朧(おぼろ)、朧月、朧夜

 春は空気が水蒸気を多く含んでいるため、夜の景色や月などがかすんで見える。朧はそのような、ぼんやりして、はっきりしない様子を表す。本来、季節上の限定はないが、俳句では特に夜の景色や春の月の状態を表している。近年は一般の人も春に限定して用いるようになってきた。

からさきの松は花より朧にて   松尾芭蕉
(注)からさき(辛崎、唐崎)は琵琶湖南西岸の名所。松が有名。
猫逃げて梅ゆすりけり朧月   池西言水
鉢たたき来ぬ夜となれば朧なり   向井去来
(訳)鉢たたき(空也忌)の行事がずっと続いていた。終ったら、朧夜になっていた。
おぼろ月一足づつもわかれかな   向井去来
家こぼつ土のにほひや朧月   向井去来
(訳)建替えのためか家が壊されている。壁土が舞って、土の匂いがする。空に朧月。
宵闇も朧に出たりいでて見よ   広瀬惟然
(注)宵闇は月の出の遅い夕刻で、俳句では秋の季語。それを重視すれば秋の句となる。
是や此(この)日ぐれにつづくおぼろ月   小西来山
(注)是や此は「これが何と」のような意味。百人一首・蝉丸の一首で有名。
黒土の庚申塚(こうしんづか)や朧月   森川許六
海棠(かいどう)の花のうつつやおぼろ月   宝井其角
(注)この「うつつ」は「夢うつつ」(夢心地)と解したい。
富士の朧都の太夫見て誉めん   宝井其角
(訳)富士の朧はすばらしい。京都の遊女もこれを見たら誉めずにいられないだろう。
おぼろおぼろともし火見るや淀の橋   上島鬼貫
呼びにやる人も戻らずおぼろ月   立花北枝
六条はいとど朧に夜の雨   立花北枝
おぼろ夜の白酒売りの名残かな   各務支考
(訳)朧夜に白酒売りが出ていた。夜更けてもまだ何人かの白酒売りが残っている。
あれこれと集めて春は朧なり   各務支考
大原や蝶の出て舞ふおぼろ月   内藤丈草
それぞれの朧の形(なり)や梅柳   三上千那
月おぼろ船より捨つる水の音   川口竹人
帰る雁数さへ見えずおぼろ月   横井也有
更けてきく鍛冶の夜なべや朧月   横井也有
蝙蝠のまぼろし飛ぶや朧月   横井也有
池水に蛙の波やおぼろ月   横井也有
行燈(あんどん)を消して見たれば朧月   横井也有
障子には夜明けのいろや朧月   横井也有
から臼に梅の散る夜や朧月   横井也有
おぼろ月味噌煮る町の匂ひかな   横井也有
言ひさして見なほす人や朧月   加賀千代女
(訳)会話中の人がふと話をやめ、相手(私か)の顔を見直した。空には朧月が。
世の花を丸うつつむやおぼろ月   加賀千代女
(訳)世の中は桜の花盛り。朧月の光がすべての桜を丸く包んでいるようだ。
川下に網打つ音やおぼろ月   炭太祇
物音は人にありけりおぼろ月   炭太祇
月更けておぼろの底の野風かな   炭太祇
すみの江に高き櫓やおぼろ月   炭太祇
朧夜の底を行くなり雁の声   有井諸久尼
おぼろ夜をただそれなりに海月(くらげ)かな   蛮年
指貫(さしぬき)を足でぬぐ夜や朧月   与謝蕪村
(注)朧夜に、男が足を使い指貫(袴の一種)を脱いでいる。酔っているのだろう。
薬盗む女やは有(り)おぼろ月   与謝蕪村
手枕に身を愛す也おぼろ月   与謝蕪村
おぼろ月蛙に濁る水や空   与謝蕪村
辛崎の朧いくつぞ与謝の海   与謝蕪村
(訳)芭蕉の句にもある辛崎の朧。与謝の海にもそういう風情がいくつもある。
月おぼろ高野の坊の夜食時   与謝蕪村
