帰雁(きがん)、雁帰る(かりかえる)、残る雁、雁の別れ

 雁の読みには「がん」「かり」がある。「かり」は雁の鳴き声を表す擬音だったが、やがて雁そのものを意味するようになった。体長が60センチ─90センチと大型で、鳴き声も大きい。かつては日本人に最も親しまれた渡り鳥であったが、次第に減少しており、今日では鴨(冬の季語)にその座を譲っている。

 春になっても帰らない雁を「残る雁」「春の雁」という。

花よりも団子やありて帰る雁   松永貞徳
(訳)こんな花盛りだというのに雁が帰る。向こうには団子があるのだろう。
水緑に白魚あきらかなり雁しばし   山口素堂
(注)「春のいい季節になってきたのだから、もう少し待て」と雁に呼びかけている。
雲と隔つ友かや雁の生き別れ   松尾芭蕉
(注)芭蕉が心境を詠んだ最初の句とされる。友との別れを雁の別れに譬えた。
帰るとてあつまる雁よ海のはた(端)   向井去来
順礼に打ちまじり行く帰雁かな   服部嵐雪
雁の腹見送る空や舟の上   宝井其角
雨だれや暁(あかつき)がたに帰る雁   上島鬼貫
かへる空なくてや夜半の寡(やもめ)雁   内藤丈草
雁の声朧朧(おぼろおぼろ)と何百里   各務支考
夜通しに何を帰雁の急ぎかな   浪化
沢水を濁して雁の別れかな   和琴
象潟(きさがた)やどこへ帰帆の雁の声   中川乙由
帰る雁きかぬ夜がちに成りにけり   炭太祇
(訳)雁は夜、鳴きながら北へ帰っていく。その鳴き声も次第に少なくなってきた。
雁行きて門田も遠くおもはるる   与謝蕪村
(訳)雁がみな帰ってしまった。雁のいた近くの田が急に遠くなったように思われる。
帰る雁田ごとの月の曇る夜に   与謝蕪村
亀山へ通ふ大工やきじの声   与謝蕪村
雁はまだ落ちついているにお帰りか   大伴大江丸
(注)一茶が大阪から東に帰るときの句。「雁はまだいるのに……」という別れの挨拶。
行く雁や北斗の外は雲の浪   大伴大江丸
かへる雁紀の路や花のほころびし   大伴大江丸
(訳)雁よ、お前が帰っていく紀州方向はいい季節だ。もう桜が咲きかけているだろう。
行く雁の跡うづみけり夜の雲   高桑闌更
(注)うずみは「埋め」。
北ぞらや霞みて長し雁の道   黒柳召波
あたたかな雨間を雁の呼ぶ夜かな   黒柳召波
沖に降る小雨に入るや春の雁   黒柳召波
山里や屋根に来て鳴く雉の声   三浦樗良
春寒し比良の日向(おもて)帰る雁   加藤暁台
(注)比良の日向は、比良山地の日の当る側。
西山や日の上を行く雁のすぢ   加藤暁台
啼くこゑの母ありときこゆ雲に雁   加藤暁台
雨夜の雁なきかさなりて帰るなり   加藤暁台
降る雨は夜行く雁の涙かも   加藤暁台
首立てて行くかた見るや小田の雁   蝶夢
風呂の戸をあけて雁見る名残かな   高井几董
春もやや雲定まつて帰る雁   高井几董
三夜二夜声絶えて空に雁一つ   井上士朗
はたご屋は夜も戸たてず帰る雁   夏目成美
行く雁よ雪まだ見ゆる北の山   夏目成美
かしましや江戸見た雁の帰り様(よう)   小林一茶
(訳)北へ帰る雁がうるさく鳴いている。江戸で見たことを話し合っているのだろう。
門口の灯し霞みてかへる雁   小林一茶
かへる雁翌(あす)はいづくの月や見る   小林一茶
(注)いづくは何処(いずこ)。
げつそりと雁はへりけりよしず茶屋   小林一茶
夕暮や雁が上にも一人旅   小林一茶
帰る雁花のお江戸をいく度見た   小林一茶
雁行きて人に荒れゆく草葉かな   小林一茶
行灯(あんどん)で飯くふ人やかへる雁   小林一茶
行く雁の下りるや恋の軽井沢   小林一茶
月のある夜を唐(から)めきて雁の行く   岩間乙二
(注)唐めくは、唐風に見える、風雅に見える、の意味。
只ひとつ雁は行くなり石部山   成田蒼虬
田を売りて手打たば雁も帰りけり   桜井梅室
行く雁と啼きかはしけり小田の雁   夏目吟江
かりがねの帰りつくして闇夜かな   村上鬼城
行く雁の思い切りたる高さかな   尾崎紅葉
雁帰るころやしづまる二月堂   松瀬青々
大風の凪(なぎ)し夜鳴くは帰雁かな   河東碧梧桐
雨と見て戸とざす茶屋や帰る雁   佐藤紅緑
田圃中路の乾きて帰る雁   広瀬八重桜
岬黒みきし風前の帰雁かな   臼田亜浪
かりがねのあまりに高く帰るなり   前田普羅
織り習ひも爪根染むころ帰る雁   安斎桜磈子
(注)桜磈子は伝統ある機(はた)織の家を継いだ。織り習ひ(い)は、見習いの機織女工。
壁ちかくねまりて聞けり帰る雁   石橋秀野
(注)ねまる(ねまり)は寝る。東北地方の方言とも言う。

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