中国では牡丹は、隋の時代(六世紀末〜)には鑑賞の対象としていた。日本では平安時代に寺院の庭に植えられ、そのころの名は「深見草」、後に「二十日草」「名取草」などと呼ばれた。連歌の発展した室町時代から中国語表記の牡丹(ぼたん)が用いられるようになった。
「ぼうたん」は、ぼたんの長音化。「ゆだち」(夕立)、「ほうたる」(蛍)などと同じく、俳句の詠み方に合わせた用法と言えよう。白牡丹は「はくぼたん」と読む。また牡丹に限って、散ることを「崩れる」と表現することがある。
牡丹見にうつすりとよき唐茶かな 天野桃隣
散る時もあればこそあれ二十日草 松尾芭蕉
牡丹深く分出づる蜂の名残かな 松尾芭蕉
見る人の手を拱(こまね)くや牡丹畑 宋屋
飛(ぶ)胡蝶まぎれて失せし白牡丹 杉山杉風
(訳)白い蝶が飛んできた。白牡丹の前まで来たら、色に紛れて見えなくなった。
ほしさうに笑うてかかる牡丹かな 斎部路通
初鰹盛(り)ならべたる牡丹かな 服部嵐雪
(注)「鰹」の項にも載せている。
寝て牡丹さむればもとの胡蝶かな 小西来山
(注)蝶が夢で牡丹になり、覚めたら元の蝶。荘子の「胡蝶の夢」のパロディ。
蝋燭(ろうそく)にしづまりかへる牡丹かな 森川許六
唐戸から覗いてみたる牡丹哉 森川許六
牡丹散(り)てこころもおかずわかれけり 立花北枝
(注)こころもおかずは、名残惜しげもなく。
から獅子の血を干しつけて牡丹かな 河野李由
(注)牡丹と唐獅子は古来の取り合わせ。その唐獅子の血が牡丹の色と見た。
蝶々の夫婦寝あまる牡丹かな 加賀千代女
戻りては灯で見る庵のぼたんかな 加賀千代女
ぼうたんと豊(ゆたか)に申す牡丹哉 炭太祇
盗まれし牡丹に逢へり明る年 炭太祇
こころほど牡丹の撓む日数かな 炭太祇
門へ来し花屋にみせる牡丹哉 炭太祇
牡丹一輪筒に傾く日数かな 炭太祇
閻王の口や牡丹を吐かんとす 与謝蕪村
(訳)牡丹満開の華麗さ。閻魔大王が牡丹を吐こうとしているかのようだ。
地車(じぐるま)のとどろとひびく牡丹かな 与謝蕪村
日光の土にも彫れる牡丹かな 与謝蕪村
(訳)日光によって牡丹の影がくっきりと地に。まるで土に彫りつけたようだ。
山蟻のあからさまなり白牡丹 与謝蕪村
蟻王宮朱門を開く牡丹かな 与謝蕪村
ちりてのちおもかげにたつ牡丹かな 与謝蕪村
(訳)牡丹は散ってしまった。しかし今も牡丹の姿が幻のように浮んでくる。
方百里雨雲よせぬぼたむかな 与謝蕪村
(訳)牡丹がみごとに咲いて晴天続きだ。牡丹が周囲の雨雲を寄せ付けないのだ。
牡丹切つて気の衰ひしゆふべ哉 与謝蕪村
(訳)牡丹を活け花にするために思い切って切った。気が抜けたような夕方だ。
牡丹散(り)て打かさなりぬ二三片 与謝蕪村
虹を吐(い)てひらかんとする牡丹かな 与謝蕪村
金屏のかくやくとしてぼたん哉 与謝蕪村
(注)金屏は金屏風。かくやく(赫奕)は「光りかがやく様子」。
ぼうたんやしろがねの猫こがねの蝶 与謝蕪村
広庭のぼたんや天の一方に 与謝蕪村
寂として客の絶間のぼたん哉 与謝蕪村
白雲の空ゆりすゑてぼたんかな 大島蓼太
(注)ゆりすゑては、揺り据えて。揺り動かして落ち着かせる。
