日本人の抱く秋のイメージは、短歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行)に始まるという。俳句もこの歌の影響下にあり、特に江戸時代の俳句には暑い夏に耐えていた人々が秋を迎えるほっとした気持がよく表れている。
新暦採用(1872年)後、今朝の春は「立春」ではなく、「新年」「新春」を表すようになったが、今朝の秋は以前と変わらず「立秋」のこと。
秋やけさ一足に知る拭ひ縁 松江重頼
(訳)立秋の朝。きれいに拭いた縁側を踏めば、秋が来たことがよく分かる。
秋やけさ露吹く風もはらり立つ 北村季吟
めくら馬富士さえ秋の夕(べ)かな 伊藤信徳
是(この)沙汰ぞ風の吹くやうに今朝の秋 井原西鶴
張ぬきの猫も知るべし今朝の秋 松尾芭蕉
(注)張り抜きは「張子」のこと。
秋来にけり耳をたづねて枕の風 松尾芭蕉
秋立つやたてかけてある竹箒 山本荷兮
茶屋引きて水流れけり今朝の秋 池西言水
蓮に鷺秋来ぬ秋の夕(べ)かな 池西言水
今朝よりは我我顔の荻薄(おぎすすき) 小西来山
(訳)荻や薄が、立秋になると「我々の時期だ」という顔をしている。
秋立つやはじかみ漬も澄み切つて 小西来山
(注)はじかみは、生姜(しょうが)。
思ひきや長の夏中今朝の秋 小西来山
(訳)暑い夏が続くなぁ、と思っていたが、何と今日、立秋が到来したではないか。
来る秋や住吉浦の足の跡 小西来山
来る秋を帆にふくんだはどこ船ぞ 小西来山
深爪に風のさはるや今朝の秋 谷 木因
須田町のはつものうれし今朝の秋 森川許六
上弦(ゆみはり)のちらりと見えて秋立ちぬ 森川許六
(注)上弦は新月から満月までの半月。真夜中に弦が上に来る。
朝顔をながめて居たり今朝の秋 森川許六
秋たつや水をへだてて松のかげ 椎本才麿
そよりともせいで秋立つことかいの 上島鬼貫
ひらひらと木の葉動きて秋ぞ立つ 上島鬼貫
秋立つや富士を後ろに旅帰り 上島鬼貫
なんで秋の来たとも見えず心から 上島鬼貫
秋や今朝たつを真袖の三つ柏 上島鬼貫
(注)真袖は、両袖。三つ柏は紋所の名。
芭蕉葉や広ごり果てて今朝の秋 立花牧童
来る秋は風斗(ばかり)でもなかりけり 立花北枝
横雲のちぎれて飛ぶや今朝の秋 立花北枝
秋来ぬと音する今朝の刻み瓜 志太野坡
秋立つや竹の中にも蝉の声 三輪素覧
大根の二葉に立つや今朝の秋 三輪素覧
秋立つや鷹の塒(とや)毛のさし残り 浪化
鉈(なた)入れる林の音や今朝の秋 怒風
桐の葉に蒸されて昼は秋も来ず 志太野坡
一筋の糸よりかなし今朝の秋 各務支考
今朝秋と知らで門掃く男かな 馬場存義
秋立つや木の間木の間の空の色 横井也有
虫干の油断に立つや秋の風 横井也有
ひやひやと手に秋立つや釣瓶(つるべ)縄 横井也有
秋来ぬと老に鳴子や枠(かせ)の音 横井也有
寝過ごして大工来にけり今朝の秋 横井也有
秋なれや木の間木の間の空の色 横井也有
是はさてあの松風が秋さうな 祇園・梶女
秋立つや昨日の昔有の儘(まま) 加賀千代女
秋立つや風幾たびも聞き直し 加賀千代女
琴の音の我に通ふや今朝の秋 加賀千代女
秋たつや様ありげなり庭の草 加賀千代女
手拭の紅もさめたり今朝の秋 有井諸九尼
