竹の子、筍、笋(たけのこ)、たかんな、たかうな

 最も多く食される竹の子は孟宗竹(もうそうちく)のもの。この竹は奈良・平安時代に中国から到来したとされるが、現在各地で見られる孟宗竹はほとんど琉球系だという。真竹(まだけ)や淡竹(はちく)の竹の子も食用にする。

 たけのこの表記は「竹の子」が一般的だが、江戸時代の俳句では「笋」を用いる例が多い。現代の俳句では「筍」が最もよく使われる。古語「たかむな」(竹芽菜=竹の子を菜として食べるときの呼び名)の音便である「たかんな」「たこうな」も現代の俳句に時々用いられている

たけのこや稚(おさな)き時の絵のすさび   松尾芭蕉
(訳)筍がある。私は子供のころ、遊びでこんな筍を描いたこともあった。
たかうなや雫(しずく)も夜々の篠の露   松尾芭蕉
(訳)竹の子から雫が落ちる。この雫ももともと、篠竹が夜毎に落す露なのだ。
竹の子や児(ちご)の歯ぐきの美しき   服部嵐雪
竹の子や畠隣に悪太郎   向井去来
(注)悪太郎はいたずらな男の子。
笋の時よりしるし弓の竹   向井去来
(訳)弓になる竹は、笋のときから弓に適していることがはっきりしている。
竹の子の上るきほいや夜々の露   森川許六
(注)きほいは「競い」「勢」。どちらも「きおい」と読む。
竹の子に身を摺る猫のたはれかな   森川許六
(注)たはれ、はたわむれ(戯れ)。
竹の子や雪隠(せっちん)にまで嵯峨の坊   上島鬼貫
(訳)嵯峨の寺の宿坊で。あれ、トイレ(雪隠)にまで竹の子が出ているぞ。
竹の子の力を誰にたとふべき   野沢凡兆
竹の子や抹香しみし文の香   志太野坡
竹の子に小坂の土の崩れけり   斯波園女
笋の露暁の山寒し   各務支考
笋のどこかでぬけて縄ばかり   各務支考
(訳)竹の子を縄で縛って運んできたが、どこかで落ちたか。残ったのは縄だけだ。
わたり猪の竹の子につく山家かな   浪化
(訳)方々を渡り歩く猪が、山家の竹林の筍を目当てに、居ついてしまった。
笋はすずめの色に生ひ立ちぬ   溝口素丸
笋や思ひもかけず宇津の山   炭太祇
(注)東海道の山道、宇都谷(うつのや)峠。竹の子が出ているのにふと気付く。
竹の子や掘りつつ行けば抜けた穴   炭太祇
笋や甥の法師の寺とはん(訪わん)   与謝蕪村
(注)蕪村には「蟲干や甥の僧訪ふ東大寺」もある。
笋や垣のあなたの不動堂   与謝蕪村
笋や五助畑の麦の中   与謝蕪村
堀り食らふ我がたかうなの細きかな   与謝蕪村
笋をゆり出す竹のあらしかな   大島蓼太
竹の子を客にほらせて亭主ぶり   大島蓼太
竹の子やかなぐり出ずる八重葎(やえむぐら)   蝶夢
古塚や笋ほりに来るばかり   蝶夢
(注)古塚は古い墓。
竹の子もほどあらじ土のわれにけり   高桑闌更
竹の子やあまりてなどか人の庭   大伴大江丸
(注)「浅じふのをのの篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき」(参議等)のもじり。
笋やしづかに見れば草の中   黒柳召波
(訳)笋がなかなか見つからない。心を落ち着けて見たら、草の中に見えた。
笋やひとり弓射る屋舗守(やしきもり)   吉分太魯
牛舟や笋時の佐渡便り   加藤暁台
笋やひと夜にかつぐ八重葎   加藤暁台
竹の子の葎(むぐら)の雨をかつぎけり   加舎白雄
竹の子やかたばみ草のとりついて   夏目成美
竹の子や客にとはれて雨の簑(みの)   建部巣兆
竹の子や馬飼ふほどの藪の主   建部巣兆
笋のうんぷてんぷの出所かな   小林一茶
(注)うんぷてんぷは運否天賦。運不運は天のなせる業の意味。
竹の子の番してござる地蔵かな   小林一茶
はたた神筍竹になる夜哉   正岡子規
(訳)雷(はたた神)が鳴っている。こういう夜に竹の子は竹になっていくのだろう。
筍や目黒の美人ありやなし   正岡子規
筍に嵯峨の山辺は曇りけり   臼田亜浪
筍の光放つてむかれけり   渡辺水巴
ならんで竹の子竹になりつつ   種田山頭火
熾(さか)んなる日の筍に鶏つるむ   原石鼎
筍のまはりの土のやさしさよ   日野草城

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