雁はマガン、ヒシクイなどカモ目の大型水鳥を言う。雌雄同型で、体型はカモ(鴨)に似ているが、鴨よりかなり大きい。北半球の北部で繁殖し、日本には晩秋から冬にかけて飛来する。かつては食用肉として珍重され、鍋物、焼き物などによく用いられたが、乱獲で減少し禁漁鳥となった。俳句では秋の季語とされている。「鴈」という表記もあるが、本句集では「雁」に統一した。
「かり」は雁の鳴き声を表し、雁そのものを表すようになった。かりがね(雁が音)も元来は鳴き声のことだが、これも雁そのものを表している。
雁は蘆の穂綿をまくら衾(ふすま)かな 松江重頼
(注)衾は、寝るとき体をおおう夜具。
おらんだの文字か横たふ天つ雁 西山宗因
(訳)雁が空を横一列に飛んでいく。オランダの文字のようだ。
今来んといひしば雁(かり)の料理かな 西山宗因
(注)素性法師の歌に「今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな」
病雁の夜さむに落(ち)て旅寝かな 松尾芭蕉
(注)病雁の読みに「やむかり」「びょうがん」の二説。病む雁に旅寝の自分を重ねた。
雁聞きに京(みやこ)の秋におもむかむ 松尾芭蕉
後からものめさせけり雁の声 池西言水
(訳)雁の声を聞く人に後ろから着物を着させた。寒くなってきたからだろう。
雁がねの竿に成る時猶(なお)淋し 向井去来
烏帽子着て白きもの皆小田の雁 服部嵐雪
雁がねの翼にかけて比良横川(よかわ) 森川許六
雁渡る雁風呂時の夜寒かな 森川許六
(注)雁風呂は雁供養の風習。浜の木を焚いて風呂を沸かし、雁の渡りを労わる。
並び行く雲井の腹や雁の声 森川許六
(訳)見上げれば、雲のあるあたりに雁の腹が並び飛んでいく。雁の鳴き声が聞える。
雁啼て綿よ木綿よ吉野山 森川許六
落雁の声のかさなる夜寒かな 森川許六
初雁や思ふ田へただ一文字 水間沾徳
雁の声おぼろおぼろと何百里 各務支考
(注)「おぼろおぼろと」は、かすんで。
雁(かりがね)も静(しずか)に聞けばからびずや 越智越人
(訳)うるさい雁の声も、心澄まして聞けば、枯れた味わいがあるではないか。
船の灯のちらちら時や雁の声 岩田涼菟
雁の腹見送る空や舟の上 宝井其角
(注)「見送る空」を「見すかす空」とした書もある。
白雲に鳥の遠さよ数は雁 宝井其角
酒買ひに行くか雨夜の雁一つ 宝井其角
陣中の飛脚も泣くや雁の声 宝井其角
雁がねの跡に飛行く村烏 上島鬼貫
うら声と言ふにもあらで雁の声 上島鬼貫
雁の列(つら)崩れかかるや勢田の橋 立花北枝
初雁や思ふ田に只一文字 水間沾徳
雲冷ゆる夜半(よなか)に低し雁の声 内藤丈草
又来たと烏思ふや小田の雁 各務支考
案山子して待(つ)里もあり雁の声 横井也有
初雁や通り過して声ばかり 加賀千代女
初雁や中にまさしう鳴かぬあり 加賀千代女
かりがねの重なり落つる山辺哉 炭太祇
初雁や遊女に油ささせけり 炭太祇
初雁や夜は目の行く物の隅 炭太祇
初雁や心づもりの下り所 炭太祇
初雁や爪先黄なる唐辛子 田河移竹
初雁や空にしらるる秋の道 溝口素丸
初雁や小袿(うちぎ)通す雨後の風 溝口素丸
初雁に羽織の紐を忘れけり 与謝蕪村
紀の路にも下りず夜を行く雁ひとつ 与謝蕪村
雁啼くや舟に魚焼く琵琶湖上 与謝蕪村
北颪(おろし)雁鳴きつくす雲井より 与謝蕪村
初雁や古り行くはをしき(惜しき)額の文字 堀麦水
初雁や北斗と落つる水の上 大島蓼太
片羽づつ入日や持ちて落つる雁 大島蓼太
(訳)雁の群れが降下する。どの雁も片方の羽に夕日を受けている。
初雁や平砂にはやき月の霜 大島蓼太
船たてる煙のすゑやかりの声 大伴大江丸
初雁の痩せて餌をはむ磯田かな 高桑闌更
月ひらひら落ち来る雁の翅(つばさ)かな 高桑闌更
(注)ひらひらは月の光、雁が下りて来る様子の二つを表しているのだろう。
あれほどに等しきものか天津雁 高桑闌更
離れじと呼つぐ声か闇の雁 高桑闌更
夕暮や啼過る雁小田の雁 高桑闌更
小田の雁月のぐるりに眠りけり 高桑闌更
低く飛ぶ雁ありさては水近し 黒柳召波
かりがねの重なり落つる山辺かな 三浦樗良
初雁や月のほとりより顕(あら)はるる 三浦樗良
荒磯や初雁渡る塩けぶり 三浦樗良
落も果てず迷ひめぐるや雨の雁 三浦樗良
饂飩(うどん)焚く空や雨夜の雁の声 三浦樗良
