桜、花、花影、花の宿

桜、花、初花、若桜、朝桜、夕桜、夜桜、花影、花の山、花の雨、花の雲、花埃、花の宿、山桜、八重桜、遅桜、枝垂(しだれ)桜、糸桜、山桜、八重桜

歳時記では「花」「桜」「初桜」「枝垂桜」などがそれぞれ独立した季語となっている。しかし現代の句会では「桜一切」として扱われることが多いので、この句集では桜関係の大半を一括することにした。ただし「落花」「花見」は別項にした。「花見」は、春の「生活」の項に分類するのが普通である。

やあしばらく花に対して鐘つく事   松江重頼
(訳)鐘を撞くのを待ってくれ。満開の花が散ってしまうよ。謡曲の口調をまねている。
な折りそとしかるに一枝の花の庭   西山宗因
(訳)折ってはいけない、と叱りながら、花の庭の主人は一枝をくれた。
ながむとて花にもいたし頸の骨   西山宗因
これはこれはとばかり花の吉野山   安原貞室
蛇之助がうらみの鐘や花の暮   田中常矩
(注)蛇之助は大酒のみのあだ名。花見の酒飲みが暮の鐘の音を恨めしく思っている。
はつ桜足駄(あしだ)ながらの立見かな   伊藤信徳
山は朝日薄花桜紅鷺(とき)の羽   山口素堂
(注)美しいものを三つ並べた。同じ素堂の「目には青葉……」の句に似ている。
初桜折りしも今日はよい日なり   松尾芭蕉
うかれける人や初瀬の山桜   松尾芭蕉
(注)「うかりける人を初瀬の山おろしはげしかれとは祈らぬものを」(源俊頼)
命二つの中に活きたる桜かな   松尾芭蕉
(注)旅の途中、服部土芳と二十年ぶりに出逢った時の感慨を詠んだ。
花の雲鐘は上野か浅草か   松尾芭蕉
さまざまの事思ひ出す桜かな    松尾芭蕉
淋しさや花のあたりの翌檜(あすなろう)   松尾芭蕉
木のもとに汁も膾(なます)も桜かな   松尾芭蕉
(訳)桜の木の下で花見をする。花見料理も、どこもかしこも落花でいっぱいだ。
しばらくは花の上なる月夜かな   松尾芭蕉
(訳)満開の桜の上に月が出ている。そんな見事な情景もしばらくの間だけだ。
辛崎の松は花より朧にて   松尾芭蕉
(訳)琵琶湖西岸の春の宵。有名な唐崎(辛崎)の松が桜の花よりも霞んで見える。
歌よみの先達多し山ざくら   松尾芭蕉
なほ見たし花に明け行く神の顔   松尾芭蕉
四方(よも)よりの花吹き入れて鳰(にお)の海   松尾芭蕉
(注)鳰の海は琵琶湖の別名。
一里は皆花守の子孫かや   松尾芭蕉
初花に命七十五年ほど   松尾芭蕉
花に酔へり羽織着て刀さす女   松尾芭蕉
二日酔ものかは花のある間   松尾芭蕉
酒に酔へり羽織着て刀指す女   松尾芭蕉
奈良七重七堂伽藍八重桜   松尾芭蕉
(注)芭蕉の句ではない、という説もある。
花に気のとろけて戻る夕日かな   杉山杉風
笑はれに行かばや花に老の皺   杉山杉風
(注)杉風は享年八十五歳。当時としては非常に長生きだった。
肌のよき石に眠らん花の山   斎部路通
(訳)放浪俳人の私。肌触りのいい石に寝ながら、桜の花を眺めたいものだ。
何事ぞ花見る人の長がたな(刀)   向井去来
(訳)長い刀を腰にさして花見をする人(侍や伊達者)がいる。花見なのに何事だろう。
一昨日(おととひ)はあの山こえつ花ざかり   向井去来
小袖ほす尼なつかしや窓の花   向井去来
逢坂(おおさか)は関の跡なりはなの雪   服部嵐雪
(注)はな(花)の雪は、白い桜を雪に見立てている。
手習ひの師を車座や花の児(ちご)   服部嵐雪
なまぐさき風おとすなり山桜   服部嵐雪
どんみりと桜に午時(ひる)の日影かな   広瀬惟然
(注)どんみりは、どんより。
かう居るも大切な日ぞ花の陰   広瀬惟然
文台(ぶんだい)に扇ひらくや花の下   広瀬惟然
