凧(いかのぼり、たこ)、紙鳶(いかのぼり)

 東京などでは凧は正月の遊びであった。しかし第二次大戦後は揚げる場所が少なくなり、年ごとに廃れていった。いまでは地方の凧上げ行事(多くは春に行われる)の方がなじみやすく、季語通りの季節感になってきた。

 東京では「たこ(凧)」、関西では「いか(凧、紙鳶)」と呼び、俳句では「いかのぼり(凧、紙鳶)」を用いることが多い。「正月の凧」という季語もある。

この夕べ軒端へたちぬいかのぼり    服部嵐雪
虚空(おおぞら)を引きとどめばやいかのぼり  服部嵐雪
木の枝にしばしかかるやいかのぼり   服部嵐雪
夕暮のものうき雲やいかのぼり     椎本才麿
かつしか(葛飾)や江戸をはなれぬ凧  宝井其角
白河の関に見返れいかのぼり  宝井其角
いかのぼりいつぞや糸をひかれしは   昨木
見送るも糸は手にあり凧    横井也有
(訳)糸が切れて凧が飛んでいった。呆然として見送る子の手に糸が残っている。
御所へ落ちてしかられにけり凧     横井也有
山路きてむかふ城下や凧の数  炭太祇
落ちかかる夕べの鐘やいかのぼり    炭太祇
凧(いかのぼり)きのふの空の在りどころ    与謝蕪村
(訳)凧が上がっている。きのうも同じあたりの空に凧が上がっていた。
雲の端に大津の凧や車山    与謝蕪村
切れ几巾(たこ)の夕越えゆくや待乳山 大島蓼太
(注)待乳山(まつちやま)は浅草・本龍院境内の小さな丘。
きれ凧に主なき須磨の夕べ哉  大島蓼太
もの洗ふ側(そば)へ落ちけりいかのぼり    大伴大江丸
暮れかかる空をかこつや凧   黒柳召波
凧買ひて子心ぞ憂ふ雨つづき  黒柳召波
朝東風に凧売る店を開きけり  黒柳召波
里坊に児(ちご)やおはしていかのぼり 黒柳召波
(注)里坊は山寺の僧が里に居る時の住居。そこに子供がいるらしい。凧が上っている。
いかのぼり東寺八坂(やさか)の塔の間   蝶夢
凧(いかのぼり)空見てものをおもはざる    加舎白雄
夕空や凧見に出でし酒の酔ひ  加舎白雄
ゆく春や鄙(ひな)の空なるいかのぼり 加舎白雄
海士(あま)の子や舟の中より紙鳶(いかのぼり) 高井几董
凧(いか)かけてさびしき夜の柱かな  井上士朗
山の手や森の中から紙鳶(いか)揚る  巒寥松
番町や夕飯過(すぎ)の几巾(いかのぼり)   小林一茶
反故(ほご)凧のあたり払ひて上りけり 小林一茶
朔日(さくじつ)や一文凧も江戸の空  小林一茶
大凧のりんとしてある日暮かな     小林一茶
すすけ紙ままこ(継子)の凧と知られけり    小林一茶
(訳)汚れた紙で作った凧が揚がっている。あれは継子の凧だと分かる。
凧あげてゆるりとしたる小村かな    小林一茶
凧抱いたなりですやすや寝たりけり   小林一茶
凧の尾を咥(くわ)へて引くや鬼瓦   小林一茶
(訳)凧の尾が鬼瓦に懸った。鬼瓦が尾をくわえ、引っ張っているように見える。
夜は夜とて忘れぬ凧の置所   岩間乙二
高鳴りをして夜に入りぬかかり凧    桜井梅室
(訳)夜に入って風が出てきた。木の枝にかかっている凧が風を受けて鳴っている。
蓬生(よもぎう)や日暮ておろす凧の音   桜井梅室
色絵凧天に花咲き地に子あり   笑種
凧あげて日中(ひなか)わびしや旅籠町   三輪月底
夕月に見るや畑のいかのぼり   原田梅年
暮れかかる梢明りやかかり凧   広田精知
きれ凧の広野の中に落ちにけり   正岡子規
人の子の凧あげて居る我は旅   正岡子規
凧高し鏡が浦は真ツ平   正岡子規
人もなし野中の杭の凧(いかのぼり)   正岡子規
住吉の松に懸りし絵凧かな   相島虚吼
手にひびく唸りうれしやいかのぼり   奈倉梧月
凧ひらひら港遊女が母おもふ   松瀬青々
宿取りて二階に居れば凧   石井露月
たそがれの風の寒さよいかのぼり   石井露月
吹きつれて南になびく凧   河東碧梧桐
ちさい(小さい)子の走りてあがる凧   河東碧梧桐
牧場の柵に上がるも凧揚げかな   河東碧梧桐
住吉に凧揚げゐたる処女(おとめ)はも   高浜虚子
(注)知人の娘の結婚に際しての挨拶句。あの元気な少女が、の感慨。
畑の雪摺りては上る凧の尾や   大谷句仏
夕凪や静かに凧の下りてゆく   小栗風葉
萱(かや)山に凧あげて友なかりけり   大須賀乙字
凧悲しうなりぬ母星かかる森   大須賀乙字
凧揚げし手の傷つきて暮天かな   渡辺水巴
故郷去るや眼に一瞥(べつ)す紙鳶   原石鼎
唖ん坊のいぢめられ来し凧日和   富田木歩
うまや路や松のはろかに狂ひ凧   芝不器男
(訳)宿場近くの街道。松並木の彼方の空に凧が狂ったように暴れている。

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