更衣(ころもがえ)、衣更へ(ころもがえ)、衣がへ

 更衣の本来の意味は、季節によって着物を変えること。宮中や公家の間では平安時代から陰暦4月1日と10月1日に更衣を行う慣わしがあり、江戸時代に広く一般化していった。俳句の季語になっているのは、春から夏への更衣である。現在も一般人の間に更衣の風習や気持がかなり残っており、作句も多い。

 「更衣」は漢文式の表記で、このまま「ころもがえ」と読む。「衣更」は日本式表記で、普通なら送り仮名(へ、え)が必要だが、俳句的慣例によって「ころもがえ」と読ませる場合もある。

春を夏にすりかへらるる更衣   安原貞室
更衣栄えある女すがたかな   伊藤信徳
長持に春ぞくれ行く更衣   井原西鶴
(訳)春の着物を長持に入れる。春という季節が長持ちの中で暮れていくようだ。
一つ脱いでうしろに負ひぬ衣がへ   松尾芭蕉
痩肌やうひうひしくも衣更   杉山杉風
衣更みづから織らぬ罪深し   斯波園女
(注)園女は医師の妻。俳句に専念していることへの罪の意識。
塩魚の裏干す日なり衣がへ   服部嵐雪
名聞(みょうもん)を離れずもあり更衣   内藤露沾
(注)露沾は磐城の城主。社会的地位や名誉(名聞)から離れられない、という感慨。
越後屋に絹さく音や更衣   宝井其角
(訳)夏物の仕立てのために絹布を裂く音が聞こえる。越後屋は三越百貨店の前身。
恋のない身にも嬉しや衣がへ   上島鬼貫
つつがなき母の便りや衣がへ   各務支考
八畳に炉畳青し更衣   浪化
(注)炉畳は炉を閉じたあとに敷く畳。
すがたみにうつる月日や更衣   横井也有
うつくしい人に寒さや衣がへ   加賀千代女
物がたき老の化粧や更衣   炭太祇
(注)物がたき(物堅き)は、律儀なこと。
衣がへ一先(ひとまず)居(す)はる心かな   田河移竹
御手討の夫婦(めおと)なりしを更衣   与謝蕪村
(訳)不義の恋の男女。殿様の温情でお手討を免れ、夫婦になって衣更の季節を迎えた。
痩脛(やせずね)の毛に微風あり更衣   与謝蕪村
ころもがへ母なん藤原氏也けり   与謝蕪村
(訳)更衣のとき、母の衣の家紋で気付く。そうだ、母は藤原氏の出であった。
更衣矢瀬の里人ゆかしさよ   与謝蕪村
大兵(だいひょう)の廿チ(はたち)あまりや更衣   与謝蕪村
(注)大兵は大きくたくましい男。
かりそめの恋をする日や更衣   与謝蕪村
更衣塵うち払ふ朱(あけ)の沓(くつ)   与謝蕪村
昼過や何もせぬ身の更衣   高桑闌更
遣唐のいとま賜ひぬ更衣   黒柳召波
(注)遣唐使が出立する場面を想像した句。
更衣いきたうなりし隅田川   加藤暁台
(注)いきたうなりしは「行きたくなりし」。
行きぬける袂(たもと)の風や更衣   蝶夢
かへるさや胸かきあはすころもがへ   加舎白雄
(注)かへるさは「帰るとき」。少し寒くなってきたのだ。
更衣うすき命を祝ひけり   松岡青蘿
病む人のうらやみ顔や更衣   高井几董
けふこそは父のもの着ん更衣   井上士朗
耳のなることもわすれてころもがへ   夏目成美
我まへに雲行く影やころもがへ   夏目成美
したしげに鳩の啼く日や更衣   成田蒼虬
年とへば片手出す子や更衣   小林一茶
衣(きぬ)替て座つてみてもひとりかな   小林一茶
下谷一番の顔してころもがへ   小林一茶
おもしろい夜は昔なり更衣   小林一茶
(訳)更衣して思う。おもしろい夜もあったが、あれはもう昔のことだ。
曙の空色衣けへにけり   小林一茶
豌豆(えんどう)の花のさかりや更衣   塩坪鶯笠
朝雨の晴れてからなり衣更   得田南齢
更衣野人(やじん)鏡を持てりけり   村上鬼城
(注)野人は、田舎者の意味。
衣更へて京より嫁を貰ひけり   夏目漱石
ものなくて軽き袂(たもと)や衣更   高浜虚子
百官の衣更へにし奈良の朝   高浜虚子
(注)平城京の朝廷を想像した句。
立身の門出なりけり更衣   中山稲青
冷々(ひえびえ)と雲に根は無し更衣   渡辺水巴
病める子の癒ゆとも見えず更衣   長谷川零余子
衣更し腰のほとりや袴(はかま)なく   原石鼎
人にやや遅れて衣更へにけり   高橋淡路女
憂き世ともたのしき世とも衣更   日野草城
衣更鼻たれ餓鬼のよく育つ   石橋秀野

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