清水、山清水、岩清水、草清水

清水、山清水、岩清水、草清水、苔清水、寺清水

 夏の季語のうち、清水、泉、滴り、滝は同類あるいは同系と見ることが出来るだろう。このうち江戸時代に最も多く詠まれたのが清水である。真夏の旅や労働の際に飲む清水は実に貴重なもので、人々の生活に直結していたからだろう。現代では滝の句が最も多く、清水はあまり詠まれなくなっている。

 清水に深く関係する言葉が「掬(むす)ぶ」。手のひら組み、掬って飲むことで、その昔は清水にこの語がついたときだけ夏の季になったという。

むすぶ手に楢(なら)の葉動く清水かな   西山宗因
蟹を見て気の付く岨(そま)の清水かな   天野桃隣
さざれ蟹足這ひのぼる清水かな   松尾芭蕉
城あとや古井の清水先(ず)問(わ)む   松尾芭蕉
月山や鍛冶が跡とふ清水かな   河合曾良
(注)「とふ」は「てふ」と同じで、「という」の意味。
抜ケたりなあはれ清水の片草鞋(わらじ)   服部嵐雪
小川にもならで流るる清水かな   江左尚白
静かさは栗の葉沈む清水かな   江左尚白
芋の葉に命をつつむしみづかな   宝井其角
(注)里芋の葉を丸くし、清水を掬って飲む。その水を「命」と表現した。
顔あげよ清水を流す髪の長(たけ)   宝井其角
はきながら屐(きぐつ)を洗ふ清水かな   立花北枝
(注)「草履を洗ふ」とした書もある
草を這ふ清水に立つや笈(おい)の足   水間沾徳
もる桶のあたりに仮の清水かな   横井也有
(訳)清水を汲んだ桶から水が漏れている。これもちょっとした清水と言うべきだろう。
山のすそ野の裾(すそ)むすぶ清水かな   加賀千代女
青あをと見えて底ある清水かな   加賀千代女
ひとり言(ごと)いうて立ちよる清水かな   炭太祇
(注)「立ち去る」とした書もある。
山伏のさがしあてたる清水かな   溝口素丸
立ち寄れば蛇の横ぎる清水かな   溝口素丸
鶯の笹葉を散らす清水かな   溝口素丸
落合ふ(う)て音なくなれる清水かな   与謝蕪村
石切(石工)の鑿(のみ)冷したる清水かな   与謝蕪村
(注)石切、石工と二つの表記があり、ともに(いしきり)と読む。
石切(石工)の飛び火流るる清水かな   与謝蕪村
二人してむすべば濁るしみず哉   与謝蕪村
いづちよりいづちともなき苔清水   与謝蕪村
しづかさや清水ふみわたる武者草鞋(わらじ)   与謝蕪村
ひとすくひ腸(はらわた)洗ふ清水かな   大島蓼太
家ふたつ中に流るる清水かな   大島蓼太
(注)家が二軒、その間に清水が、の意味。
紅(くれない)の蟹葉がくれに清水かな   大島蓼太
歯朶(しだ)折りて蟹追ひあげる清水かな   勝見二柳
うしろから馬の面出す清水かな   一鼠
旅人の薬たてたる清水かな   黒柳召波
川上は温泉の湧くなる清水かな   黒柳召波
何奴か草鞋捨てたる清水かな   横井也有
濁しては澄むを見て居る清水かな   吉川五明
あとざまに小魚流るる清水かな   高井几董
山寺や縁の下なる苔清水   高井几董
浮く魚の影は底行く清水かな   高井几董
山陰や清水がもとの忘れ斧   池田素外
草踏めば又あらはるる清水かな   栗田樗堂
朝の間に見てゆく野路の清水かな   岩間乙二
姥捨(うばすて)のくらき中より清水かな   小林一茶
(注)姥捨は姥捨て伝説で知られる信州・姥捨山。
夜に入ればせい出して湧く清水哉   小林一茶
母馬が番して飲ます清水かな   小林一茶
強力のひとりおくるる清水かな   夏目吟江
馬の耳動き出したる清水かな   直生
鷺飛んで野中の清水見付けたり   坡暁
身の内の道を覚ゆる清水かな   麦翅
(訳)冷たい清水を飲むと、口から喉、胃の中と、体の中に道がついているのが分かる。
清水ある家の施薬(せやく)や健胃散   内藤鳴雪
其(の)底に木葉(このは)年古る清水かな   正岡子規
唇に薬つめたき清水かな   坂本四方太
村の子の草くぐりゆく清水かな   石井露月
強力の清水濁して去りにけり   河東碧梧桐
(注)強力は登山者の荷物を背負い、案内する人。
渓(たに)深く小鳥が清水鳴き澄ます   佐藤紅緑
口やれば波たたみ来る清水かな   西山泊雲
(注)たたむは「重なる」。
岩清水霧立つてゐる間(はざま)かな   大須賀乙字

閉じる