅槃像   各務支考
(訳)釈迦入滅の涅槃像(画)では虫も悲しんでいる。今鳴く虫は私を涅槃像と見ているのか。
爺婆も共に白髪や虫の声   浪化
火の消て胴に迷ふか虫の声   水田正秀
借らばやと借家に入れば虫の声   榎並舎羅
何なりと思ひ出せやと虫の声   堀部魯九
虫啼や木賊(とくさ)がもとの露の影   三浦樗良
明け六ツをしじまの鐘か虫の声   谷口田女
虫の音の掃(か)れて遠し寺の庭   横井也有
草刈の笛暮はてて虫の声   横井也有
去年見た蔵の跡なり虫の声   横井也有
生まれつく草の青みや秋の虫   秋山文鳥
朝市や虫まだ声す物の下   炭太祇
むし啼くや河内通ひの小提灯   与謝蕪村
古御所や虫の飛びつく金屏風   与謝蕪村
茨野や夜は美しき虫の声   与謝蕪村
虫どもの末の露なり砂糖水   大島蓼太
虫の音や道ほどあけて長堤   大島蓼太
十ばかり耳ある夜なり虫の声   大島蓼太
眼を明けば昼寝なりけり虫の声   大島蓼太
日暮ても野は錦なり虫の声   大島蓼太
(訳)暗くなっても野原は虫の声で錦を思わせるように華やかである。
月消て虫は嵐の下音かな   高桑闌更
乾きたる虫籠の草やあら無沙汰   黒柳召波
虫聞きて立つや野人(やじん)の怪しむまで   黒柳召波
(注)野人は、農夫など野や田畑に働く人。
秋の誠虫ほどに鳴くものはなし   加藤暁台
立出でて鎖(とざ)せばあとは虫の声   加藤暁台
虫の音や月は僅に書の小口   加舎白雄
(注)小口は、端、先の方。
鹿道や踏(ま)れん斗(ばか)り虫の鳴く   加舎白雄
物知らぬ妻と選ぶや虫の声   髙井几董
(注)選ぶ、はこの場合、聞き分ける。
虫の声草のふところはなれたり   高井几董
虫の音に折々わたる嵐かな   松岡青羅
更くる夜や草を離るる虫の声   桐雨
天の川虫の啼く音も常になる   岩間乙二
啼く虫の中へさし込む馬の鼻   鈴木道彦
ほつれ笠着た僕もあり虫の声   建部巣兆
声々に虫も夜なべの騒ぎかな   小林一茶
鳴けよ虫腹の足しにもなるならば   小林一茶
籠の虫妻恋しとも鳴くならん   小林一茶
虫鳴くや五分の魂ほしいとて   小林一茶
わやわやと虫の上にも夜なべかな   小林一茶
世が直る直ると虫の踊りかな   小林一茶
鳴くな虫直る時には世が直る   小林一茶
吹降りや家陰たよりて虫の声   小林一茶
行灯(あんどん)にちよつと鳴きけり青い虫   小林一茶
町にない風は野にある虫の声    小森卓郎
彳(たたず)めば虫鳴き出すや笠のかげ   桜井梅室
小庭にも遠近(おちこち)あるや虫の声   桜井梅室
虫鳴くや昔からある柱穴   鶴田卓池
何とやらいふ虫が一つ鳴いてゐる   岩波其残
虫聞くや子規の墓ある山続き   内藤鳴雪
杉山の昼は夜に似て虫の声   高地帰雲
虫の音や静かになれば又一つ   伊川尚左
虫聞くと話聞く別々の耳   安藤和風
虫鳴くや金堂の跡門の跡   正岡子規
虫鳴くや七堂伽藍なにもなし   正岡子規
虫鳴くや梅若寺の葭簀(よしず)茶屋   正岡子規
窓の燈の草にうつるや虫の声   正岡子規
虫の中に寝てしまひたる小村かな   松瀬青々
筵(むしろ)もの干すに虫鳴く小百姓   松瀬青々
虫の声野水に珠を流すかに   松瀬青々
水汲んで墓所にのぼるや昼の虫   田中寒楼
籠の虫つまめば腹のやはらかき   野田別天楼
昼の虫鳴かずみじろぐ籠の中   野田別天楼
草市やどこかで昼の虫が鳴く   巌谷小波
昼の虫鳴いて香烟(こうえん)ますぐなり   石井露月
萩の根によせて置きあり虫行燈   高浜虚子
虫鳴くや鍋の尻敷あるあたり   広江八重桜
虫幽(かす)かなればおのずと人語澄む   臼田亜浪
虫野来てうしろになりし水音かな   臼田亜浪
虫なくや我れと湯を飲む影法師   前田普羅
(訳)家に独り居て虫の音を聞いている。私が湯を飲めば、影も湯を飲んでいる。
通夜の時よりかかなべて鳴く虫よ   安斎桜磈子
(注)かかなべて(かがなべて)は、日数が経って。
死思へばわが部屋親し昼の虫   富田木歩
熱さめて心さやけき虫の宵   富田木歩
虫鳴くや衣桁(いこう)の袈裟の落ちてある   川端茅舎
硝子戸に天鵞絨(びろうど)の如(ごと)虫の闇   川端茅舎
雨音のかむさりにけり虫の宿   松本たかし
(注)「かむさり」は「かぶさり」を柔らかく表現した語。
鈴虫は鳴きやすむなり虫時雨   松本たかし


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