雲の峰は入道雲や積乱雲の詩歌的な呼び方と言えるだろう。和歌には詠まれず、連歌の時代になって旧暦六月の季語に。江戸時代から現代にかけて、俳句の重要な季語に昇格していった。雲の峰も春の水と同じく、陶淵明の「四時詩」の一節「春水四沢に満ち 夏雲奇峯多し」に由来する、と言われる。
山寺や岩に負ひたる雲の峰 天野桃隣
雲の峯いくつ崩れて月の山 松尾芭蕉
(訳)月山に登った。雲の峰がいくつも崩れた後、月山の名に恥じぬいい月が出た。
ひらひらとあぐる扇や雲の峰 松尾芭蕉
(注)能の舞を詠んだ句。夏なので窓が開け放たれており、雲の峰が見えたのだ。
おのずからおのずからこそ雲の峰 広瀬惟然
寝てくらす麓の嵯峨ぞ雲の峰 小西来山
照りつけるさらしの上や雲の峰 森川許六
(注)さらし(白布)を干しているのだろう。江戸の頃は木綿と麻のさらしがあった。
畠うつ黒き背中や雲の峰 岩田涼菟
入相(いりあい)や野の果見ゆる雲の峰 岩田涼菟
馬場先を乗り出す果てや雲の峰 森川許六
(注)馬場先は馬場の前方。そこから遠乗りに出るのだろう。前方に雲の峰。
雲の峰石臼を挽く隣かな 河野李由
船頭のはだかに笠や雲の峰 宝井其角
壁ぬりの泥鏝(こて)の動きや雲の峰 宝井其角
野社に太鼓うつなり雲の峰 立花北枝
川の帆や青葉が中の雲の峰 志多野坡
雲の峯五百羅漢のあたま哉 青徳
取りつきて消ゆる雲あり雲の峰 加賀千代女
嵯峨かけて三条通り雲の峰 炭太祇
(注)嵯峨かけては、嵯峨に向かって。
揚州の津も見えそめて雲の峯 与謝蕪村
(注)揚州は中国・明、清時代の文化の中心地。船旅で到着した、という想像の句。
曠野(あらの)ゆく身に近づくや雲の峯 与謝蕪村
立枯の木に蝉鳴きて雲のみね 与謝蕪村
壁あつき御影(みかげ)の里や雲の峯 与謝蕪村
(注)御影は造り酒屋の多い街。その豊かさを土蔵の壁の厚さで表現した。
雲の峰に肘(ひじ)する酒呑(しゅてん)童子かな 与謝蕪村
(注)酒呑童子は大江山の盗賊。その大男が雲の峰に肘をついている、という空想。
鰯やく烟はずれや雲の峰 大島蓼太
着て立つて笠の重さよ雲の峰 大島蓼太
(注)着ては、(笠を)「被って」の意味。歩き疲れて、笠の重さを感じたのだ。
兀(はげ)山のうしろをのぼる雲の峰 黒柳召波
雲の峰きのふに似たるけふもあり 加舎白雄
道ばたに撫子さきぬ雲の峰 井上士朗
とかくして崩れも行やくもの峯 夏目成美
芝浦に魚よむ声や雲の峰 巒寥松
(注)芝浦の魚市場から魚を数える声が聞えてくる。
走り穂のちらちら見えて雲の峯 成田蒼虬
地車に油をぬるや雲の峰 夏目吟江
すき腹に風の吹けり雲の峯 小林一茶
湖水から出現したり雲の峯 小林一茶
しづかさや湖水の底の雲のみね 小林一茶
寝返ればはや峰つくる小雲かな 小林一茶
(訳)寝返って、先ほど見た雲を眺めた。小さな雲が膨らみ、もう峰になっている。
投げ出した足の先なり雲の峰 小林一茶
(注)寝ている足の先か。山の上などで足を投げ出している状況、とも考えられる。
吹きさわぐ蘆も根にして雲のみね 桜井梅室
ぐるりから月夜になりぬ雲の峰 桜井梅室
(訳)夕暮れの空。雲の峰はまだ白く明るいが、その周りから月夜になってきた。
大鯛も生簀(いけす)にやせて雲の峰 奥平鶯居
雲の峰刀のくもり取る日かな 井上井月
気の合うて道はかどるや雲の峰 井上井月
竿立てた舟に人なし雲の峰 得田南齢
雲の峰裏は明るき入日かな 内藤鳴雪
雲の峰白帆南にむらがれり 正岡子規
雲の峰ほどの思ひの我にあらば 松瀬青々
箒木(ははきぎ)は五尺になりぬ雲の峰 大野洒竹
雲の峯河原の石のにほひ(匂)かな 大野洒竹
雲の峰葱の坊主の兀と立つ 河東碧梧桐
(注)兀は禿(はげ)のこと。読みは「ごつ」「こつ」。
雲の峰石伐(き)る斧の光かな 泉鏡花
雲の峰土手行く人を飲まんとす 佐藤紅緑
雲の峯風見鴉の風もなし 佐藤紅緑
(注)風見鶏には鴉の形のものもあった。
雲の峰立ち塞ぎけり明石の門(と) 高浜虚子
ぐんぐんと伸び行く雲の峰のあり 高浜虚子
藪越しに動く白帆や雲の峯 永井荷風
雲の峰夜は夜で湧いてをりにけり 篠原鳳作