(注)表に出した文台の上に扇を置き、一句をしたためようとしている。
先ず米の多いところで花の春   広瀬惟然
花咲いて死にとむないが病かな   小西来山
(訳)桜が咲くと、死にたくないと思う。しかし私は重い病にかかっている。
見返へれば寒し日暮の山桜  小西来山
人の目にあまるものなし山ざくら   小西来山
花散りてより古びけり一心寺   小西来山
花に埋もれ夢より直(すぐ)に死なんかな   越智越人
槍持は立ちはだかりて花見かな   森川許六
年々に尚いそがしや花ざかり   森川許六
松坂や越後屋とへ(訪え)ば江戸ざくら   森川許六
(注)三越の前身・越後屋は伊勢松坂の出。そこにも質屋、酒屋などを営んでいた。
かけのぼる猫のわかさや家ざくら   椎本才麿
泣いてよむ短冊もあり花は夢   宝井其角
隙(ひま)な手の鑓(やり)持寒し山ざくら   宝井其角
日よりよし牛は野に寝て山ざくら   上島鬼貫
樹の奥に滝の音して花や咲く   上島鬼貫
鶏の声もきこゆる山ざくら   野沢凡兆
鐘つきを誰も見に寄る花の山   立花北枝
(注)加藤暁台に同じ句がある。
初桜足軽町のはづれから   立花北枝
明ぼのの襟つくろひや桜花   立花北枝
死んだとも留守とも知れず庵の花   内藤丈草
木啄や枯木をさがす花の中   内藤丈草
鳶の輪の崩れて入るや山ざくら   内藤丈草
一本をくるりくるりと花見かな   浪化
朝立(ち)の目に有明と桜かな   浪化
糸桜即ち是か華の雨   松木淡々
ふみ書く間待たせて折らす桜かな   斯波園女
(訳)知人から手紙が来た。その返事を書く間、使いの者に土産の桜を折らせている。
井戸端の桜あぶなし酒の酔ひ   伝・秋色女
(訳)酒に酔った人よ。その桜に気を取られていると、井戸に落ちてしまいますよ。
見送れば墨染になり花になり   加賀千代女
白妙もいつしか暮れて花の山   加賀千代女
けふまでの日はけふ捨てて初桜   加賀千代女
(訳)桜が咲き初めた。今日までのことは忘れて、これからを新しい日としよう。
口たたく夜の往来や花ざかり   炭太祇
人追ふて蜂戻りけり花の上   炭太祇
咲き出すといなや都は桜かな   炭太祇
海手より日は照(てり)つけて山ざくら   与謝蕪村
雲を呑みて花を吐くなるよしの山   与謝蕪村
花の香や嵯峨のともしび消ゆる時   与謝蕪村
(注)視覚と嗅覚の微妙な関係を詠む。遠くの灯が消えて、桜の香りがした。
花に暮れて我家遠き野道かな   与謝蕪村
花を踏みし草履も見えて朝寝かな   与謝蕪村
花にくれぬ我住む京に帰去来(かえりなん)   与謝蕪村
月光西にわたれば花影東に歩むかな   与謝蕪村
(訳)夜も更けて月が西空に行った。花の影はそれにつれて東に動いていく。
さびしさに花咲かぬめり山桜   与謝蕪村
(注)めりは「のように見える」。
旅人の鼻まだ寒し初ざくら   与謝蕪村
ゆき暮れて雨もる宿やいとざくら   与謝蕪村
嵯峨の春竹の中にもさくらかな   与謝蕪村
嵯峨へ帰る人はいづこの花に暮れし   与謝蕪村
花ざかり六波羅禿(かむろ)見ぬ日なき   与謝蕪村
(注)禿(かむろ、かぶろ)は、上級の遊女になる見習いの少女。
山寺の冷飯寒きさくらかな   与謝蕪村
初花や鞍馬のかたへ駒むかへ   堀麦水
見おろせば人里深し山ざくら   堀麦水
世の中は三日見ぬ間に桜かな   大島蓼太
(注)世は、たちまち桜が満開になっている、の意味。「三日見ぬ間の」で知られる。
をれをれと折らせて花のあるじ哉   大島蓼太
(注)花の持ち主の鷹揚な様子。桜を誉める人に「折っていいですよ」と言っている。
身にしみて音聞く花の雨夜かな   大島蓼太
日暮ては寺のものなり山ざくら   大島蓼太
