柿、渋柿、甘柿、柿の種

柿、渋柿、甘柿、柿主、柿の種、樽柿、熟柿(じゅくし)、柿の秋

 一般に「柿」は柿の実を表し、柿の樹木そのものは「柿の木」である。季語の柿も当然、柿の実のこと。柿には甘柿、渋柿のほか、実の状態によって熟柿(じゅくし)、干柿、樽柿などがあり、また品種には富有柿、御所柿、禅寺丸、次郎柿、百目柿など全国各地にさまざまなものがある。

蔕(ほぞ)おちの柿のおときく深山哉   山口素堂
(注)「蔕おち」は果物が熟して、自然にへたから落ちること。
里古りて柿の木持たぬ家もなし   松尾芭蕉
渋柿や一口は食ふ猿の面(つら)   松尾芭蕉
御所柿のさもあかかと木の空に   池西言水
柿主や梢はちかき嵐山   向井去来
(訳)柿主は去来本人。別荘・落柿舎の柿の葉が落ち、嵐山が近くに見えている。
別るるや柿食ひながら坂の上   広瀬惟然
(注)師の芭蕉が京都から故郷の伊賀へ帰る際の送別句。
一人旅渋柿食ふた顔は誰   服部嵐雪
御所柿や我歯に消ゆる今朝の霜   宝井其角
清滝や渋柿さはす我が意(こころ)   宝井其角
釣柿や障子に狂ふ夕日影   内藤丈草
木伝うて穴熊出づる熟柿かな   内藤丈草
腸(はらわた)に秋のしみたる熟柿かな   各務支考
寂しさの嵯峨より出たる熟柿かな   各務支考
渋かろか知らねど柿の初ちぎり   伝・千代女
(注)婿を迎える気持ちを詠んでいるという。江戸時代は有名な句であった。
残る葉と染かはす柿や二つ三つ   炭太祇
関越て又柿かぶる袂(たもと)かな   炭太祇
(訳)関所を越える時、食べかけの柿を袂にしまった。無事に過ぎてから、またかぶりつく。
柿売の旅寝は寒し柿の側(そば)   炭太祇
渋柿ややがて紙子の帰り花   与謝蕪村
(注)紙子は紙製の衣服。柿の渋で防水、防腐をした。
舂(うすづ)くや老木の柿を五六升   与謝蕪村
(注)舂くは、臼に入れてつくこと。
物荒れて時めく柿の梢かな   大島蓼太
渋柿や代々の歌にも撰残し   大島蓼太
歯にしみて秋のとどまる熟柿かな   大島蓼太
ちぎりきなかたみに渋き柿二つ   大伴大江丸
(注)百人一首「契りきな…」(清原元輔)のパロディ。契ると「ちぎる」を掛ける。
渋柿にけふも暮れ行く烏かな   勝見二柳
雨毎に渋や抜けなん柿の色   高桑闌更
渋柿に忍びかねてや猿の啼く   加舎白雄
渋柿や嘴(くちばし)ぬぐふ山鴉   加舎白雄
尾長啼く渋柿原の雨気(あまけ)かな   加舎白雄
啼きにくる山鳩寒し柿の色   栗田樗堂
日は過ぐる梢の柿と見あひつつ   夏目成美
俳諧師梢の柿の蔕(へた)ばかり   岩間乙二
(注)俳諧師は世の役に立たぬとする自嘲。
柿むくに心の長いをとこかな   巒寥松
生(な)つたりな柿の蔕落ちするまでに   小林一茶
庵の柿生り年持つも可笑しさよ   小林一茶
頬ぺたに当てなどすなり赤い柿   小林一茶
(注)亡くなった娘を夢に見て。
渋柿を食(は)むは烏の継子(ままこ)かな   小林一茶
渋いとこ母が食いけり山の柿   小林一茶
あさましや熟柿をしやぶる体(てい)たらく   小林一茶
柿売りて何買ふ尼の身そらかな   村上鬼城
柿むくやてらてらうつる榾(ほだ)明り   村上鬼城
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺   正岡子規
つり鐘の蔕(へた)のところが渋かりき   正岡子規
(注)「つり鐘といふ柿をもらひて」の前書きがある。子規の柿好きは有名。
樽柿を握るところを写生かな   正岡子規
町あれて柿の木多し一くるわ   正岡子規
(注)くるわの表記は、曲輪、郭、廓。塀などによって区切られた一地域のこと。
三千の俳句を閲(けみ)し柿二つ   正岡子規
日あたりや熟柿のごとき心地あり   夏目漱石
柿に居る朝の烏や泥棒鳴き   相島虚吼
柿醂(さわ)す程も田舎は暇(いとま)ある   松瀬青々
己れ渋しと知らでや柿の真つ赤なり   佐藤紅緑
昼月や梢に残る柿一つ   永井荷風
道端に柿ころげたり農具市   松浦為王
誰のことを淫(みだ)らに生くと柿主が   中塚一碧楼
我が死ぬ家柿の木ありて花野見ゆ   中塚一碧楼
柿甘くつめたく旅にひとりあり   高橋淡路女
髪寄せて柿むき競ふ灯下かな   杉田久女
戯曲脱稿を出て柿買いぬ早稲田の夜   久米正雄
潰(つい)ゆるまで柿は机上に置かれけり   川端茅舎
柿を置き日日静物を作(な)す思念   石橋辰之助
渋柿の滅法生(な)りし愚かさよ   松本たかし
柿もぐや殊にもろ手の山落睴(らっき)   芝不器男
掌(たなごころ)あつき夕(べ)の柿愛し  石橋秀野

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