秋、白秋、素秋

 陽暦では9月からが秋だが、俳句では旧暦によるので、立秋(8月8日ごろ)からが秋となる。そのため感覚的には夏の時期である「原爆忌」「終戦日」は秋の季語とされ、「夏休み」や「夏の甲子園」は途中から秋に入ってしまう。

 白秋、素秋は中国古来の思考である五行説による呼称。四季に当てはめる色は秋が白で、また「素」に白の意味があるからだ。白秋、素秋は秋の別称と見て差し支えはないが、「白」は秋風のイメージとも重なっている。なお秋の「白秋」に対応する語は、春が「青春」、夏は「朱夏」、冬は「玄冬」である。

秋やくるのうのうそれなる一葉船   西山宗因
(注)「のうのう」は船を呼ぶ声。木の葉の舟に声をかけている。
秋はただ法師姿の夕べかな   西山宗因
夕暮は鐘を力や寺の秋   伊藤風国
ふんぎつて都の秋を下りけり   山口素堂
(訳)京都はいま、豊かな秋。しかし行かねばならぬ、と心を決めて都を出ていく。
此(この)秋は何で年よる雲に鳥   松尾芭蕉
(訳)今年の秋は何でことさら老いを感じるのだろう。ああ、鳥が雲に入って行く。
送られつ送りつ果は木曾の秋   松尾芭蕉
蛤(はまぐり)のふたみに別れ行く秋ぞ   松尾芭蕉
(注)「奥の細道」の結びの句。行き先の二見ヶ浦とふたみ(蓋身、二身)をかけた。
寂しさや須磨に勝たる浜の秋   松尾芭蕉
(訳)須磨の海岸に来てみると、とても秋の感じが強い。侘しさが募ってくる。
風色やしどろに植ゑし庭の秋   松尾芭蕉
(注)しどろは、秩序なく、乱れたままに。
面白き秋の朝寝や亭主ぶり   松尾芭蕉
何喰うて小家は秋の柳蔭   松尾芭蕉
秋十とせ却て江戸を指(す)古郷   松尾芭蕉
(訳)江戸住まい十年。いま故郷へ帰ろうとすると、江戸が故郷のように思われる。
雨の日や世間の秋を堺町(さかいちょう)   松尾芭蕉
この松の実生えせし世や神の秋   松尾芭蕉
笹竹の雀秋知る動きかな   杉山杉風
あらたまる秋もめでたし巻暦   山本荷兮
秋淋しおのがつたなき心より   向井去来
夜あるきにから櫓(ろ)の音や浦の秋   向井去来
(注)から櫓は、空櫓。櫓を浅く水中に入れて漕ぐこと。
湖も広し水鶏(くいな)の秋の声   斎部路通
蜘蛛の巣のこれも散り行く秋の庵   斎部路通
目にたつや海青々と北の秋   斎部路通
卒爾(そつじ)なる雲も出でけり秋の旅   斎部路通
(注)卒爾なは、急な、にわかな。
夜や秋や海士(あま)のやせ子や鳴く鴎   池西言水
閑(しず)かなる秋とや蛸も壷の中   広瀬惟然
田の肥(こえ)に藻や刈り寄する磯の秋   広瀬惟然
雨戸越す秋のすがたや灯の狂ひ   小西来山
幾秋の油やそむる墓の石   立花北枝
何となくかはゆき秋の野猫かな   桜井兀峰
朝夕べ秋のめぐるや原の庵    内藤丈草
秋もはや日に日にはげて山ばたけ   志太野坡
海士(あま)の外(ほか)かつて人見ず松の秋   志太野坡
秋の庵歌よむほどに荒れにけり   各務支考
秋さびし起て眺むるわが枕   槐諷竹
夕暮や都の人も秋の顔   加賀千代女
秋さびし起きて眺むる我枕   田河移竹
木曽路行きていざとしよらん秋ひとり   与謝蕪村
去来去り移竹移りぬいく秋ぞ   与謝蕪村
(注)移竹は蕪村と同年輩の田河移竹。去来の句風を慕った。「去」と「移」に注意。
笛の音に波もより来る須磨の秋   与謝蕪村
身の秋や今宵をしのぶ翌(あす)もあり   与謝蕪村
打ちよりて後住ほしがる寺の秋   与謝蕪村
(注)後住(ごじゅう)は、後任の住職。
定宿の持仏拝むや秋の旅   与謝蕪村
淋しさも度かさなるや浦の秋   堀麦水
松風はむかしのままや軒の秋   勝見二柳
涼しさや秋の日南(ひなた)の人通り   吉分太魯
けふの秋死ぬとも聞きし人にあふ   加藤暁台
飯時や戸口に秋の入日影   三浦樗良
秋すでに雁の行きかふ江の月夜   加舎白雄
蔓草のづんづと秋も二十日たつ   加舎白雄
はるばると来てわかるるや須磨の秋   高井几董
何をしてひとはくらすぞ須磨の秋   井上士朗
老いの秋鼠花火に追れけり   巒寥松
江のひかり柱に来たりけさのあき   成田蒼虬
柴の戸の空見ゆる秋の寝覚めかな   小林一茶
又しても燃たつ秋の蚊遣かな   児島大梅
人数も秋の浜なり鰯曳き   塩坪鶯笠
秋の色今朝白粥にうつりけり   岸田東処
めずらしき鳥見つけたり背戸の秋   上田聴秋
里遠く立つや煙も秋の色   萩原白隣
秋の日や人も暮れゆく風の音   岡田機外
めずらしき鳥みつつけたり背戸の秋   得田南齢
山家二軒並んで秋の灯ともる   福田把栗
行く秋にとどまる汝(なれ)に秋二つ   正岡子規
(注)前書きに「漱石に別る」。松山の漱石の下宿に滞在した後、上京する際の句。
病間あり秋の小庭の記を作る   正岡子規
死なば秋露のひぬ間ぞ面白き   尾崎紅葉
(注)紅葉辞世の句。死ぬなら秋、それも朝露の乾かぬ間がいい、という意味。
筒袖や秋の柩(ひつぎ)にしたがはず   夏目漱石
(注)子規の葬儀に際し、留学中の英国から虚子に送った句という。
捨て人や木の間の秋にこちら向く   松瀬青々
(注)捨て人は、世捨て人。
飛騨の秋鉄道論に夜を徹す   長尾桃雨
秋に病んで人なつかしき夕かな   五百木飄亭
秋の色一葉一葉に見えにけり   永田不及
いつの秋の木の葉ぞ化石して滝に   松井竹夫
もの置けばそこに生まれぬ秋の蔭   高浜虚子
子規忌へと須磨にはじまる旅の秋   高浜虚子
(訳)子規の年忌に出るために旅行へ出た。その最初の旅先が須磨である。
子規庵の秋は淋しや我も老いぬ   高浜虚子
旅の秋病むとしもなく疲れけり   大谷句仏
高原の水秋にして花あやめ   渡辺水巴
うしろ向いて秋の姿の鹿(か)の子かな   渡辺水巴
身の秋や俳諧に生きて悔もなし   原石鼎
秋の日や猫渡りゐる谷の橋   原石鼎
味噌汁に根深(ねぶか)も少し浮く秋ぞ   原石鼎
板橋や顧みすれば秋の情   宮部寸七翁
此の石に秋の光陰矢の如し   川端茅舎
秋の道日かげに入りて日に出て   日野草城
飛鳥田孋無公路の秋はしづかに土塀の日   長谷川素逝
秋どどと獄中信を誰(た)が断ちし   石橋辰之助
鐘鳴れば秋はなやかに傘のうち   石橋秀野

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