(訳)大勢の花見客は、日暮れてもう居ない。桜はようやく寺のものになった。
夜ざくらや三味線弾いて人通る   大島蓼太
白箸に蕨のあくやはつざくら   大伴大江丸
ひるの月三輪の木の間の遅さくら   大伴大江丸
時なれや花の中なる翁堂   高桑闌更
いざ行かん魂花に染まるまで   高桑闌更
家ありや夕山ざくら灯のもるる   高桑闌更
桜咲きさくら散りつつ我老いぬ   高桑闌更
西陣や花に夫婦のにしめもの   黒柳召波
花踏みて戻る公卿の草履かな   黒柳召波
須摩寺のめしのけぶりや山ざくら   黒柳召波
その寺の名はわすれたり絲ざくら   黒柳召波
見かへればうしろを覆ふ桜かな   三浦樗良
雨風の荒きひまより初桜   三浦樗良
(注)加藤暁台に同じ句がある。
雲高く風たへて花のあらし山   三浦樗良
花のもとたちされば四方は夕曇り   加藤暁台
花は根に我は五尺の地を得たり   加藤暁台
(注)江戸時代から花見の場所取りがあった。
磯山やさくらの陰のみさご鮓   加藤暁台
(注)みさご(鶚)鮓は、鶚が磯に置いた魚が発酵し、鮓のような匂いになったもの。
ほつかりと咲きしづまりぬおそ桜   加藤暁台
曙やさくらを出づる山烏   蝶夢
ほつてりと磯山かげの桜かな   吉川五明
寺々を通りぬけけり花ざかり   加舎白雄
をちこちの桜に舫(もや)う笩かな   加舎白雄
松の奥うすうす暮れる桜かな   松岡青蘿
来たか来い見ずに置いてもちる花ぞ   高井几董
百花咲いてかなしび起るゆうべ哉   高井几董
(注)かなしびは「悲しみ」。
植木屋の花うれぬ間に盛かな   高井几董
さむしろに銭置く花のわかれ哉   高井几董
(注)さむしろは狭筵。そこに物乞いが座っているのだろう。
長き日の背中に暑し遅桜   高井几董
よきことはいひたきものよ花のかげ   井上士朗
淋しかれとけふこそおもへ花のかげ   井上士朗
花の事いひいひ(言い言い)もどる山路かな   井上士朗
あはただし今日花さくと人はいふ   夏目成美
ものいふもいやなりけふは花の陰   夏目成美
なまなかに帰る家ありはなざかり   夏目成美
(訳)花盛りの今宵、ずっと外に居たいが、私には中途半端に家がある。
ねぶき眼をひらけば花の浮世かな   夏目成美
(注)ねぶきは「眠き」。
たそがれの重き草履や桜人   寺村百池
鵜の枯らす木の間の花の咲きにけり   建部巣兆
帰るさに松風ききぬ花の山   建部巣兆
花にくれて首筋さむき野風かな  松村月渓
花さくや朝めしをそき(遅き)小商人   岩間乙二
どこの花どこの芝生か死にどころ   岩間乙二
ゆさゆさと桜もてくる月夜哉   鈴木道彦
(訳)月の夜に桜の大枝をかついだ男がくる。桜の枝がゆさゆさと揺れている。
花びらの山を動(か)すさくらかな   酒井抱一
(訳)山が満開の桜に覆われている。風が吹くと、花びらが山を動かしているようだ。
花の雨おぼつかなくも暮にけり   成田蒼虬
花に来てしばらく遣ふ扇かな   成田蒼虬
日は峰にかくれて花のさかり哉   成田蒼虬
谷底に塩売る声や初ざくら   成田蒼虬
脉(みゃく)取つて見るや花の夜只ひとり   成田蒼虬
たのしさや花に茛(たばこ)のひとひねり   成田蒼虬
(注)昔は、煙管(きせる)に刻み煙草をひねり込み、煙草を吸った。
夕桜けふも昔になりにけり   小林一茶
斯(こ)う活きているも不思儀ぞ花の陰   小林一茶
父ありて母ありて花に出ぬ日かな   小林一茶
こちとらは花が咲こうが咲くまいが   小林一茶
(注)こちとらは「自分」「自分たち」。
花の陰あかの他人はなかりけり   小林一茶
花咲くや道の曲りに立地蔵   小林一茶
花咲くや欲のうきよの片すみに   小林一茶