初雁の信濃にかかる夜は寒し 加藤暁台
初雁や高根を左右へ翻へる 加藤暁台
雨暗き夜の白根を雁渡る 加藤暁台
西山や日の上を行く雁のすじ 加藤暁台
聞き初めし夜より乱れて風の雁 加藤暁台
南にもはつ雁がねの声すなり 加藤暁台
あの男行かば立つべし小田の雁 加舎白雄
(訳)田んぼの雁を眺めていて。あの男が近づけば、雁は飛んで行くだろう。
秋既に雁の行きかふ江の月夜 加舎白雄
必ずよ後(あと)なる雁が先になる 加舎白雄
幾行(つら)も雁過ぐる夜となりにけり 松岡青蘿
羽音さへ聞えて寒し月の雁 松岡青蘿
来る雁に果敢(はか)なき事を聞く夜哉 髙井几董
(注)加賀の千代尼(千代女)の死去を聞いて。
雨風の夜もわりなしや雁の声 髙井几董
米踏みの腹寒き夜や雁の声 髙井几董
日のさしてとろりとなりぬ小田の雁 夏目成美
大竹も靡(なび)くや雁の渡りぞめ 夏目成美
雁並ぶ声に日の出る河原かな 井上士朗
雁がねに烏の交る堅田かな 井上士朗
必ずや暮れて雁啼く門田哉 井上士朗
字をなせる雁既に三分雲に入る 松村月渓
旅ひとりにはらはらと雁が鳴く 建部巣兆
雁渡る夜や善く燃ゆる真柴の火 巒寥松
藪越ゆる時よく見えて雁の腹 成田蒼虬
雁の来てしまうた空の青さかな 田川鳳朗
けふからは日本の雁ぞ楽に寝よ 小林一茶
雁よ雁いくつのとしから旅をした 小林一茶
田の雁や里の人数はけふも減る 小林一茶
(訳)雁が田に降りてくる晩秋。村人は出稼ぎのため故郷を離れていく。
暮行くや雁とけぶりと膝がしら 小林一茶
(注)夕暮れにしゃがみ込んで雁を眺めているのだろう。
行きあたりばつたり雁の寝所(ねどこ)哉 小林一茶
連(れ)のない雁よ来よ来よ宿貸さん 小林一茶
おとなしく雁よ寝よ寝よそこも旅 小林一茶
片足立(ち)して見せるなり杭の雁 小林一茶
あれ月や月やと雁の騒ぎ哉 小林一茶
雁寝よ寝よ旅草臥(くたびれ)の直る迄 小林一茶
古屋根の芒(すすき)雁がね鳴きにけり 小林一茶
初雁や芒は招く人は追ふ 小林一茶
初雁が人に屎(はこ=糞)して通りけり 小林一茶
初雁や当にしてくる庵の畠 小林一茶
初雁の三羽も竿と成にけり 小林一茶
(訳)初雁が来た。たったの三羽だが、横に並び「竿」の形をしている。
斯(こう)しては居られぬ世なり雁が来た 小林一茶
雁が来た国の布子はなぜ遅い 小林一茶
(注)布子は、綿入れ(綿を入れた防寒の衣服)。郷里からまだ送られてこない。
雁共が夜を日についで渡りけり 小林一茶
白川や曲り直して天津雁 小林一茶
天津雁おれが松には下りぬなり 小林一茶
鳴くな雁今日から我も旅人ぞ 小林一茶
雁啼くや難なく碓氷越えたりと 小林一茶
落付くと直(すぐ)に鳴きけり小田の雁 小林一茶
雁下りてづいと夜に入る小家かな 小林一茶
(注)づい(ずい)とは、ためらいなく、すぐに。
雁鳴くや浅黄に暮るるちちぶ山 小林一茶
雁鳴くや旅寝の空の目にうかぶ 小林一茶
雁鳴くや窓に蓋する片山家(かたやまが) 小林一茶
雁啼や雨に市立つ八百屋物 花讃女
象潟(きさがた)を雨の夜にして雁の声 比蘿夫
夜の野の一隅白し雁の声 有節
騒がねば野になじまぬか渡る雁 桜井梅室
竿なりも崩さず雁の旅寝かな 桜井梅室
酔醒(よいざめ)や夜明に近き雁の声 井上井月
汽車道に低く雁飛ぶ月夜哉 正岡子規
雁低く薄(すすき)の上を渡りけり 正岡子規
雨となりぬ雁声昨夜低かりし 正岡子規
ただ一羽来る夜ありけり月の雁 夏目漱石
薄墨の雁の夕(べ)を野に見たり 松瀬青々
人の住む上も構はず雁わたる 松瀬青々
雁渡る夕空を低き家並かな 武田鶯塘
母衣(ほろ)かけて車で雁を聞く夜かな 河東碧梧桐
(注)母衣は、人力車、馬車などにつけ、雨、風などを防ぐための覆い。
湖もこの辺にして渡る雁 高浜虚子
雁見るや涙にぬれし顔二つ 高浜虚子
雁鳴いて大粒な雨落しけり 大須賀乙字
雁行のととのひし天の寒さかな 渡辺水巴
六尺の芒活けたり雁渡る 大谷碧雲居
あら波や或は低き雁の列 原石鼎
首のべて日を見る雁や芦の中 原石鼎
あら波や或(い)は低き雁の列 原石鼎
戸の口にすりつぱ赤し雁の秋 原石鼎
芭蕉高し雁列に日のありどころ 原石鼎
芥火のいきれる空や雁渡る 安斎桜磈子
(注)芥火は、漁師らが藻屑やゴミを焚く火。いきれるは、熱(いきれ)る。
かりがねや閨(ねや)の灯を消す静心 日野草城
影法師動くことなし雁渡る 片山桃史