稲妻の正式名は「電光」、「雷光」ともいう。俳句の世界では古くから「秋の夕方より夜間にかけ、雷鳴はなくして、ただ電光のみ走るをいふ」(俳諧歳時記)とされている。つまり雷が遠くて音が聞えない場合に見える光のことだが、稲妻が見えるとき遠くでは雷が鳴っているわけで、双方はもともと一体のもの。雷を夏の季語、稲妻は秋の季語と分けるのは理屈に合わないことになる。
句の実作例を見ると「稲妻のわれて落つるや山の上」(内藤丈草)や「稲妻の折れ入りにけり竹の中」(松瀬青々)など、「遠くで光った」という感じではない。昔から「音は聞えず、光だけ」は厳密に守られていなかったようである。
稲妻に浴(ゆあみ)してゐる女かな 伊藤信徳
稲妻や闇の方行く五位の声 松尾芭蕉
(注)五位はゴイサギ。
稲妻を手にとる闇の紙燭(しそく)哉 松尾芭蕉
稲妻や海の面をひらめかす 松尾芭蕉
稲妻に大仏をがむ野中哉 山本荷兮
稲妻に京の白壁湖の水 池西言水
稲妻にゆられて月も一ころび 向井去来
稲妻やどの傾城(けいせい)と仮枕 向井去来
稲妻のかきまぜて行く闇夜かな 向井去来
稲妻や走り届かぬ京の上 森川許六
いなづまの覚束(おぼつか)なしや人の中 椎本才麿
曙や稲妻戻る雲の端 服部土芳
いなづまやきのふは東けふは西 宝井其角
稲妻や朝焼したる空に又 宝井其角
稲妻や淀の与三右が水ぐるま 上島鬼貫
稲妻や夜明て後も船心 内藤丈草
稲妻のわれて落つるや山の上 内藤丈草
稲妻に染みてはらりと野山哉 各務支考
稲妻の濡れて走るや砂の上 浪化
稲妻や手拭掛のはづれより 浪化
稲妻や嚏(くさめ)を一つ仕そこなひ 横井也有
稲妻や間を鐘の一つづつ 横井也有
稲妻の裾をぬらすや水の上 加賀千代女
稲妻や舟幽霊の呼ばふ声 炭太祇
稲妻や弱り弱りて雲の果 炭太祇
稲妻や無きと思へば雲間より 炭太祇
稲妻や浪もてゆ(結)へる秋津しま 与謝蕪村
(訳)稲妻一閃、白波に囲まれた(結へる)日本列島(秋津島)が浮かび上がる。
稲妻や秋津島根のかかり舟 与謝蕪村
(注)秋津島根は日本のこと。かかり舟は繋いである舟。
いなづまや浪のよるよる伊豆相模 与謝蕪村
稲妻に峰の仏の光かな 与謝蕪村
いな妻や佐渡なつかしき舟便り 与謝蕪村
稲妻や堅田泊りの宵の空 与謝蕪村
稲妻の一網打つや伊勢の海 与謝蕪村
(訳)伊勢の海は禁漁区。そこに稲妻が一網うったように見えた。
稲妻にこぼるる音や竹の露 与謝蕪村
いな妻のうつるや暁のわすれ水 与謝蕪村
(注)忘れ水は、野原などに流れたり溜まったりして、人に知られない水。
いなづまや夜々近き山ひとつ 大島蓼太
いなづまや槙(まき)の夜雨のかわく迄 大島蓼太
いなづまや青貝の間に客ふたり 大伴大江丸
(注)青貝は、螺鈿(らでん)と同じ。
いなづまや鉄漿(かね)つけかかる妹(いも)がかほ 大伴大江丸
いなづまやちらりと闇の一心寺 勝見二柳
稲妻や其(その)箒木(ははきぎ)の梢まで 黒柳召波
稲づまにあやしき舟の訴(うたえ)かな 黒柳召波
稲妻の顔ひく窓の美人哉 吉分大魯
いなづまや家路に帰るさすの御子(みこ) 吉分大魯
(注)さすの御子は、指(さす)の神子。よく当てる陰陽師や占い者。
稲妻や噦(しゃくり)まぎるる宵の門 加舎白雄
(注)噦は、しゃっくり。
いなづまの衣を透す浅茅かな 加舎白雄