秋立つや鯉の背見ゆる水の面 田河移竹
秋立つや沖行く雲のそぞろなる 溝口素丸
今朝秋の小草の露をつまみ菜に 炭太祇
秋立つや何におどろく陰陽師(おんみょうじ) 与謝蕪村
温泉(ゆ)の底に我足見ゆるけさの秋 与謝蕪村
秋立や素湯(さゆ)香(こうば)しき施薬院 与謝蕪村
(注)施薬院は独居老人などを収容した医療施設。奈良時代に光明皇后が始めた。
秋来ぬと合点させたる嚏(くさめ)かな 与謝蕪村
貧乏に追いつかれたり今朝の秋 与謝蕪村
硝子(びいどろ)の魚驚きぬ今朝の秋 与謝蕪村
(訳)ガラス鉢の金魚が何かに驚いた様子。そういえば今日は立秋なのだ。
きぬぎぬの詞(ことば)すくなよ今朝の秋 与謝蕪村
秋たつもうれし上野とわかる鐘 堀麦水
蝉の行くすゑの低さやけさの秋 堀麦水
秋来ぬとけふ三日月の光かな 大島 蓼太
流れ行く茅の輪にしるや今朝の秋 大島 蓼太
秋来ぬと目にさや豆のふとり哉 大伴大江丸
(注)上記の解説にある「秋来ぬと目にはさやかに……」(藤原敏行)のパロディ。
あきたつとおもふ心が秋かいの 大伴大江丸
秋立つや今年生ひたる竹の音 勝見二柳
聞くや誰市に今朝立つ秋の声 勝見二柳
秋立や店にころびし土人形 高桑闌更
何となく秋も一日過ぎにけり 高桑闌更
ひやめしに秋たつ独り住居(すまい)かな 高桑闌更
とく起きて鼻ひる僧や今朝の秋 高桑闌更
(注)とくは「疾く」、早く。
秋立つや更に更け行く小田の泡 黒柳召波
水底に青砥(あおと)が銭や今朝の秋 黒柳召波
(注)青砥藤綱が川に落とした小銭を家来に探させた、という故事を踏まえる。
水なしの継橋越えぬ今朝の秋 黒柳召波
今朝の秋を遊びありく(歩く)や水すまし 黒柳召波
秋立つや雲は流れて風見ゆる 三浦樗良
目に見えぬ秋に心の弱りかな 三浦樗良
華ながら秋となりけり池の蓮 吉分大魯
すずろ立つ秋や翁が数珠の音 吉分大魯
(注)すずろは「漫然と」。
浪ひとつ岸打越しぬ今朝の秋 吉分大魯
起きて喰へ飯の加減も今朝の秋 吉分大魯
百日の枕洗はんけふの秋 吉分大魯
蜩(ひぐらし)の今朝しも鳴きぬ秋は来ぬ 加藤暁台
今日の秋死(ぬ)とも聞きし人に逢ふ 加藤暁台
今日と言ひし秋は今宵の五位の声 加藤暁台
暁やねござつめたき秋となる 蝶夢
明けて寝し窓から来るや今朝の秋 蝶夢
桃一つ二つ落ちけり今朝の秋 吉川五明
馬買の小笠に秋の立つ日かな 加舎白雄
草よ木よ今朝秋立つと人の言ふ 加舎白雄
秋立つや起き出るかたに嵐やま 松岡青蘿
(注)かたは、方。方向。
松の蝉啼きつつ秋に移り行く 松岡青蘿
夏痩のふしぶし高し今朝の秋 松岡青蘿
秋立つや宵の蚊遣の露じめり 高井几董
秋たつや有明がたの月の照り 高井几董
今朝秋の腹に酒なしものの味 高井几董
馬鹿づらに白き髭見ゆ今朝の秋 高井几董
暁の神鳴(かみなり)晴れて今朝の秋 高井几董
松の露落て秋知る独りかな 井上士朗
立秋の眼にうかみけり湖の雲 井上士朗
(注)うかみは、浮び。
秋たつや潮みち来れば鹿の影 栗田樗堂
柴の戸に入るや秋たつ山の影 栗田樗堂
はや秋の柳をすかす朝日かな 夏目成美
汁好きの嬉しき秋に移りけり 夏目成美
売家の隣に住みて今朝の秋 夏目成美
ひとわたり菜のかいわれて今朝の秋 建部巣兆