花の木に鶏寝るや浅草寺   小林一茶
大川へ吹きなぐられし桜かな   小林一茶
小坊主や親の供して山桜   小林一茶
夕桜家ある人はとくかへる   小林一茶
(注)とくは、「疾く」「はやく」「もう」。
死に支度致せ致せと桜かな   小林一茶
花の陰寝まじ未来が恐ろしき   小林一茶
(訳)西行のように花の下で悠然と死にたいとは思わない。未来(死)が恐ろしいからだ。
よるとしや桜のさくも小うるさき   小林一茶
大寺や浅黄桜も花の中   菅沼奇淵
いつとなく花になりけり峯の雲   桜井梅室
跡もどりして鐘きくや花の中   桜井梅室
深草は露の里なり遅ざくら   桜井梅室
酒なくて何のおのれが桜かな   作者不詳
(注)「おのれが」は悪態の強調。「お前よう、酒がなけりゃ桜なんて」のような意味。
松風や花一木なき東海寺   谷川護物
西山や太秦(うずまさ)までは花曇   辻嵐外
大まかに夜空かぶさる桜かな   河原悠々
静かさや散るにすれ合ふ花の音   栗田樗堂
鳴神に遠く桜の咲く日かな  豊島由誓
(注)鳴神は雷のこと。
一人あれば花にもあるや夜の声   大川万古
花果てて昼も月澄む紀三井かな   梶太乙
(注)紀三井は和歌山の紀三井寺。
明けいそぐ雲ひとひらや花の上   川村公成
知る人の扇拾ひぬ花の山   中島黙池
月の出てしばらく消えず花の靄(もや)   橘田春湖
咲く花の雲に親しき夜明けかな   小川尋香
人去つて月の出かかる桜かな   原田飄子
消え残る神の灯(ともし)や朝桜   井上井月
ゆさゆさと桜うごかす鴉かな   三森幹雄
降り出して人鎮めけり花の雨   野間流美
鳥も来ず風もまだ出ず朝桜   馬場凌冬
酒酌んでまた見歩かむ夕桜   岡本半翠
鳥の食ふほどの菜畑や花の中   中島黙池
登り来る人の小さし花の雲   高柳汎翠
炭竈(がま)は雨にくずれて遅桜   内藤鳴雪
大雨に散らぬ桜の盛かな   角田竹冷
花の中出れば月夜となりにけり   池原梅旭
坂道や桜を見つつ下りて橋   中村楽天
散りもせず蕾もなくて花ざかり   服部稲雄
花笩ものにさはらず流れけり   服部稲雄
ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな   村上鬼城
其ままに花を見た目を瞑(ふさ)がれぬ   正岡子規
観音の大悲の桜咲きにけり   正岡子規
足弱(あしよわ)を馬に乗せたり山桜   夏目漱石
(注)足弱は、ここでは子供、女性、老人などのこと。
傘さして馬に乗りけり山桜   柳原極堂
朝桜思ひもかけず月残る   田岡嶺雲
自転車の立てかけてある花の茶屋   上原三川
石段を上れば花の広場かな   五百木飄亭
花七日ものの盛りのさびしさよ   野田別天楼
桜咲く日本に生まれ男かな   巌谷小波
夕風や桜に冷ゆる鐘ひとつ   武田桜塘
今のこと今古めきぬ花盛り   蛎崎潭竜
雫してあす咲く花の蕾かな   五百木瓢亭
暮れんとす桜を蔽(おお)ふ松の闇   水落露石
よき人の番傘さして花の雨   村上霽月
大門を押されて這入る桜かな   坂本四方太
(注)大門は吉原の入口。押しかけた花見の人に押されて、遊郭の中に入っていく。
棕櫚の葉に枇杷の葉に梅の落花かな   河東碧梧桐
写真する人も見えけり花の山   増永煙霞郎
桜活けて天井低き思ひかな   佐藤紅緑
咲き満ちてこぼるる花もなかりけり   高浜虚子
花にゆく老のあゆみの遅くとも   高浜虚子
見えつ隠れつ花の梢の何鳥ぞ   高浜虚子
谷深く宙わたり居る落花かな   高浜虚子
汐引いて渡れる島の桜かな   伴新圃
暮れざるに電灯のつく桜かな   沼波瓊音
松山や松の中なる遅桜   篠崎霞山