稲妻に匂ひをつけし魚蔵(なくら)かな 加舎白雄
稲妻や隣の蔵も修復時 高井几董
稲妻や山城の山河内の河 高井几董
竹深し稲妻薄き夜明がた 高井几董
いな妻や壁を逃げさる蜘(くも)のあし 高井几董
稲妻に梨子の接木のいたみけり 夏目成美
稲妻や野に立つ人のあればある 夏目成美
稲妻や人の歩みも遅いもの 夏目成美
稲妻やされば夜来る杉の間 寺村百池
稲妻につまづく淀の堤かな 井上士朗
山に居れば稲妻見ゆる海の上 井上士朗
稲妻の度々蟇(ひき)の歩みかな 栗田樗堂
はらはらと稲妻かかるばせを(芭蕉)かな 栗田樗堂
電(いなづま)に今年の竹の美しき 夏目成美
稲妻のこぼれて赤し蕎麦の畑 可有
稲妻やしばしば見ゆる膳所(ぜぜ)の城 素洗
稲妻やあらぬ所の鳥おどし 松村月渓
稲妻や谷の小寺の泊り客 岩間乙二
いなづまの一夜になりぬ酒の味 岩間乙二
稲妻や更け行く夜の身のたゆみ 成田蒼虬
稲づまの所定めぬ夜は寒し 田川鳳朗
稲妻やうつかりひよんとした顔に 小林一茶
(注)うかりひょんは、ぼんやりしている様子。
稲妻や畠の中の風呂の人 小林一茶
稲妻に並ぶやどれも五十顔 小林一茶
稲妻にへなへな橋を渡りけり 小林一茶
(注)すぐに撓む橋を渡っていく。稲妻が光るたびにびくりとするので、橋が揺らぐ。
稲妻や浦の男の供養塚 小林一茶
水打つて稲妻待つや門畠 小林一茶
稲妻のしばし流るる大河かな 桜井梅室
(訳)雷雲が立ちこめあたりは暗い。一瞬、稲光りの間に大河の流れが見えた。
稲妻や松の香こぼす青畳 桜井梅室
稲妻や畑向うの話し声 桜井梅室
稲妻や舟に寝並ぶ人のかほ 魚汶
稲妻のところもかへず海の上 岡田梅間
稲妻に見るや畳のこぼれ酒 豊島由誓
稲妻のこぼれて闇の草青し 八木芹舎
稲妻やひと船着いた人通り 大橋梅裡
稲妻や白蓮一つ池の隅 塩坪鶯笠
よみ懸けし戦国策や稲光 井上井月
稲妻や鵜籠の中もちらと見せ 天野桑古
稲妻の行方や沖のかかり船 菱田百可
稲妻に近くて眠り安からず 夏目漱石
眠られぬ夜を稲妻の盛んなり 相島虚吼
稲妻やくだけて走る藪の中 山寺梅龕
稲妻の折れ入りにけり竹の中 松瀬青々
稲妻の宵は過ぎつつ天の川 筏井竹の門
夜の底に沈む街ただ稲妻す 武田鶯塘
西吹くや伊豆にたなびく雲の秋 数藤五城
稲妻や不動明王の顔の色 大野洒竹
稲妻や物静かなる西庇(ひさし) 坂本四方太
稲妻や耳なし山の峰はづれ 河東碧梧桐
稲妻に三度弓弦(ゆづる)を鳴らしけり 佐藤紅緑
吊捨てに枯るる忍(しのぶ)や稲光 増田龍雨
稲妻や馬盗人は馬の背に 増田龍雨
稲妻のはたはたと鳴る雲間かな 佐藤紅緑
稲妻や半ば刈りたる草の原 高浜虚子
稲妻をふみて跣足(はだし)の女かな 高浜虚子
天の川天の一方に稲妻す 直野碧玲瓏
かかる夜を誰(た)が柩ぞよ稲光 田中田士英
稲妻や月も出ていて雲奇なり 寒川鼠骨
稲妻や湯船に人は玉の如(ごと) 寺田寅彦
稲妻や世をすねて住む竹の奥 永井荷風
稲妻や牛かたまつて草の原 大須賀乙字
稲妻や獺(おそ)とも知らでともありき 小沢碧童
稲妻にたぐへて人の怨みかな 野上豊一郎
(注)たぐへては、類えて(そわせて、伴わせて)。
稲妻の来ては照らすよばくち宿 岡田燕子
稲妻のぬばたまの闇独り棲む 竹下しづの女
稲妻のあをき翼ぞ玻璃(はり)打てる 篠原鳳作