朧夜や誰を迎ひのこし(輿)車   堀麦水
折ふしの鵆(ちどり)も遠し朧月   大島蓼太
鹿もよく寝て朧なり奈良の月   大島蓼太
朧夜や明くるわびしき薪(き)賃宿   大島蓼太
朧夜や寄り来る波に松の声   建部綾足
朧夜や越後へかへる鏡磨(と)ぎ   大伴大江丸
興つきて山下る暮のおぼろかな   高桑闌更
有明や朧は消えて立つ煙   高桑闌更
築地(ついじ)より風匂ひけりおぼろ月   高桑闌更
我影や心もとなき朧月   黒柳召波
おぼろ月宇治の山辺を行くひとり   加藤暁台
おぼろおぼろ雪一すじのほそ江かな   加藤暁台
朧月川には鳥の音もせず   蝶夢
朧夜や氷離るる岸の音   吉川五明
川中や獺(うそ)啼き歩行(ある)く朧月   吉川五明
野の朧つばな月夜と云はまほし   加舎白雄
(注)つばなは「茅花」。春に穂が出てあたりが真っ白に見える。
雪のままに竹うちふして朧月   松岡青蘿
(訳)日陰にはまだ雪が残り、竹が倒れている。しかし空には朧月が。
梅散りて故郷寒しおぼろ月   松岡青蘿
戯れ男に道踏みかへんおぼろ月   高井几董
落ぬべき西山遠しおぼろ月   高井几董
(訳)夜更けても月はまだ上にある。月が落ちて行く西山はまだ遠い。
朧月やなぎの枝をはなれたり   夏目成美
朧夜や吉治を泊(め)し椀の音   夏目成美
(注)吉治は義経を助けた奥羽の豪商。その一行が泊まった宿の様子を想像して詠んだ。
山水の何に古びておぼろ月   成田蒼虬
朧月夜はあつけなくなりにけり   小林一茶
夕ざれば朧作るぞ小薮から   小林一茶
夕ざればけちな薮でもおぼろなり   小林一茶
白魚のどつと生るるおぼろかな   小林一茶
すみだ川くれぬうちより朧也   小林一茶
打つ波に音なき磯や朧月   夏目吟江
灯を出せば朧うごくや水の上   穂積永機
篝火は洲先に見えておぼろ月   蟻道
坂下りてほどなく野なりおぼろ月   井上芦城
から傘の上やいつしかおぼろ月   横山見左
立ち出でて蕎麦屋の門の朧月   正岡子規
居酒屋の喧嘩押し出す朧月   正岡子規
(訳)居酒屋で喧嘩が始まった。店の者や客が二人を外へ押し出す。空には朧月。
朧月狐に魚を取られけり   正岡子規
おぼろ夜や女盗まん計りごと   正岡子規
詩神とは朧夜に出る化けものか   夏目漱石
乳捨てに出れば朧の月夜かな   尾崎紅葉
(注)赤ん坊が乳を飲まないと、乳房が張ってくる。それを絞って外に捨てに出る。
日の入りて夜にひまある朧かな   松瀬青々
怒涛岩を噛む我を神かと朧月   高浜虚子
朧夜や垣根に白き牡蠣の殻   寺田寅彦
此海に海月(くらげ)の殖える朧かな   広江八重桜
あとさきに人なき橋や朧月   二日坊素
木津川にぬけでて水は朧なり   前田普羅
月おぼろ矢場の女が手招きす   今成無事庵
(注)矢場は小型の弓の遊技場だが、売春の場ともなっていた。
風呂の戸にせまりて谷の朧かな   原石鼎
この朧海山隔つ思ひかな   原石鼎
梨畠の朧をくねる径(こみち)かな   杉田久女
おぼろ夜や浮名立ちたる刺青(ほりもの)師   日野草城
朧夜や人にも逢わず木の間往く   日野草城
おぼろ夜のはだなめらかに古娘(ふるむすめ)   日野草城
(注)古娘は年とった独身女性のことか。草城の造語と思われる。

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