鳥遠うして高欄に牡丹かな 大島蓼太
牡丹ひらく時雷坤(こん)にめぐるなり 大伴大江丸
(訳)牡丹が開いている。その時、雷が地をめぐるように響き渡っている。
残月も日もいただけるぼたんかな 大伴大江丸
(注)いただける(頂ける、戴ける)は、頭上に置く。
月に飛ぶ蝶に網せん牡丹かな 勝見二柳
白牡丹只一輪の盛りかな 高桑闌更
おめかけを牡丹の花の主かな 黒柳召波
お出入りの李白を捜すぼたんかな 黒柳召波
(注)唐玄宗皇帝の庭園か。詩人の李白が来ているかな、と捜す場面。
牡丹折りし父の怒りぞなつかしき 吉分太魯
花やかに静かなるものは牡丹哉 加藤暁台
銀閣や地にもぼたんの花を敷く 蝶夢
見いれ行くぼたんの花や長者町 蝶夢
園くらき夜を静かなる牡丹かな 加舎白雄
袷(あわせ)着て牡丹にむかふあしたかな 松岡青蘿
牡丹二代連歌は劣るあるじ哉 高井几董
ねたまるる人の園生(そのう)のぼたん哉 高井几董
牡丹こして庭籠の孔雀見ゆるかな 宮紫暁
白ぼたん崩れんとして二日見る 夏目成美
夕風や牡丹崩れて富士見ゆる 田川鳳朗
是程のぼたんと仕かたする子かな 小林一茶
(注)仕かた(仕方)は、手まね、身振り。
四五輪に陰日向ある牡丹哉 桜井梅室
ようこれを呉れたと思ふ牡丹かな 大橋梅裡
凛として牡丹動かず真昼中 正岡子規
牡丹載せて今戸へ帰る小舟かな 正岡子規
(注)今戸は東京・台東区の一地区。隅田川沿いにある。
美服して牡丹に媚びる心あり 正岡子規
豁然(かつぜん)と牡丹伐りたる遊女かな 正岡子規
散る傍(そば)に牡丹の魂(たま)の迷ふかな 尾崎紅葉
むらぎもの心牡丹に似たるかな 松瀬青々
(注)むらぎもは群肝。五臓六腑。心の底。
荷車の大鉢揺るる牡丹かな 武田鶯塘
なゐふつたあとを揺らるる牡丹かな 大野洒竹
(注)なゐふつたは、地震(ない)震(ふ)った。
月の暈(かさ)牡丹崩るる夜なりけり 石井露月
白牡丹といふといへども紅(こう)ほのか 高浜虚子
天の星地に開きたる牡丹かな 田中田士英
牡丹散つて乾坤(けんこん)明を失へり 永田青嵐
(注)乾坤は天地と同じ。
幽篁(ゆうこう)に石あり牡丹なかりけり 西山泊雲
(注)幽篁は静かな竹薮。
牡丹見てをり天日のくらくなる 臼田亜浪
拝領の一軸古りし牡丹かな 永井荷風
牡丹二本浸して満つる桶の水 渡辺水巴
天つ日の寂寞(じゃくまく)さ牡丹咲きいでぬ 渡辺水巴
牡丹活けて古く汚さぬ畳かな 長谷川零余子
牡丹切る祭心はたかぶりぬ 前田普羅
あしたより大地乾ける牡丹かな 原石鼎
(訳)牡丹に水をやっていたが、散ってしまった。明日からは地面が乾くだろう。
牡丹にしみじみ触るる風ありぬ 松藤夏山
風だちて花悩ましき牡丹かな 高橋淡路女
牡丹を活けておくれし夕餉かな 杉田久女
ぼうたんの前に険しや潦(にわたずみ) 川端茅舎
ぼうたんのいのちのきはとみゆるなり 日野草城
ぼうたんの暮るる始終を見て去りぬ 日野草城
ぼうたんを見てそばかすを嘆きけり 日野草城
ぼうたんのひとつの花を見尽さず 日野草城
牡丹の花に暈(かさ)ある如くなり 松本たかし
花に葉に花粉ただよふ牡丹かな 松本たかし