羽をためす乙鳥(つばくろ)高し今朝の秋 酒井抱一
江のひかり柱に来たりけさのあき 成田蒼虬
初秋や洗うて立てる竹箒 成田蒼虬
犬も尾をきりりと巻て今朝の秋 成田蒼虬
吸殻の道に煙るや今朝の秋 成田蒼虬
人ひとり田中に立ちて今朝の秋 成田蒼虬
何なりと市に買ばや今朝の秋 成田蒼虬
物言わぬ柱に寄りて今朝の秋 成田蒼虬
今朝の秋先ず借りに遣る宇治拾遺 成田蒼虬
今朝の秋撞く手に戻る鐘の声 成田蒼虬
蚤(のみ)取つてゐれば秋たつ衣かな 田川鳳朗
今朝秋ぞ秋ぞと大の男哉 小林一茶
けさ秋や瘧(おこり)の落ちたやうな空 小林一茶
秋立つといふ斗(ばかり)でも足かろし 小林一茶
お目出度く存じ候今朝の秋 小林一茶
夕やけや人の中より秋の立つ 小林一茶
秋立つといふばかりでも足かろし 小林一茶
秋立つや驚かれぬる我鼾(いびき) 桜井梅室
秋の来て出来たやうなる入江哉 桜井梅室
有る上に米を買いけり今朝の秋 桜井梅室
秋立つや負いゆく柴の朝じめり 雲里
岩鼻に海士(あま)の手籠(かご)や今朝の秋 九起
茶けぶりのゆかしう成りぬけさの秋 大原其戎
はらむ帆は秋立ちそめる力かな 大橋其戎
松の枝鋏み透かして今朝の秋 志摩万像
秋立つや乾き折れする草箒 塩坪鶯笠
たのまれぬ箒(ほうき)もとるや今朝の秋 安田雷石
かけ替えた樋の水音や今朝の秋 小野素水
秋立つや小草がくれの水の音 島本青宜
秋立つや青みのさめぬ笹箒 小川尋香
庭の井も水の香立ちて今朝の秋 鈴木完鴎
秋立つや昔ながらの風の音 鈴木月彦
咲き残る蓮の白さよ今朝の秋 馬場凌冬
秋立つや朱鷺鳴き過ぎる朝の空 庄司唫風
秋立つや馬売りにくる能登の人 寺野守水老
夜に入りて秋は立ちしと思ひけり 岡松塘
立つ秋の鏡を拭ふ女かな 二宮孤松
立秋の草木の上や富士の山 木村素石
立秋の星美しや二歳駒 中川四明
親よりも白き羊や今朝の秋 村上鬼城
今朝秋や見入る鏡に親の顔 村上鬼城
(訳)立秋の朝、ふと鏡を見たら親に似た顔があった。この夏を越した私の顔だ。
秋立つと出て見る門やうすら闇 村上鬼城
秋立つ日鳥に魚を取られけり 正岡子規
草花を描く日課や秋に入る 正岡子規
刻みあげし仏に対す今朝の秋 正岡子規
箱庭の橋落ちこみぬけさの秋 正岡子規
秋立つやほろりと落ちし蝉の殻 正岡子規
麓にも秋立ちにけり滝の音 夏目漱石
秋立つや一巻の書の読み残し 夏目漱石
起き出でてひとり知るなりけさの秋 松瀬青々
置きかへて机に親し今朝の秋 巌谷小波
立秋(たつあき)の大鐘つくや痩法師 大野洒竹
もの知りの長き面輪(おもわ)に秋立ちぬ 高浜虚子
(注)面輪は顔のこと。
鉢蘭の実の黄ばみ見ゆ今朝の秋 寒川鼠骨
今朝秋の雲の影あり築地川 籾山梓月
今朝秋のよべを惜みし灯(ともし)かな 大須賀乙字
けさ秋の一帆(いっぱん)生みぬ中の海 原石鼎
葺(ふ)きかへて秋立つ雨の住み心 安斎桜磈子
煮ざかなに立秋の箸なまぐさき 日野草城
秋立つや一片耿々(こうこう)の志 日野草城
蚊張の中に見てゐる藪や今朝の秋 松本たかし
ふるさとの幾山垣やけさの秋 芝不器男
浸りゐて水馴れぬ葛(くず)やけさの秋 芝不器男
今朝秋や燠(おき)かきよせて干魚やく 石橋秀野
秋立つと仏こひしき深大寺 石橋秀野