泉水に篝(かがり)くづるる桜かな   大谷繞石
夜会あるホテルの門の桜かな   弘光春風庵
夜桜や廓(くるわ)この頃薄月夜   山本東洋
初花や法事帰りを多摩河原   小沢碧童
山桜白きが上の月夜かな   臼田亜浪
咲きたれてそよりともせず初ざくら   清原枴童
手をうたばくずれん花や夜の門   渡辺水巴
日と空のいづれか溶くる八重桜   渡辺水巴
花風に立ちて眼つぶる女かな   長谷川零余子
花影(かえい)婆娑(ばさ)と踏むべくありぬ岨(そば)の月  原石鼎
(訳)嶮岨な山の上に月。揺れ動く花影に私は踏み込もうとしている。
風に落つ楊貴妃桜房のまま   杉田久女
花の寺登つて海を見しばかり   杉田久女
褄(つま)とりてこごみ乗る幌(ほろ)花の雨   杉田久女
(注)女性(作者)が人力車に乗る時の様子。
子がゐねば夕餉もひとり花の雨   杉田久女
釣舟の漕ぎ現はれし花の上   杉田久女
(注)高い場所から見ていると、釣り船が桜の花の上に現れたように見える。
雨ふくみ淡墨桜みどりがち   杉田久女
病み呆けてふと死を見たり花の昼   富田木歩
初花や竹の奥より朝日かげ   川端茅舎
満月の照りまさりつつ花の上   日野草城
見ゆるかと坐れば見ゆる遠桜   日野草城
研ぎ上げし剃刀(かみそり)にほふ花ぐもり   日野草城
チチポポと鼓打たうよ花月夜   松本たかし
(注)作者は病弱のため能役者になるのを断念した。チチポポという擬音は比類ない。
山桜青き夜空をちりゐたる   石橋辰之助

落花、桜散る、花吹雪、散る桜、花屑、花筏(いかだ)

散る花を南無阿弥陀仏とゆふべ哉   荒木田守武
(注)散る花を思う心。南無阿弥陀仏と「言う」と、「夕べ」をかけている。
やまざくらちるや小川の水車   川井智月
扇にて酒汲(く)む影や散る桜   松尾芭蕉
声よくば歌はうものを桜散る   松尾芭蕉
木の下に襟こそばゆき桜かな   服部嵐雪
鎧(よろい)にも散るは覚ゆる桜かな   斎部路通
(訳)桜が散る。重い鎧を着ていても、桜が散るのを感じるのではないだろうか。
花散りてよい古びなり一心寺   小西来山
わが奴(やっこ)落花に朝寝ゆるしけり   宝井其角
(注)奴は男の使用人。
これはこれはとばかり散るも桜かな   宝井其角
(注)安原貞室の句「これはこれはとばかり花の吉野山」の本歌取り。
花散りてまた静かなり園城寺(おんじょうじ)   上島鬼貫
苗代の水に散り浮く桜かな   森川許六
真先に見し花ならんちる桜   内藤丈草
(訳)私は桜の咲き始めを見た。いま散りだしたのは、あの花なのだろう。
水鳥の胸に分けゆく桜かな   浪化
蒲団まく朝の寒さや花の雪   斯波園女
散りがたの花にものいふことなかれ   中川乙由
(訳)桜が散り始めた。いまは何も言わず、散るのを眺めようではないか。
色姿我(わが)身も風の桜かな   遊女・二代目吉野太夫
(訳)桜が風に散っていく。女の色香を売り物にしている私も桜のようなものだ。
花散りて木の間の寺となりにけり   与謝蕪村
花ちるやおもたき笈(おい)のうしろより   与謝蕪村
阿古久曾(あこくそ)のさしぬきふるふ落花哉   与謝蕪村
(注)阿古久曾は紀貫之の幼名。
花散りて猶(なお)永き日となりにけり   大島蓼太
桜咲きさくら散りつつ我老いぬ   高桑闌更
さくら散る日さへゆふべとなりにけり   三浦樗良
しづかさや散るにすれあふ花の音   三浦樗良
ちるはちるは嵐に峰のはなのこゑ(声)   加藤暁台
人恋しひともし頃をさくら散る   加舎白雄
桜々散(つ)て佳人の夢に入(る)   上田無腸(秋成)
(訳)美人が昼寝をしている。散る桜が、その夢の中にも散ってゆく。
