菜の花が江戸や京都の近辺で生産されるようになったのは十七世紀からで、季語の「菜の花」もそのころに成立した。冒頭にある宗因の句が、菜の花を季語とする最初の句と言われる。蕪村の活躍した十八世紀半ばには菜の花畑がごく一般的な風景になった。菜の花の俳句は数を増やし、広々とした風景が詠まれていく。
菜の花や一本咲きし松のもと 西山宗因
菜畑に花見顔なる雀かな 松尾芭蕉
菜の花や淀も桂もわすれ水 池西言水
(訳)高台から眺めれば、淀川も桂川も菜の花に隠れがち。草の下の「忘れ水」のようだ。
尼寺よただ菜の花の散る小径(こみち) 池西言水
野の花や菜種が果は山のきは 小西来山
菜の花の中に城あり郡山 森川許六
菜の花に裾野は黄なり峰の雪 立花牧童
菜の花のぼんやりと来る匂ひかな 立花北枝
菜の花をいざ見に行かむ孫を杖 各務支考
菜の花の世界へけふも入日かな 松木淡々
菜の花や揚げゆく駕(かご)の片簾(すだれ) 横井也有
菜の花や吉野下り来る向ふ山 炭太祇
菜の花や奢(おご)りの果の売屋敷 溝口素丸
菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村
なのはなや昼一しきり海の音 与謝蕪村
菜の花や鯨もよらず海暮れぬ 与謝蕪村
菜の花や摩耶を下れば日のくるる 与謝蕪村
菜の花や法師が宿は訪はで過ぎし 与謝蕪村
菜の花や筍(たけのこ)見ゆる小風呂敷 与謝蕪村
葉の花や壬生の隠家誰々ぞ 与謝蕪村
菜の花や和泉河内へ小商(あきない) 与謝蕪村
鳥啼くや藪は菜種のこぼれ咲き 堀麦水
昼吠ゆる犬や菜種の花の奥 大島蓼太
菜の花や南凪ぎたる朝曇り 大島蓼太
菜の花や遊女わけ行く野の稲荷 高桑闌更
なのはなや此の辺りまで大内(だいり)裏 黒柳召波
菜の花に春行く水の光かな 黒柳召波
菜の花や海少し見ゆ山の肩 吉川五明
菜の花やかへり見すれば邯鄲(かんたん)里 加藤暁台
(注)邯鄲は中国河北省の古い街。邯鄲夢の枕(盧生の夢)の故事で知られる。
菜の花や人遠く藪畳(たたな)はり 加藤暁台
なの花や遊女わけ行く野の稲荷 高桑闌更
菜のはなにしのび女の戸出かな 加藤暁台
なのはなや南は青く日はゆふべ 加藤暁台
菜の花や行き当りたる桂川 蝶夢
かさね着や菜の花かほる雨あがり 加舎白雄
菜の花の紀の路見越す山のきれ 高井几董
菜の花や雲たち隔つ雨の山 高井几董
菜の花の飛々咲きぬ小松原 高井几董
菜の花に風こころよき野寺かな 高井几董
水くらし菜の花白く日暮れたり 宮紫暁
菜の花や小窓の内にかぐや姫 建部巣兆
(訳)菜の花畑の中に一軒家がある。小窓をのぞくと、中にかぐや姫がいた。
なの花のとつぱづれなりふじの山 小林一茶
菜の花や行き抜けゆるす山の門 小林一茶
喰屑の菜もはらはらと咲にけり 小林一茶
菜の花やかすみの裾に少しづつ 小林一茶
遠里や菜の花の上のはだか蔵 小林一茶
藪の菜のだまつて咲いて居たりけり 小林一茶
菜の花の中を浅間のけぶりかな 小林一茶
なく蛙溝の菜の花咲きにけり 小林一茶
なの花をめぐるや水の跡戻り 成田蒼虬
菜の花に明けはなれけり小提灯 鶴田卓池
菜の花や屋根に鶏畦(あぜ)に猫 桜井梅室
なの花や住吉の松を果にして 桜井梅室
菜の花の世界に今日も入る日かな 村井溶々
菜の花や川にわかれて上る坂 伊藤而后
菜の花の夜は薄らぐ匂ひかな 豊島由誓
菜の花や山から海へ一なだれ 栗本可大
菜の花に入らんとするや走り波 橘田春湖
菜の花や大山空に暮れ残る 上田聴秋
菜の花に朧一里や嵯峨の寺 内藤鳴雪
菜の花の四角に咲きぬ麦の中 正岡子規
菜の花や小学校の昼餉時 正岡子規
菜の花の遥かに黄なり筑後川 夏目漱石
菜の花や空車(あきぐるま)行く利根堤 宮本鼠禅
菜の花の道や手帳を落したる 佐々木笹舟
菜の花の合羽(かっぱ)につける風雨かな 松藤夏山
菜の花や一日(ひとひ)しをるる持仏堂 松瀬青々
菜の花に埋もれて握飯を食ふ 大野洒竹
水遠く光りて風の花菜かな 武田鶯塘
菜の花に汐さし上る小川かな 河東碧梧桐
菜の花に光る時あり城の鯱(しゃち) 高浜虚子
本郷の岡にのぼれば菜種咲く 末永戯道
磯風や石をかこひの花菜種 小沢碧童
菜の花や名古屋の城のよく見ゆる 鈴木花蓑
菜の花の暮れてなほある水明り 長谷川素逝
菜の花は濃く土佐人の血は熱く 松本たかし
菜の花が汽車の天井に映りけり 松本たかし