夏の月、夏月

 連歌時代は、短夜、涼し、卯の花、時鳥(ほととぎす)などの句の中に詠み込んだ月を「夏の月」と呼んでいたという。しかし芭蕉の句は夏の月が句の主体となっており、このころには独立した季語になっていたと考えられる。

 「月涼し」は「夏の月」の傍題とする歳時記もあるが、本類題句集では「涼し」(夏の季語・時候)の中に入れている。

蛸壺(たこつぼ)やはかなき夢を夏の月 松尾芭蕉
(訳)蛸は夜が明ければ捕まってしまうのに、蛸壺の中で夢を見ている。空には夏の月。
夏の月御油より出(で)て赤坂や   松尾芭蕉
(注)御油と赤坂間は東海道五十三次中、最も短い距離。夏の月もすぐ落ちてしまう。
月はあれど留守のやうなり須磨の夏   松尾芭蕉
手を打てば木魂(こだま)に明くる夏の月   松尾芭蕉
(注)「手を打たば」は日の出への柏手か。「夏の夜や木魂に明くる下駄の音」を直した句。
さればこの山にもたれて夏の月   広瀬惟然
市中(いちなか)は物のにほひや夏の月   野沢凡兆
われ鐘のひびきもあつし夏の月   立花北枝
蚊張を出て又障子あり夏の月   内藤丈草
釣竿の糸にさはるや夏の月   加賀千代女
(注)水に映った月に、釣の糸が触っている。
橋落ちて人岸にあり夏の月   炭太祇
(訳)大勢の人が乗った橋が川に落ち、川岸にも人が詰め掛けている。夕涼みの出来事か。
片道はかはきて白し夏の月   炭太祇
あらはなる駕(かご)の寝ざまや夏の月   炭太祇
河童(かわたろ)の恋する宿や夏の月   与謝蕪村
堂守の小草ながめつ夏の月   与謝蕪村
夜水とる里人の声や夏の月   与謝蕪村
(注)夜水は、夜の間に田へ引き込む水。
ぬけがけの浅瀬わたるや夏の月   与謝蕪村
(注)ぬけがけは戦闘で密(ひそ)かに先駆けすること。
なつの月たたみのうへのものさびし   大伴大江丸
網もるる魚の光や夏の月   高桑闌更
(注)引き揚げた網から小魚が落ちてゆく光。
なつの月滝の水上を澄みのぼる   高桑闌更
少年の犬走らすよ夏の月   黒柳召波
川向ひに見て居るは誰夏の月   三浦樗良
(注)「夏の月川の向ひの人は誰」もある。
おき上がる草木の影や夏の月   蝶夢
町中を走る流れよ夏の月   加舎白雄
古君の化粧上手や夏の月   高井几董
(注)古君は年をとった遊女。
抜身かと鞘のひかりや夏の月   高井几董
(訳)武士の刀の鞘が、月光でキラリと光った。抜き身か、と思った。
夏の月ぬれぬれしくも見ゆる哉   井上士朗
(注)ぬれぬれは、「ぬらぬら」と同じ。
太秦(うずまさ)は竹ばかりなり夏の月   井上士朗
魚市の跡掃立てて夏の月   夏目成美
夏の月むざと落たる野面かな   成田蒼虬
(注)むざとは、惜しげもなく、あっさりと。
雨持ちし杉の匂ひや夏の月   夏目吟江
縄とけて流るる舟や夏の月   夏目吟江
なぐさみに腹を打ちけり夏の月   小林一茶
なぐさみに藁を打つなり夏の月   小林一茶
戸口から難波がたなり夏の月   小林一茶
夏の月苔の色なる青だたみ   桜井梅室
馬つなぐ川ぞひ広し夏の月   嵯兆
麦飯に何も申さじ夏の月   村上鬼城
戸の外に筵(むしろ)織るなり夏の月   正岡子規
家は皆海に向ひて夏の月   柳原極堂
百間の両国橋や夏の月   岡本綺堂
夏の月皿の林檎の紅を失す   高浜虚子
竹一むら雨はれて夏の月上る   寒川鼠骨
海渺茫(びょうぼう)黄一丸のなつの月   羅素山人
田舟さして百姓遊ぶ夏の月   大須賀乙字
(注)さすは、「挿す」「差す」。棹で舟を進めること。
崖の蔓はねて風あり夏の月   鈴木花蓑
夏の月蚕(かいこ)は繭にかくれけり   渡辺水巴
(訳)夏の月夜。糸を吐き、繭を作っていた蚕が、繭の中に隠れ、見えなくなった。
桶で買ふ米いささかや夏の月   富田木歩

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