散る花を墨に摺り込め旅硯(すずり)   松岡青蘿
ぬれみのに落花をかづく山路かな   松岡青蘿
(注)ぬれみのは「濡れ簑」。かづくは「被く」、かぶる、上に乗せる。
散る花の花より発(おこ)る嵐かな   松岡青蘿
晴るるよと見ればかつ散る雨の花   髙井几董
花吹雪泥わらんぢで通りけり   小林一茶
(注)わらんじは草鞋(わらじ)。
花ちるや権現様の御膝元   小林一茶
散る花もつかみ込みけりばくち銭   小林一茶
花ちつてどつと崩れる御寺かな   小林一茶
(訳)強風が来て桜がどっと散った。背後の寺もどっと崩れたかのように見えた。
有明や薄雪ほどにちる桜   穂積永機
桜散る夕べを人の老い初めぬ   二宮素香
打払ふ鎧の袖や花吹雪   井上井月
伴僧が味噌に摺り込む落花かな   内藤鳴雪
(注)伴僧は導師に付き添う僧。
観山神の派手に狂うて花ふぶき   瀬川露城
花散るや耳ふつて馬のおとなしき   村上鬼城
千本が一時に落花する夜あらん   正岡子規
桜ちる堂の裏手は墓場なり   寺田寅彦
口あいて落花眺むる子は仏   大谷句仏
てのひらに落花とまらぬ月夜かな   渡辺水巴
花片の一と筋となり流れけり   臼田亜浪
花散るや鼓あつかふ膝の上   松本たかし
大空へうすれひろがる落花かな   松本たかし

花見、花人、花筵、桜狩

花見、花人、桜人、夜桜、花茣蓙(ござ)、花筵(むしろ)、桜狩

 花見の盛況振りはいつになっても変らない。近年ますます盛んになっているようにも見える。咲いて散るまでの数日間から一週間、日本人はこの間に春の到来を実感する。歳時記で花見は、桜(=植物)から独立させて、生活の項に入れているが、この句集では「植物・花(桜)」の項に並べた。

袴着てひとり立てるも花見かな   伊藤信徳
一僕とぼくぼくありく(歩く)花見かな   北村季吟
(注)ご隠居さんが召使をつれ、ゆっくり歩きながら花見をしている様子。
菜畠に花見顔なる雀かな   松尾芭蕉
花見にとさす船遅し柳原   松尾芭蕉
今日は九万九千群集花見かな   松尾芭蕉
何事ぞ花見る人の長刀(なががたな)   向井去来
知る人にあはじあはじと花見かな   向井去来
傀儡(かいらい)の鼓うつなる花見かな   宝井其角
骸骨のうへを粧(よそ)うて花見かな   上島鬼貫
乗打(のりうち)を人なとがめそ花見笠   立花北枝
(注)乗打は馬や駕籠に乗ったまま通り過ぎること。とがめないで下さいね、という心。
春慶の膳すゑわたす花見かな   森川許六
うかうかと来ては花見の留守居かな   内藤丈草
片尻は岩にかけけり花筵   内藤丈草
賭にして降出されけり桜狩り   各務支考
桜狩りこの道行けば三井の下   志多野坡
善悪の友ある花見もどりかな   横井也有
半ば来て雨に濡れゐる花見かな   炭太祇
小冠者出て花見る人を咎(とが)めけり   与謝蕪村
(注)小冠者は若者、この場合は、その家に雇われている召使の若者だろう。
花戻り銭落したる坊主かな  高桑闌更
ことしまた花見の顔を合はせけり   黒柳召波
男伊達にあふて懲りたる花見かな   三浦樗良
半ば来て雨に濡れゐる花見かな   三浦樗良
かしこくも花見に来たり翌(あす)は雨   高井几董
重箱に鯛おしまげてはな見かな   夏目成美
うつくしき手で銭をよむ花見かな   成田蒼虬
ない袖を振て見せ見せ花見かな   小林一茶
たらちねの花見の留守や時計みる   正岡子規
花見船淀見えそめて囃(はや)しけり   岡本松浜
一つ杭に繋ぎ合ひけり花見船   長谷川零余子
花見にも行かずもの憂き結び髪   杉田久女

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